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【小説】「共性する私たち」第3章

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第3章

部屋の掛け時計を見ると、2時15分だった。
スマホで、幹夫から聞いた美容室の名を検索すると、
・予約優先
・営業時間:9時~18時
・定休日:月曜日
とあり、日曜日のこの時間は、混んでるかなと気になりつつ、LINEで幹夫に、

昨日はありがとうございました。昨日お会いした磯木千弥子いそき ちやこです。昨日の今日ですみません。今日の3時以降で、カットの予約が可能であれば、お願いしたいです。

と入力して、不自然さや無礼がないか、ざっと読み返した。

きょうで、きょうの、と文字を入力するとき、「享で」「享の」という変換が一番先頭に表示されるのを見て千弥子は胸がむかつくのを感じた。それを振り払うように、勢いに任せて送信ボタンを押した。

返信が来るかドキドキしていたが、15分、30分経っても返信はなかった。そりゃそうか、仕事中なんだからスマホなんて見れないか。迷惑なことをしてしまった、と後悔した。

LINEの送信取消機能を使って消して、お店に電話してみようかと思ったが、送ったメッセージを消したあの残像も気まずい気がして、LINEはそのままに、電話をかけてみた。

「はい、ヘア―デザイン カミングです」

「…あ、今日いきなりで申し訳ないんですが、えーと…4時以降くらいで、カットってお願いできたりしますか?」

電話に出たのは、幹夫ではなく女性スタッフだった。
口調がちょっと素気ない感じだった上、幹夫が出るとばかり思っていた千弥子は、一瞬たじろいでしまった。なぜか、幹夫が一人で店を切り盛りしていると思い込んでいた。

「当店のご利用は初めてでしょうか?」
そう聞かれて、
「はい、初めてです。磯木と言います。できたら熊野さんにカットをお願いしたいです」と伝えると、少々お待ちください、と言われ、保留音が聞こえた。

待たされて20秒ほど待った頃、保留音が切れ
「お待たせしました…磯木さん?もうお店に来てくれるんだね」と笑い声まじりの照れたような、幹夫の穏やかな声が聞こえた。

その声に、千弥子は胸が高鳴るのを感じた。
「昨日の今日ですみません、ちょうど髪を切りたくって、それなら熊野さんにと思って…今日これからカットって可能ですか?」

「えーっとね、そしたらちょっと遅くなっちゃうんだけど、5時半とかでもいいですか?」

「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
と言って千弥子は電話を切った。

時計は3時を5分回ったところだった。予約の時間まで余裕があるので、千弥子は念入りにメイクをした。それでも時間があったので、マニキュアも塗ることにした。選んだのはオリーブ色で、時間をかけて丁寧に重ね塗りをした。金曜日に享の部屋を出て以来、千弥子にとって、初めてリラックスできるひとりの時間だったように思えた。

千弥子はクローゼットから、サテンの黒のブラウスに、白地にアイボリーとカーキと黒の格子が入ったツイードのロングスカートを取り出して、合わせた。グレーベージュのトレンチコートを羽織り、黒のショートブーツを履いて、家を出た。我ながら単純な性格だな、と思いながら、足取り軽くJR荻窪駅に向かった。

幹夫の美容室は、JR吉祥寺駅から徒歩15分ほどの、喧騒を離れた少しひっそりとした場所にあった。少し早く出たつもりが、すでに予約時刻の10分前だった。

古い雑居ビルで、2階の窓に「hair design Coming」の文字を見つけたので、エレベーターは使わず、階段を上がる。すぐ目の前に、美容室のドアがあった。古さを生かした、白のモルタル壁のアンティーク基調にリノベーションされた瀟洒しょうしゃな店構えに、千弥子は、幹夫のセンスの良さを感じた。

ドアを開けると、すぐに幹夫の姿が目に入った。
彼はカットが終わった様子のお客さんの髪をドライヤーで乾かしている最中だったが、

「いらっしゃいませ。少々お待ちください」と千弥子に向かってにこやかに言った。

千弥子は、うやうやしく、幹夫に向って会釈をした。

そして、店内の髪をほうきでかき集めていた女性———おそらく電話に出たと思われる、ちょっと素っ気ない女性———が、チラッとこちらを見たかと思うと、ドライヤーを持って、幹夫に加勢し始めた。千弥子が来店したので、急いでくれようとしているらしかった。

