萩原朔太郎「死」・大手拓次「死の行列」 を読む - オリジナリティはどこから滲む? -
今回は萩原朔太郎氏の詩「死」と、大手拓次氏の詩「死の行列」を比較していく。
はじめに
創作する人が当たる壁、オリジナリティ。
「似ている」「寄せている」「パクリじゃないか」という話題は古今東西あるように思えるが、近代日本の詩壇に残る話には、そのような話は(あくまで私が知る中では)あまり見ない。
かつて、私は萩原朔太郎氏と大手拓次氏の詩を比べて「雰囲気が似ている」と感じた。
両者とも、全てがそうとは言わないが、言葉選びが不穏なのだ。
「干からびた犯罪」「きれをくびにまいた死人」……ちなみにこれらは詩の題で、前者が萩原氏、後者は大手氏である。
今は短い詩であれば、大体どちらの作品か分かる。
では、なぜ分かるようになってきたのか。「死」をテーマにした詩を比べて、二人のオリジナリティを探っていく。
「死」と「死の行列」
萩原朔太郎「死」
みつめる土地の底から、
奇妙きてれつの手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる、
諸君、
こいつはいつたい、
なんといふ鵞鳥だい。
みつめる土地の底から、
馬鹿づらをして、
手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる。
大手拓次「死の行列」
こころよく すきとほる死の透明なよそほひをしたものものが
さらりさらり なんのさはるおともなく、
地をひきずるおともなく、
けむりのうへを匍ふ青いぬれ色のたましひのやうに
しめつた唇をのがれのがれゆく。
率直な朔太郎、神秘的な拓次
一番の違いはこれだと思う。
他の詩を読んでみても、萩原氏は現実的な表現をする。大手氏は比喩が神秘的だ。
ここで言う現実的とは写実のことではなく、周りにあるものだけを組み合わせて表現するという意味と捉えてほしい。
林檎を例に、実際に私が二人の手法を真似てみる。
私が萩原氏の方法で林檎を表すなら「熱に浮かされた電球の顔」。
電球に顔は無いし、病的な発熱もしないが、それぞれ個としては存在する。
手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる、
現実的な比喩である。
一方、私が大手氏の方法で林檎を表すなら「女神の持つ、くれなゐ色の秋の実体」。
女神は現実的でないし、実体という呼び方も具体的でない。
すきとほる死の透明なよそほひをしたものものが
神秘的な比喩である。
死という不可解なものをどう捉えるか。
だんだん二人のオリジナリティが見えてくる。
萩原氏の「なんといふ鵞鳥だい。」は、その次の「馬鹿づら」にかかっている。
群れで騒がしく鳴く鵞鳥は、たびたび愚者のモチーフとされてきた。
死の概念はふとした時に頭をいっぱいにしてくるくせに、中身は無い。
そういった雰囲気を醸し出している。
一方で、大手氏の「よそほひ」「おともなく」「のがれのがれ」からは、あえて死というものが自我を持っているかのような雰囲気がうかがえる。
死を、実際にあるものの姿をして、中身を持たないものとする萩原朔太郎氏。
死を、自我や意思を持った、実際には見えないものとする大手拓次氏。
これが「死」というテーマを前にした、二人のオリジナリティである。
音楽をととのえる朔太郎、語調をととのえる拓次
ここは私が思った「リズムの話」なので、読み飛ばしても構わない。
萩原氏の、
手がでる、足がでる、くびがでしやばる
は、数行を挟んで繰り返されている。
対して大手氏は「さらりさらり」「のがれのがれ」と、同じ言葉を一度に繰り返す。
朔太郎氏の繰り返しは音楽でいう「リフレイン」。
童謡の「大きな栗の木の下で」のメロディと同じで、同じメロディの間に違うメロディが挟まったA-B-Aの構成だ。
大手氏の繰り返しは語調をととのえるためのもの。
「やぶれかぶれ」や「しどろもどろ」と同じである。
ここは、作曲経験のある萩原氏のオリジナリティが光っていると言える。
つまり詩におけるオリジナリティとは?
ものの見方である。
という結論に、私は至っている。
こういう展開が自分らしい、こういう字の魅せ方が自分の特徴だ、と意識して看板を立てるのは、仮のオリジナリティ。
経験や習慣から形成された思考や理想が、無意識に作品にもたらすもの。
人がそれぞれ「自分はこういう考えなので、こうして当然」と思い込んでいる部分。
それがオリジナリティだと思う。

「♡」押せます。
読了の印があると嬉しいです
《引用および参考》
こちらの記事もおすすめ
次回の読み比べ記事。
「白秋の三羽烏」と呼ばれた萩原朔太郎・室生犀星・大手拓次のうち、朔太郎氏と犀星氏をピックアップ。
(2025年11月投稿・3893文字)
・萩原朔太郎氏、大手拓次氏の記事
(萩原朔太郎編:2025年10月投稿・2253文字
大手拓次編:2025年11月投稿・1504文字)
いいなと思ったら応援しよう!
この記事を保存したいとお思いの方、応援いただけますと幸いです。
頂戴したチップは同人誌「さくさく」への寄稿費など、文芸活動に充てます。