中身が見える福袋|夢を買ってたお正月から「安心」を選ぶ時代へ🛍️
子どものころ「正月三が日はお金を使うな」と教わった記憶がある。「出銭を控えろ」だったかもしれん。「元旦から財布を開くと一年中お金が逃げていく」みたいなことを言いたかったのだろう。
現代の元旦でそれを守ることは、もはや修行である。イオンモールは朝から光り輝き、駐車場には車が吸い込まれ、娘はどこで覚えたのか「お年玉」という呪文を唱えてくる。出銭を控えるどころか、財布が初詣より先にお参りする。
昔の福袋は、何が入っているかわからない箱だった。袋の口は固く閉ざされ、中には夢と売れ残りと店側の都合が仲良く詰め込まれていた。開けるまでわからないからこその高揚感があった。もしかしたら大当たりかもしれない。もしかしたら、一生着ない謎のセーターかもしれない。その賭けに家族で一喜一憂するところまで含めて、正月の儀式だった。
ところが今の福袋は、だいたい中身が見える。写真つきで、何点入りで、総額いくら相当で、どれだけお得かまで丁寧に書いてある。もはや福袋というより、正月限定の詰め合わせセットである。
昔は「箱を開けるまでわからない宝探し」だったのに、今は「地図と答えが同封された宝探し」になっている。SNSで「これハズレやん」と叫ぶ危険も少ない。けれど、袋の中身が見えると、福の正体まで透けて見える気がする。
私も今さら中身の見えない福袋に全財産を突っ込む勇気はない。犬たち用の福袋ですら中身を確認して買ったのに、なぜか微妙に失敗した。安心を選んでも負けるときは負ける。人生とはそういうものである。結局、福袋から消えたのはハズレではなく、ハズレを笑う余白なのかもしれない。
元旦のイオンモールで、妻と娘が福袋を見て回るあいだ、私はカフェに逃げ込み、コーヒー片手にこの文章を書いている。財布からはすでに何枚かの札が旅立った。昔の教えでいえば完全に敗北である。
中身の見える福袋を買いに来て、いちばん中身が見えていないのは私の正月だった。出銭を控えるはずが、気づけば家族の買い物待ちでカフェ代まで払っている。
これが令和の福袋か。袋の中身は見えても、パパの出費は最後までシークレットである。

⬅️ 前話はこちら:エスカレーター問題🚶♂️
↩️ シリーズ序章はこちら:これはウェルビーイングな時間?