彼女は、見た目はボーイッシュだが、アイラインが濃く、ビジュアル系のバンドマンを思わせるような出で立ちだった。この人は、熊野さんと毎日このお店で一日中一緒なのか、と千弥子はまるで中学生のような嫉妬心をかすかに抱いた。

ダブルドライヤーのおかげで髪がすぐに乾いた40代半ばくらいの女性は、
みきちゃん、ありがとう、また来るわね~」と親し気に幹夫に声をかけ、機嫌良さそうに、帰っていった。

「幹ちゃん、か。女の子みたいに呼ばれてるんだな」と千弥子は少し愉快に感じながら、自分もそう呼べるほどに親しくなりたいと思った。

「磯木さん、お待たせしました。髪どうしますか?」
やっと、幹夫が鏡越しに千弥子と向き合う。

出会って24時間も経っていない相手にひっそりと恋焦がれ、カットにかこつけて会いにきている自分が信じられないような、それでも24時間以内に違う場所でこうして2回目会えていることが信じられないような、一体何が信じられないのか混乱し、千弥子は一瞬ぼうっとした。

「あ、えーっと…マフラーとかストールとか巻くので、短めにしていただきたいんです。ショートとか、ショートボブのイメージで」

「わかりました。じゃあ磯木さんに似合いそうなスタイル、こちらに任せてもらっていいですか?」

「は、はい!お願いします」

幹夫は、柔和な雰囲気から一転、真剣な表情になり、千弥子の髪を手際よくカットしていく。

千弥子は自分の顔を鏡で見ているふりをして、視界に入る幹夫をぼんやりと見つめた。

幹夫は、なんというのか、独特の色気のある人だ、と千弥子は感じた。
顔のパーツが整っている、シュッとしてる、というのが自分の好みの男性像と今まで思ってきたが、幹夫はそのジャンルからは完全に外れていた。
しかし、落ち着いた憂いの中に、優しさや温かみが見え隠れしているような、人間的な色気を感じ、そこに、どうしようもなく引き寄せられてしまう。

千弥子は、「もっと彼のことを知りたい、今までどんな人生を歩んできたんだろう」と興味が湧いてくるのを感じていた。

とはいえ、幹夫の顔を見ていると、何も言葉が出ない。いろんなことを聞いてみたいのに、何も言葉が出てこないのだった。

そのとき、幹夫が口を開いた。

「昨日はありがとうございました。僕、一人浮いてましたよね。話しかけてくれて、助かりました」

千弥子は一瞬意味が理解できなくて、ワンテンポ遅れて答えた。

「…いや、そうですか?私が話したくて、話しかけたんですよ」

「そう?…でも、磯木さんって、人をリラックスさせる何かがあるっていうか、昨日は誰とも話さずに帰るだろうと思っていたから、嬉しかったです」
そう言って、幹夫は笑顔を千弥子に向けた。

千弥子は、なんだか涙が出そうだった。
横柄な態度の享とは正反対すぎるほどの、謙虚で優しい幹夫。
男性に優しくされると今はきっとダメな時期なんだ、と思った。

ちょっと話題を変えたくなり、千弥子はおもむろに聞いた。
「あ、あの、幹夫さんは、信二さんとは何時代のお知り合いなんですか?」

どさくさに紛れて、千弥子は「熊野さん」から「幹夫さん」に呼び方を変えた。信二さん、という呼び名に合わせたように受け取ってもらえるだろうと、後付けの言い訳をすでにひらめいていた。

「あ…信二?信二は、高校時代の同級生なんです。部活、バドミントン部も一緒で」

「へぇ、そうなんですね。幹夫さん、バドミントン部だったんですね」

話を膨らませたいのに、千弥子はうまく会話を繋げることができない。
バドミントン部のことをさらに深掘りするのか、それとも違う話題に変えてもいいのか、よくわからない。急に、「人と話すのが苦手な人」になったような感覚だった。
昨日、居酒屋では話が弾んだのに。お酒が入っていないとダメなんだろうか、と千弥子は自分のコミュニケーション能力を疑った。

