【小説】「共性する私たち」第5章
第5章
千弥子が幹夫との「初デート」に選んだのは、池袋にあるサンシャインシティだった。
土曜日の夕方、返信をもらって狂喜した千弥子は、品川にある水族館に行きたいと一瞬思い浮かべたが、いや、違うなと思い直した。水族館というと、デートの定番感があり、幹夫の気持ちがまだわからない状態では少々前のめりな気がした。
幹夫は買い物に付き合ってもいいと言ってくれているので、それなら、大型ショッピングモールのサンシャインシティで食事や買い物をするのはどうだろうか。そして、なりゆきに任せて、「そういえば、このビルの屋上に、水族館ありますよね。行ったことあります?」と誘うパターンを、千弥子はひらめいた。うん、さりげなくて、いいんじゃないか。
千弥子は、まるで自分が中高生の男の子にでもなったような気がした。
付き合う前の男性に対し、女の私がここまであれこれ思考を巡らせて、デートプランを考えたことなどあっただろうか。これまで、デートプランは男性が考えるもの、という思い込みがあったような気がした。思えば私も、男性に対して、不公平なことをしてきたかもしれない。
土曜日の夜、千弥子は幹夫に月曜の待ち合わせ時間や場所について連絡をした。
月曜日は、11時に池袋駅東口で待ち合わせでもいいですか?
東口の「いけふくろう」の前で。
一緒にランチかお茶して、サンシャインをぶらぶらするのに付き合ってください。
さりげなさと親しみ、どちらもあるよね、と文面を確認し、千弥子は送信ボタンを押した。
幹夫から、その後すぐ、「はい、了解しました」というメッセージとともに、犬の口から「では明日」という吹き出しの出ている可愛いスタンプが送られてきて、千弥子は思わず笑ってしまった。可愛い。
日曜日は、千弥子は部屋に引きこもり、買った3冊の小説を読了した。
久しぶりに小説の世界に没頭する時間を持てたことが嬉しかった。享と暮らし始めてからは、休日も外出が多く、読書に集中する時間を持とうとも思えていなかった。
享は、平日の夜こそスマホゲームに興じていたが、休日はアクティブで、いろんな場所へ行きたがった。休みという休みを外出や旅行に充て、家でゆっくりする、ということには価値を感じていないかのようだった。千弥子には、土曜日は出かけて、日曜日は家でゆっくりする、というスタイルが合っていると思っていたが、享と一緒に過ごしているうちに、
「享は出不精な私の生活を変えようとしてくれている」という思いを抱くようになっていた。
千弥子は気づいた。
私は別に出不精などではなく、インドアとアウトドアの半々が好きなだけだ。いつから自分に“出不精”だなんてネガティブなレッテルを貼っていたんだろう。享に言われたんだろうか。思い出せない。
そうして、さらに気づく。
私は、享の機嫌を悪くしないように、知らず知らず、享の望むライフスタイルに合わせていたんじゃないか。
———私も、母と同じじゃないの。
さすがに父のことを、モラハラ男とは思ってないけど。
離れようとしているのに、母の嫌いな部分に追いかけられている気がして、千弥子は愕然とした。享と私の収入はそこまで変わらない。なのに、どこか対等ではなかった。対等でいるために、必要なのは、仕事や収入ではないのか———。
千弥子は考えることに疲れてしまい、今日は早めに寝ようと思った。寝る前に、ビタミンC入りフェイスマスクで肌を整え、22時前に眠った。
次の日、風は冷たくも、日差しの温かい日曜日だった。
千弥子は、約束の10分前に待ち合わせ場所の「いけふくろう」に着いて、幹夫の登場を待った。
幹夫は、11時ちょっと前に現われた。
「ごめんなさい、待ちました?」
幹夫は申し訳なさそうに、千弥子の顔を覗き込んだ。
千弥子は心拍数が上がるのを感じながら、
「いえ、私も今来たんです」と言い、一緒にサンシャインシティに向かって歩き出した。
「幹夫さん、月曜日はいつも何してるんですか?」
千弥子は幹夫と肩を並べて歩きながら、話しかけた。
