涼宮ハルヒの既視感|そろそろ卒業したい厨二病🎓
先日、久々に『涼宮ハルヒの憂鬱』を見返した。
エンドレスエイトは、8話目だけ見た。さすがに8回ループする根性はない。サブスクであれを全部振り返れる人は、もはや視聴者ではなく修行僧である。
見ながら、ふと思った。40代になった今でも、たまに日常が退屈に見える。
もちろん、平和が一番なのは分かっている。何も起きない日こそありがたい。家族が元気で、犬が寝ていて、冷蔵庫に何か食べるものがある。それだけで十分幸せなはずなのだ。
それなのに、心のどこかで「なんか起きへんかな」と思っている自分がいる。
ハルヒは、普通の世界に飽きて、宇宙人や未来人や超能力者を探していた。私はそこまで大がかりではない。ただ、パトカーが止まっていると気になるし、台風の日に外の様子を見に行きたくなる。危機管理能力というより、ただの野次馬根性である。
思い返せば、私の人生も王道ではなかった。
普通に生きるなら、会社員として安定を目指すのが無難だっただろう。ところが、就職活動をまともにせず沖縄へ流れ着き、気づけば自営業をしていた。
安心より横道、堅実より面白そうな方、王道よりネタになる方へ吸い寄せられる。本人は大冒険のつもりでも、周りから見れば「何してんの?」で終わる話である。
noteを書いていても似たようなことが起きる。
しっとりした長文で感情を語れば、きっと分かりやすく共感されるだろう。それなのに、途中でふざけたくなる。最後に自虐を入れたくなる。せっかく真面目な方向へ進んでいた文章が横道へそれ、最後は「知らんけど」で着地する。
伸び悩む理由は自分で作っている。
それでも書いていると、自分の立ち位置が分からなくなる。noteには膨大な数の書き手がいて、自分などミジンコ以下ではないかと思う瞬間がある。
誰にも気づかれず、このまま消えていくのではないか。そんな気分になる日もある。
けれど、また何かを書き始める。
ハルヒが夜の校庭に大きなメッセージを描いたように、私は今日もnoteに小さな落書きを残している。宇宙人には届かないかもしれないが、どこかの誰かが「何やこれ」と笑ってくれたら、それでまぁ十分である。
結局、ハルヒに既視感を覚えた理由は、非日常を求めているからではない。
普通でいいと分かっているのに、普通では物足りない。その面倒くさい気持ちを、40代になってもまだ抱えているからだ。
涼宮ハルヒというより、未だに厨二病が抜けきっていないだけなのかもしれん。
そろそろ現実を見たほうがいい。
……知らんけど(-ᴗ- )フフフ…✨
🔗 前章はこちら:古典と漢文📖
🌀 シリーズ序章は:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥
