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毎日同じ話をする妻|同じ話を聞き続ける夫

基本的に、細かいことは気にしないタイプだと思っている。少なくとも、自分ではそう信じて生きていた。ところが、一度「ん?」と思ってしまうと、そこから世界の見え方が変わる。

見なければいい。
聞かなければいい。
考えなければいい。

そう思えば思うほど、意識はそっちへ吸い寄せられていく。まるで頭の中に、小さな吸引機でも設置されたようである。

妻は仕事から帰ってくると、かなりの確率で同じ話をする。「今日、電車が橋を渡る時、怖かった」と言うのだ。最初の頃は、私も普通に聞いていた。「そうなんや」「風強かったん?」「落ちたら怖いなあ」などと、夫として一応それらしい返事をしていたつもりである。

妻は続ける。「落ちたらどうしようって思って」「今日は風が強くて、ほんとに怖かった」と。まあ、橋の上を電車が通るのだから、怖い人には怖いのだろう。私は高所恐怖症ではないので、その感覚は完全には分からないが、分からないなりに聞いていた。

ところが、ある日「あれ、これ、毎日聞いてないか」と気づいてしまった。

そこから平和だった夫婦の会話が、私の中で観察対象へと変わってしまった。妻が帰ってきて、カバンを置く。少し疲れた顔をする。するとまだ何も言われていないのに、「今日は橋、来るか?」と心のどこかで待っている。

もはや恐怖体験の報告ではなく、連続ドラマの最新話を待つような気持ちである。

今日の橋は強風編か。
落下妄想編か。
それとも無事帰還したけどやっぱり怖かった編か。

もちろん、そんなことを口に出す勇気はない。妻にとっては毎日、本気で怖い話である。「それ昨日も聞いたで」などと言えば、橋より先に家庭内の空気が落下する。だから私は黙って聞いて「そうなんや」と言う。

毎日無事に帰ってきている事実には触れない。橋が毎日そこにあり、電車も毎日そこを通り、妻も毎日帰ってきていることにも触れない。世の中には、言わないほうがいい真実というものがある。

妻は電車に乗るたび、橋の怖さが気になり出したら止まらない。そして私は、妻のその話が今日も出るのかどうか、気になり出したら止まらない。夫婦そろって同じ現象に巻き込まれているのである。ただし、妻は橋に怯え、私は橋の話に怯えている。対象が違うだけで、やっていることは似たようなものだ。

違和感というのは厄介だ。気づく前は平和だった。毎日の同じ話も、ただの会話だった。それが一度「毎日やな」と気づいたら、もう戻れない。

今日も橋は無事だった。妻も無事だった。そして私も、余計なことを言わずに済んだ。夫婦生活において、これ以上の安全運転はないのかもしれん。

……知らんけど(-ᴗ- )フフフ…✨

🔗 前章はこちら:筋トレ計画🏋️
🌀 シリーズ序章:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥

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