同じ方向を見て目線が合わなければ、緊張せずに話せることが分かった。正確に言えば、緊張していないわけではなく、緊張している自分を正面から見られないで済み、いくらか平静を装えるのだ、と千弥子はちょっとした発見をした気になった。
「…月曜日は、たいてい家にいるかな。音楽を聴いたり、雑誌とか動画で仕事関連の情報見たり…ときどきは出かけたりもするけど」
「そうなんですか。週に1回のお休みだし、貴重な時間ですよね」
千弥子は、聞きたいことがたくさんあったが、質問攻めにならないよう、気を付けた。今日は時間があるんだから、焦るな焦るな…。
サンシャインシティに着いた。
千弥子は、前に来たのは、享と暮らし始めたばかりのときだっけな、と思い出していた。
「幹夫さん、お腹、空いてます?」
幹夫は、まだ空いていないというので、
「じゃあ、先に洋服をちょっと見てもいいですか?」と、レディースファッションのお店に付き合ってもらうことにした。
実際、会社で着る服を買いたかったのと、幹夫の好みも知れるチャンスで一石二鳥だと千弥子は思った。
モヘアのセーターが可愛いなと思って見ていると、幹夫が、
「これいいですね」と言いながら、背中の大きく開いたニットワンピースを持ち上げた。千弥子はびっくりして、
「えっ、幹夫さん、そういうの好みですか?!」と訊いた。
幹夫は慌てた様子で、
「あ、これは会社では着れないですね。失礼しました。千弥子さん、スタイルいいから、似合いそうって思っちゃって」と言った。
「千弥子さん、スタイルいい」のワードに千弥子はひっそり喜びながら、「幹夫は女性の開放的な服装に寛容なんだな」と驚きつつも感心していた。享は、女性の必要以上に肌を出すファッションに難色を示すタイプだったから、余計に。
それにしても、意外。穏やかで優しい幹夫さんだけど、大胆なところ、あるんだ。ちょっとショッピングに付き合ってもらうだけでも、幹夫という人間の全体像を把握していくための、小さなパーツ集めをしているようで、千弥子はワクワクした。
千弥子は、結局そのお店では何も買わず、別のお店で、ニットのワンピースを買った。肌の露出は少ないけれど、先ほど幹夫が手にしたものに近いテイストの商品を選んだつもりだった。会社には着て行かないが、プライベート用の服も欲しかったし、と千弥子は満足した。幹夫とのデートがまた叶ったら、その日に着よう。
お腹が空いてきたので、2人でレストラン街へ移り、お互いパスタが食べたいと意見が一致し、イタリアンのお店に入った。
千弥子は海鮮のトマトソースを、幹夫はカルボナーラをオーダーした。
食事が来るまで、何を話そうかな、と千弥子は一瞬考え、
「あ、先日は、カット、ありがとうございました。すごく気に入ってます」と幹夫に伝えると、
「あ、いえ。こちらこそ、来てくれて、嬉しかったです。ほんと、似合ってます」幹夫はそう言って、はにかむように笑った。
「幹夫さん、どうして独立してお店をされようと思ったんですが?私は雇われる会社員しか経験がないから、自分で経営する大変さとか、動機すら、想像できなくて」と訊いてみた。
「あぁ…以前は、渋谷の美容室で働いていたんです。ものすごく忙しくて、指名も取らなきゃいけないプレッシャーもあって、もう少し、来てくれるお客さんに丁寧に向き合えないかなと思ったのがきっかけかな」
「それは、大変そう。でも、そんな志の高い理由があったんですね」
「あとは、母が3年前に体調を崩したので、なるべく近くで働こうと思って、吉祥寺にお店を持つことに」
「お母さんが。そうだったんですか…。それは心配ですよね。あ、武蔵境に住んでるんでしたよね。実家ですか?」
「そう、実家。実家出たことないんです」
千弥子は幹夫に抱いていたイメージが少し崩れるのを感じた。
33才の男性で、まだ実家から出たことがないなんて…。
職場の同僚男性たちは、都心部に実家がない限り、遅くとも20代半ばには一人暮らしを始める者が多いため、幹夫を珍しいと感じてしまった。
