29歳無職、旅の終わり - カシュガル滞在と会社員になる覚悟
カシュガルとウルムチでの滞在を振り返りながら、旅を締めくくります。

約1,500km(Google Map)
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29歳、無職。この肩書きで続けてきたシルクロードの旅も、いよいよ一区切りです。
カシュガル滞在①食べ物編
ウイグル飯といえば、羊肉やラグメンが思い浮かびます。カシュガルの路地裏では、より土着的で奥深い味覚にめぐりあうことができました。
ウイグル老人と分かち合う、静かなお茶の時間

(写ルンですで撮影)
エイティガール寺院の近く、吸い込まれるように一軒のお茶屋さんに入りました。そこには、深いシワにウイグルの歴史を刻んできたような老人たちが集まっていました。
彼らに混じって腰を下ろし、ナンを食べ、お茶を飲みます。

ナンは固く、しっかりとした噛み応えがありました。噛みしめるたびに、ほんのりとした塩気が広がっていく素朴な味。薄味のお茶は、何杯でも喉を通ります。

(写ルンですで撮影)
おじいちゃんたちと会話します。
言葉は通じませんが、なんとなく雰囲気で会話している(まあ私はほぼ愛想笑いしているだけですが)。適度な距離感を保ちながら、同じ空間にいるという静かな連帯感がありました。内向的な私にとって、これくらい温度の低い交流がちょうどよかったです。
記憶の中の「羊肉onナン」を求めて
カシュガルには数年前にも来たことがありました。私の記憶の片隅に残り続けていた料理があります。場所はバザールの一角。

本当に悲しい…
※ 残念なことに、このバザールは2023年には更地になり、現在は新しい建物が立っているそうです。こうした新疆ウイグル自治区の現状を聞くたびに、悲しい気持ちになります。
再会したその料理は、グツグツに煮込んだ羊肉をナンの上に乗せただけの、潔いほどシンプルなもの。脂と肉汁が滴り、下のナンがグズグズになっています。

食べてみると、香辛料はほとんど使わず塩のみで、肉そのものの旨味がダイレクトに伝わってきます。飾り気のない実直な美味しさ。「あぁ、きっとこれがこの街の日常の味なんだ」と感じました。

めっちゃ美味しかった。
カシュガル動物市場で新鮮な羊スープを味わう

(写ルンですで撮影)
カシュガル動物市場(喀什葛尔牲畜市场)は、牛や羊、ロバの売り買いがされている、活気のある市場です。

(写ルンですで撮影)
ウイグル人のオッチャンたちが、時に怒鳴り合うような勢いで売買交渉をしている様子に圧倒されます。私には、どっちが売り主でどっちが買い主なのかも分からず、ただその熱量に驚くばかり。
どこか懐かしい人間の営みの根源を感じて、じっと見入ってしまいました。

新鮮な肉を食堂で食べることが可能です。
(写ルンですで撮影)
市場内では、さばきたての新鮮な羊肉を食べることができます。簡素な小屋の下、みんなで肩を寄せ合って食べるナンと羊のスープ。これがカシュガルで一番美味しかったです。

向かいに座っていたのは、親子3世代で来ている羊飼いの一家でした。
聞けば、今日の売上は23,000元だったそうです(私の中国語の聴き取りが正確なら、ですが)。

一緒に羊のスープにナンを浸してたべました。
甘いチャイにパキスタンを想い出す
カシュガルの西側、色満賓館(後述)の近くはパキスタンからの旅客が多いエリアです。そこに、一軒のパキスタン料理屋がありました。

店内に漂うスパイスの香りと、運ばれてきた甘いチャイ。
一口飲むと、かつて旅したカラコラムハイウェイの情景がフラッシュバックします。国境という作為的な線を越えてもなお、食文化の層がグラデーションとなっている、シルクロードの面白さ感じました。

「ユーラシアは地続きなんだ」という、当たり前の事実を、舌で感じました。
「百年老茶館」のバルコニーでたたずむ

カシュガルを象徴する場所の一つ、「百年老茶館」にも足を運びました。タイミングがあえばウイグル族による伝統的な演奏やダンスを鑑賞できます。
バルコニーの席に座り、カシュガルの街並みをぼーっと眺めていました。大きな砂糖の結晶を、熱い紅茶の中に入れ、ゆっくり溶かしながら飲むのがウイグル流です。

吹き抜ける風がとても気持ちよくて、思わず「よくもまあ、こんな遠くまで(しかも陸路で)で来たな」と。集団の中にいるより、こうやって辺境の町でひとり浮いている方が落ち着きます。
社会という重力から切り離されたこの浮遊感こそが、無職旅の醍醐味だったのかもしれません。
カシュガル滞在②街歩き編