会話が途切れたところで、シャンプー台へ移動となった。幹夫に髪を洗ってもらいながら、幹夫さんが美容師さんでよかった、このまま眠ってしまいたい、と千弥子は思った。

顔を覆う布の隙間から、例の素っ気ないビジュアル系女性スタッフが閉店作業をしている様子が伝わってくる。閉店後に、2人で食事をして帰ることなんかもあるんだろうか、とどう考えても余計なお世話と怒られそうな想像をした。

ドライヤーで髪を乾かし、最後の微調整でカットしてもらうと、すっかりイメージチェンジした自分が鏡に映っていた。今まであまりしたことのなかったヘアスタイルだが、似合っていると思った。

「うん、すごくいいです。幹夫さんにおまかせしてよかった。ありがとうございます」

「それはよかったです」
そう言って、幹夫が穏やかな笑顔を浮かべた。

代金を払い、おつりを受け取った千弥子は、帰る前にトイレに寄ろうと思い、幹夫に場所を尋ねた。

「お手洗い、こちらをどうぞ使ってください」とお店の奥にあるトイレを案内された。

そこにあったのは、公共の施設やスーパーなどにあるバリアフリーのトイレで、それが一つあるだけのようだった。え、これ?と千弥子は少々拍子抜けした。

広々した空間で用を足しながら、なんとなく、このトイレはお店の雰囲気に合っていないような気がした。
おそらく3、40年ほど前に建てられただろう古いビルの中に、そこだけぽっかりと今時のユニバーサルデザインのトイレが収まっていた。

きっと水回りが老朽化していて、替えざるを得なかったんだろうな。
しかし、このトイレなら、車いすの人も入れるし、清掃等の管理面からも、なかなか合理的でいいかもしれない、と千弥子は思った。

お店の時計は、18時20分を回っていた。
閉店時間をだいぶ過ぎてしまったことに申し訳なく思いながら、
「今日は急だったのに、ありがとうございました。幹夫さん、今度お茶でも行きましょ」
と自分でもびっくりするくらい、自然と、誘いの言葉がこぼれていた。

そうするのが当然のような口調につられたかのごとく、幹夫は「あ、はい」と口走った。

次の瞬間、ビジュアル系女性スタッフがチラッと幹夫に目配せして、それに気づいた幹夫は、ちょっと困ったような顔で、女性スタッフの顔を見返した。
その微妙な雰囲気に、何か場違いなことを言ってしまったのか?と、千弥子は気まずい気持ちになった。
お礼を述べて、そそくさと店を後にした。

吉祥寺駅で、夕飯用のお惣菜を買って、JRに乗った。
美容室ではせっかくの楽しい時間だったが、最後のわずか数秒のやりとりで、なんだか気が削がれてしまった。

あのビジュアル系スタッフは、幹夫さんのことが好きなのかな。
まさか、付き合ってるとかじゃないよね。

帰宅後、買ったかぼちゃサラダと蒸し鶏と松の実のペペロンチーノをうわの空で食べた。

そのとき、LINEが来た。
幹夫からだった。

今日は、ありがとうございました。
LINEくれてたんですね。
気づかなくてすみませんでした。
また、お待ちしていますね。

たったそれだけだったが、文面を何度も読み返し、千弥子は枯れかけた気持ちがほんの少しだけ潤うのを感じた。

それにしても、この土日は、濃密だったと千弥子は振り返って思った。たった2日だが、5日間くらい経っているような気がした。

幹夫と出会ったおかげで、憂鬱だった週明けの出社———享と顔を合わせること———に、さほど思い悩むこともなく、気づいたら月曜日になっていた。

千弥子の勤め先は、9時半始業のため、千弥子は8時40分に家を出た。
会社は四ツ谷駅が最寄りで、駅から徒歩7分ほどの距離だ。
超満員とはいえ、久々の荻窪から四ツ谷までJR1本、乗り換えなしの快適な通勤ルートだった。

オフィスビルに着き、手前のエレベーターの上りボタンを押すと、3台ずつ向かい合った6台のエレベーターのうち、ランプ点灯とともに一番奥の1台の扉が開いた。それに急いで乗り込もうとしたとき、目の前に、享がいた。


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※この作品はフィクションです。実在する公共交通機関名、商業施設名が出てきますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。

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