しかし、お母さんが体調を崩されてのことだし、自分には知りえない事情ってものがあるのかもしれないと思い直し、幹夫に対するがっかりした気持ちを打ち消した。
そのうちに、オーダーしたパスタがテーブルに運ばれてきた。
「パスタ、シェアする?」当たり前のように、幹夫が訊いてきた。
千弥子は、「あ、しましょうか」と答えた。
幹夫が店員さんに「お皿を2枚ください」と声をかけた。
「幹夫さんって、きょうだいいる?」
「ううん、一人っ子」
さながら、お見合いの席のような会話だが、言葉遣いは敬語と友だち口調をミックスした状態に変化していた。よそよそしいのが嫌で、敬語を減らしていきたいなと思い始めていたところだったので、互いに、自然に、少しずつ変わっていくことに、千弥子は心地よさを感じた。
「そっかぁ。なんか、料理のシェアとか、“女子”をよくわかってる気がして、お姉さんか妹さんでもいるのかなと思って」と千弥子は言った。
男性との食事で、シェアの提案をしてもらったことがなかった千弥子は、幹夫の気遣いに感心していた。
とはいえ、千弥子自身は、普段は面倒なので、シェアしない派なのだが。
「あー、お姉さん、欲しかったな」と幹夫が目を細める。
千弥子は、自分には兄がいて…などと話し、そのあとは血液型や誕生日、星座の話などをしながら、2人は2種類のパスタを食べ終えた。
お会計は、幹夫が払うと言うので、千弥子はお礼とともに、
「あとでお茶するときは、私が払いますね」と伝えた。
レストランを出て、
「幹夫さん、何か見たいお店とかありますか?」と千弥子が訊く。
「いや、特にないかな。千弥子さん、もう服はいいの?」と幹夫が言うので、
「幹夫さん、上にある水族館って行ったことありますか?私、一度もないので行ってみたくて」と計画通り、勇気を出して言ってみた。
「水族館…あぁ、あるよね。僕も行ったことない。行ってみようか」
千弥子は「やったー!」と心の中でバンザイをして、2人で水族館へ向かった。
水族館内は、季節限定の装飾によってクリスマスの雰囲気を纏い、さらにロマンティックなムードを漂わせていた。いい時期に来れたなと千弥子は思った。
平日とはいえ、空いているということもなく、小さい子どもを連れた親子や、外国人観光客、また若いカップルも多く、ほどよくにぎわっていた。
私たちも、周りから、きっとカップルに見えているよね。
千弥子には、今日、幹夫との距離が縮まる予感だけはあった。
1階の海中トンネルをくぐりながら、クラゲの幻想的な雰囲気に千弥子はすっかり陶酔していた。同じく、言葉を失って見惚れている様子の幹夫と目が合い、微笑み合った。
もう、千弥子は手をつなぎたいと思った。
さらに、初めて幹夫に会ったときに感じた「抱きたい」という思いがよみがえるのも感じていた。出会ってまもない男性に、こんなふうに欲情することは初めてで、内心戸惑いながらも、幹夫の魅力のせいだ、不可抗力だ、と自分の感覚を肯定しようとしていた。
2階へ行くと、幻想的な雰囲気から一転、バラエティ豊かな生き物たちの生態を知りたくなるような展示が広がっていた。
世界に住む水の生き物たちが、それぞれの生息地の環境を再現した水槽の中で、快適そうに泳いでいた。
ひとつだけ、生息地の表示のない水槽があり、
「クマノミとイソギンチャクの海」と書かれていた。
千弥子は、小学生の頃、遠足で水族館に行った際、
「イソギンチャクって、いそきちやこみたいだな!いそきんちゃこ~」と男の子にからかわれたことがあり、「イソギンチャク」には人よりも強く反応してしまうところがあった。今となれば笑い話なのだが。
だけど、今日、生まれて初めて、自分の名前に感謝することとなった。
クマノミ…くまのみきお。
クマノミとイソギンチャクが共生関係にあることは、以前から知っている。
幹夫が気づいているのか、どう感じているのかがわからないので、何も口にはしなかったが、千弥子は、「私たち、運命では?」と心の中でつぶやくほど、勝手に盛り上がっていた。