迷路のような旧市街を歩きました。
玄関だけを集めた写真集が作りたい

シルクロード無職旅の序盤で訪れた伊寧の玄関も素敵でしたが、カシュガルの玄関はまた格別の風情があります。

詳しくはこちらの記事から


どっしりとした扉に施された繊細な彫刻。家の主人のこだわりが透けて見えるようなその佇まいに魅了され、気づけば玄関の写真ばかりを撮っていました。
そしていつか、「カシュガルの玄関だけを集めた写真集」を作りたいと思うのでした。(作らない)
変わりゆく街、帰らぬ人々
色満路(セマン路)を歩いていると、「色哈尔宾馆(Sahar Hotel)」という看板が目に飛び込んできました。見覚えがある……。

当時いた痩せたウイグル人の主人の姿はない。
記憶を辿ると、初めてカシュガルを訪れた2013年に泊まったホテルでした。当時、パキスタンのフンザから北上し、クンジュラブ峠を越え、相乗りの車で一緒になったパキスタン人たちとここに転がり込んだのでした。
中を覗いてみると、入り口には物々しい荷物検査の機械と警備員。かつてはもっと開放的で、どこか大らかな空気が流れていたはずです。当時受付にいた痩せたウイグル人の主人の姿も、そこにはありませんでした。
近くにある「色満賓館(セマンホテル)」にも足を向けました。元ロシア領事館という格式高い建物で、かつてバックパッカーたちがこぞって泊まった宿です。

しかし、現状はあまりにも悲しいものでした。
ウイグル人のオーナー一家は収容所へ送られたという噂もあり、現在は行方不明とのこと。私が訪れたときは営業しておらず、静まり返った建物が時代の変遷を物語っていました。

食堂車にワクワク!ウルムチ行き21時間の列車旅
カシュガルの街に別れを告げ、ウルムチへと向かいます。21時間に及ぶ長い列車の旅の始まりです。

さらばカシュガル!(写ルンですで撮影)
私は「食堂車」という響きにめっぽう弱く、無条件にテンションが上がってしまいます。

さっそく足を運んで注文した料理は、街なかの相場と比べればかなり割高。けれど、車輪の音を聞きながら食べる青椒肉絲は、めっちゃ辛くてめっちゃ美味しかったです。

そんな車内で、びっくりしたことがありました。
以前、西安からウルムチへ向かう別の列車で見かけた果物売りのおじさんが、この列車にも乗っていたのです。
「前におじさんから果物買ったよ!」と、再会の喜びに任せて意気揚々と話しかけてみたのですが、おじさんは絵に描いたような塩対応。
「そんなん覚えてへんわ」という顔で、淡々と去っていきました。
勝手に運命(というほど大げさなものではないが)を感じて舞い上がった自分と、日々の仕事をこなすおじさんの温度差。
窓の外には、タクラマカン砂漠がどこまでも広がっています。

電波も届かない車内で、スマホを置いてただ景色を眺める。
取り留めのない思考が、砂の中に静かに吸い込まれていくような感覚。この時間のために旅をしているとさえ思える。慌ただしい日常に戻る前の、静かなひとときでした。
▼ 列車の旅の様子を私の YouTube に載せているのでぜひ!
出発地にして終着地 - ウルムチ滞在

約30日ぶりに、今回の旅の起点でもあったウルムチへと戻ってきました。
▼ 旅の初日のウルムチ
紅旗路の近くで見つけた適当な食堂に入り、焼きそばを注文します。
一口食べて、「やっぱり、中華圏で焼きそばとチャーハンを頼んで外れることはないな」と、確かな安堵感を覚えました。

ポロ(ウイグル風ピラフ)も美味しい。やっぱり、米料理が美味しいと幸せだね〜
そして、ウルムチ空港へ。北京を経由し、東京へと帰りました。
29歳シルクロード無職旅のおわり
30万円あった貯金をきれいに使い切って、36日間におよぶ無職旅が終わりました。

(写ルンですで撮影)
日本に帰ると、新しい会社と、新しい仕事が待っていました。
「また、旅に出てこられるように頑張ろう」
その後は、会社員として、(自分で言うのもなんですが)けっこう真面目に仕事を頑張りました。加えて、コロナ禍という予期せぬ事態もあり、しばらく旅からは遠ざかることになります。
しかし、その3年後。
私はまた「無職」になって、今度はインドへ向かいます。
この続きは、また別の機会に書いていければと思います。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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