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20年以上ぶりに雪を体験☃️|ちょっと嬉しかった❄️

妻の実家への挨拶を終え、玄関のドアを開けると、東京の空から白いものが降っていた。粉でもなく、みぞれでもない。ちゃんと雪である。誰がどう見ても雪だった。「おお……雪や」と、思わず声が出た。

二十年以上も沖縄に住んでいると、雪は天気予報の中に住む架空の生き物みたいになる。画面の向こうで降っているのは知っているが、生活圏にはなかなか現れない。だから久しぶりに目の前へ出てこられると、昔の知り合いに駅前でばったり会ったような気分になる。特に仲が良かったわけでもないのに、「元気してたんか」と心の距離が急に詰まる。

妻も久しぶりの雪だったが、感想は「寒そ〜」で終わった。雪にロマンを見ている私の横で、妻は生活者としての現実を見ていた。空から降ってくる白いポエムも、地面に積もればただの足元注意である。

娘にいたっては初めての雪だった。人生初の雪である。親としては、ここで感動のワンシーンが始まると思うではないか。娘が空を見上げ、白い息を吐きながら「これが雪……」などとつぶやけば、BGMを流す準備くらいはできていた。

しかし現実の娘は体調を崩し、熱が上がり、雪どころではなかった。初雪より発熱である。人生のイベント管理は、だいたい都合を聞いてくれない。

子どもの頃なら、雪が降れば外へ飛び出していた。手袋もせずに触り、足跡をつけ、なぜか食べた。今考えると、空から落ちてきた正体不明の冷たい物体を口に入れるなど、なかなか野生であるが、あの頃の自分には雪が特別な招待状に見えていた。「今日はいつもと違う世界ですよ」と空から白い封筒が届く。それを読まずに家にいるなんて、子どもにはできなかった。

大人になった私は、もう雪だるまを作るわけでも、雪合戦をするわけでもない。ただ玄関先で気持ちが動いた。沖縄で長く暮らしていた時間の向こうから、空がこっそり昔の封筒を届けに来た。

問題は、その封筒に返事を書く前に気づいたことだ。家に帰れない。車はノーマルタイヤである。久々の雪は、感動の使者ではなく、帰宅困難という名の配達員だった。

⬅️ 前話はこちら:福袋の変化🛍️
↩️ シリーズ序章はこちら:これはウェルビーイングな時間

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