ふと幹夫を見ると、神妙な顔をしていることに気づいた。
「幹夫さん」と声をかけようとしたそのとき、幹夫が口を開いた。
「千弥子さん、クマノミの生態って知ってる?」
「え、クマノミの生態…?なんだろ、イソギンチャクと共生の関係があるってことくらいしか…」
つい、にやけてしまいそうなのを抑えながら言った。
「あ、そうだよね、それは有名だよね。それと、あともう一つ特別な生態があって、クマノミって、生まれたときは、オスもメスもないんだって。で、それから成長してオスになっていくんだけど、群れの中で一番大きいオスが、メスに性転換するの。そうして群れの中で2番目に大きいオスとペアになって産卵するみたい」
「え、えー!オスからメスに性転換?そうなんだ、知らなかった」
千弥子は、幹夫の話に純粋に驚いた。
それと同時に、幹夫の何かもの言いたげな、ただならない雰囲気も感じ取り、胸がざわつくのを感じた。
「…幹夫さん、魚好きなの?魚の生態に詳しいんだね」
千弥子は、それだけ、やっと口にした。
「あ、いや、そんなことないよ。クマノミの生態を高校生の時に知って、ほんと不思議だなってずっと思ってただけで」
「そうだったんだ…。あ、そういえば、性転換とは違うんだけど、カタツムリとかナメクジは、確か雌雄同体とかいってオスとメスどちらでもあるんじゃなかったっけ」
「千弥子さん、よく知ってるね。そうそう、それも本当に不思議だよね」
カタツムリの話で、陰っていた幹夫の表情に少し明るさが戻ったような気がしたが、千弥子は複雑な気持ちになっていた。
幹夫には、何か抱えているものがあるのだろうか。
ふと、合コンのあとの“4次会”で佳奈が幹夫の印象について
「ちょっとゲイっぽいなと思った」話が、脳裏に浮かんだ。
千弥子は動揺していた。
しかし、それを幹夫に知られたくなくて、努めて明るく振舞った。
「他にも不思議な生態の生き物がいないか、探してみようかな」と言いながら、「クマノミとイソギンチャクの海」を離れ、別のコーナーへと歩いた。
2階から、屋外へ出た。
空気はひんやりとしていたけれど、日差しは強く、1日のうちでもっとも暖かいだろう時間帯で、上着を着る必要がないほどだった。
大都会の屋上で感じる自然に癒されながら、幹夫と過ごした今日のこの時間を忘れないでいたい、と千弥子は思った。私たちはどうなっていくのか。わからないけれど、流れに身を任せよう。あまり多くを考えすぎに…。
屋上にカフェがあったので、
「幹夫さん、何か飲む?こんなに暖かいから、ホットじゃなくてもいいくらいだね」と言いながら、入口に置いてあるメニューを千弥子は指さし、幹夫を振り返った。
そのとき、幹夫が「はい、もしもし」と電話に出た。
「えっ、母が?」
幹夫の表情と声で、大変なことが起きたのだと千弥子は瞬時に察した。
「はい、はい、今池袋にいまして。はい、今すぐ向かいます」
電話を切った幹夫は、必死に冷静さを保つような口調で、
「千弥子さん、ごめん、母が倒れて病院に運ばれた。申し訳ないけど、ここで」と頭を下げ、身をひるがえして立ち去った。
千弥子は一瞬、その場に立ち尽くしたが、幹夫のことが心配になり、急いで追いかけた。
エレベータ—を待っていた幹夫に追いつき、2人は走って、池袋から山手線に乗った。新宿で中央線快速に乗り換え、武蔵境に着くまでの約30分、ほぼ言葉を交わすことはなかった。
どうか、最悪なことが起きませんようにと、ひたすら千弥子は祈り続けていた。
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※この作品はフィクションです。実在する公共交通機関名、商業施設名が出てきますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
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