#創作大賞、読むぞ 宣言⑧『絵にもならない』 花邑 灯火さん
この作品、実は小説論になっているのでは?
あるいは表現とは何か、という問いかけなのでは?
読み始めたときにそんな印象を持ちました。
『絵にもならない』 花邑 灯火さん
私はその勝手に思い込んだ問いかけに答えようと、あれこれ考えてしまいました。
作品が優れていたからこそインスパイアされました。私にとって、それがとても貴重な時間だったのです。そのことを書こうと思います。
私の考えたことを書く前に、作品の紹介をします。
note創作大賞2025 ファンタジー小説部門にエントリーしている作品です。
まずAIが衰退した未来というのは興味深いです。
「その通りね。質量を伴った実物の絵をAIは描くことができなかった。厳密に言えば、出来はしたのだけど結局リアルなプリンターが必要だったから重宝されなかった。これが無尽蔵に膨れていった、言語と情報デジタルの時代が迎えた終焉」
ローファンタジーとして、きちんと設定がされています。小説の世界に入りやすかったです。それには読みやすい文章も一役買っていて、ライトな感じでテンポが良くストーリーが進んでいきます。
キャラクターも書き分けられていて、主人公が巻き込まれていく様子や、裁判での興味深い展開も楽しく読めました。
さて、それでは私がこの作品を読みながら、ぼうっと夢想したことを書きます。感想から始まったこととは言え、作者の創作意図とは離れててしまうと思いますが、それはご容赦を。
「伝える努力の尊さと、伝えることの難しさ」
「伝える」ということは、「完全には伝わらない」というジレンマを常に内包しているように思うのです。
それは絵でも文章でも同じです。
表現者の思考は文字や絵、映像、音というメディアを介した瞬間に変質してしまう。その思考は受け手に届いた時には創作者の意図を離れて、受け手の脳内で自由奔放に姿を変えるものなのではないか。
脳が実際には見ていないものを見たと認識する「錯視」という現象はまさにそういうものだと思います(線の長さが違って見えたり、止まっているものが動いて見えたりする、アレです)。
だから、誰かと同じものを見ても、読んでも、永遠に分かり合えることはなくて、共感したように思えてズレを伴っているのです。
それでもなんとかして「伝えよう」とする努力は尊いと思います。
※少し脱線します。
小説を書く時、作者は常にどう書いたら自分の意図が正しく読者に伝わるか、どう表現したら面白く見せられるか、を考えています。
しかしそれは伝わらないかもしれない。努力やこだわりは作り手の自己満足であって、作品の評価はすべて受け手に委ねられるものではないかと思います。
もちろん、読者に対して少しでも良いものを届けようとするのは大切だけれど、結局、伝わるかどうかは紙一重だったりもします。だから最後は思い切って、自分の思うとおりに書けば良いのでは、と思います。
脱線ついでに、創作に悩む者の開き直りのようになりましたので、この辺でやめます。
作品自体の感想に戻りますが、もう一つこの作品を読んで思ったことがあります。
この小説はもっと大きなストーリーの序章にあたるのではないだろうか。
それだけの構えを持った作品だと思いました。
「あの文章」はあえて出さなかったのだと思いますが、もしかしたらこの小説の続きで、登場するのではないか。
そんな妄想をしてしまいました。
でもぜひ読んでみたいです。「あの文章」
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○今週、気になった作品
君と僕の境界線 松下友香さん
境界線を、いったりきたり 森磊水さん
スーパーのそうめんぜんぶ茹でて一番最高の夏をキメる。 野やぎさん
以上、【#創作大賞、読むぞ 宣言】 8週目でした。また来週末に。
