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【小説】「共性する私たち」第1章

あらすじ
恋人と別れたばかりの31才の千弥子ちやこは、親友に誘われた合コンで、今までに出会ったことがないタイプの男性、幹夫みきおに出会い魅了される。しかし幹夫には、千弥子の想いには応えられない“ある事情”があった。
人が人を愛するとき、性別や性愛の境界で迷いながらも、その垣根を越えることはできるのか。


第1章

千弥子ちやこは、初めて幹夫みきおを見た瞬間に湧き上がった感情を、今でも忘れることができない。

「何だろう、この人…?抱きたい」

まさか。
男性に対して、ここまで能動的な性衝動に駆られたのは、31才にして、初めてのことだった。

千弥子は自分の感覚に戸惑った。
なぜなら、幹夫は、イケメンと呼ぶには程遠く、体格はガッチリとしていて、動物に例えるならゴリラのような体型なのだ。それなのに、顔だけを見ると、愛くるしいアザラシのような目元と優しいキリンのように長いまつ毛を持っていた。それが彼の体型にはアンバランスなようでいて、なぜかうまく調和した不思議なオーラを持っている、と千弥子は思った。顔はきっと彼のお母さんに似ているんだろうな、と思うほど、中性的な顔つきであった。

それに、幹夫に出会うまでの千弥子は———高校生から31才になるまで———体型もスマートな、いわゆるイケメンと言われるような男性とばかり付き合ってきた。

短くて3ヶ月、長くて3年。そんな恋のお相手が過去に5人ほど。

奇しくも幹夫に出会う前日に関係を終わらせたばかりのきょうは、社内恋愛で約2年続いた相手だった。会社の忘年会で隣に座ったことをきっかけに親しくなり、付き合うまでにさほど時間はかからなかった。

彼は、交際の記念日や千弥子の誕生日には、有名なシェフのいるトラットリアやフレンチの店を予約し、千弥子の好きなブランドのアクセサリーを絶妙なタイミングで贈る抜かりのない男だった。こんないい男を逃したくない、他の人に取られたくない、そう思うようになった千弥子は、最後の半年は、自分のアパートはそのままに、ほぼ享の家に住みつくような形で同棲生活を始めた。

千弥子としてはもう結婚するものと思っていたし、享も二言目には「どうせ一緒になるんだから」と言っていた。しかし、これが落とし穴だった。

一緒に暮らすようになって1ヵ月ほどが経つ頃、千弥子は、享の言動に違和感を持ちはじめた。

ある平日の夜、豚の生姜焼きを作り、レタスを敷いたお皿に載せてテーブルに運んだところ、ソファでスマホゲームをしていた享が立ち上がったと思ったら、食卓を一瞥し、

「俺さ、焼いた肉を、生野菜の上に載せるのはどうかと思うんだよね」と言い、冷蔵庫から納豆を出してきて、生姜焼きには手をつけなかった。
千弥子は料理が得意な方ではないという自覚があったので、え、レタスだめ?やらかした?と情けない気持ちで、一人で豚の生姜焼きを2日に分けて食べた。

また別の日。千弥子の故郷の母親より電話があり話していると、享はリビングのテレビの音量を上げて、「聞こえないんだって。あっちでしゃべってよ」と迷惑そうな表情で玄関を指さした。千弥子は、玄関ではなく、1LDKの居室にそそくさと退避した。

さらに肌寒くなってきた頃、「ちょっと風邪引いたかも。今日は仕事休むわ」と千弥子がいうと、
「え、その程度で休むの?…てか俺、来週出張だから絶対移さないでね」という言葉を返してきた。

一緒に暮らすようになってもなお享にベタ惚れだった千弥子だったが、さすがに、少しずつ少しずつ、自分に対する態度が冷たくなっている、雑になっている、と思うには十分な扱いだった。享は同じ部署の1年先輩で、社内で2人の交際は隠しており、会社の誰かに相談するわけにもいかなかった。普段から出勤や退勤時も時間をずらして、親しくしている様子も周りに見せないよう努めていた。

千弥子は、大学時代からの親友である佳奈に相談することにした。佳奈には、3ヵ月前に享のノロケを聞いてもらったばかりだったが、そんなことを恥じたりする間柄ではなかった。

「チャコ、それモラ男じゃないの。別れた方がよくない?」

仕事帰りに待ち合わせた居酒屋で、千弥子の話を聞くやいなや、テーブルにはまだお通しと枝豆のみ、ジョッキのビールが半分残った状態で、佳奈は潔く判決を下した。

その判決に対し、千弥子は素直に従う気にはなれなかった。それは、「モラ男」だと気づく前の、優しい(男を演じていたであろう)享との思い出がまだ過去のものにはできそうもなく、また、社内で彼と気まずくなることへの不安、そして、31才という年齢。結婚を意識していただけに、腰はかなり重かった。

しかし、それからも享は、連絡もなく帰りが遅くなる日が続き、千弥子が作っておいた夕飯を冷蔵庫にも入れず、そのまま食卓に放置していることに気づいたある朝、ふと、

「彼とは仮に結婚はできたとしても、子どもを一緒に育てることは無理かもしれない」

と急に悟った。そして、もうこれ以上自分のことも悲しませるのはやめようと離れることを決めた。決めてみたら、早くしなきゃ、と焦りさえ湧き始めた。

「これが、目が醒めたってやつか」と千弥子は独りごちた。
千弥子は決めたら行動が早い。髪を切りたいと思えば、当日中に切らないと気が済まず、場合によっては、行きつけではない美容室に駆け込むこともあるのがいい例だ。

時刻は19時40分。「今自宅に戻れば、享に会わないで済むかも」。
千弥子は、置いていた洋服や化粧品、ちょっとした雑貨などを、持参していたトランクに一心不乱に詰めた。全てが収まったトランクを見て、「もう、いつでも出て行けるよ」と背中を押す自分の声が聞こえた。歯ブラシはまだ使えたが、ゴミ箱に捨てた。「今までありがとう、さよなら」と置き手紙を残しかけたが、感謝の言葉は、いい女ぶりたいだけかもしれないなと思い直し、紙を丸めた。何も書くまいか。いや、黙っていなくなるのは、ただ逃げ出すみたいで癪に障る気がした。確固たる意志を持って出ていくのだということを示したかった。「バカヤロウ」とか「地獄に落ちろ」というような恨み言のひとつでも書いてやりたい気もした。しかし、彼は同じ職場だ。最終的にはきれいな引き際を選ぶのが得策だと思い、「お世話になりました」とだけ書いたメモを食卓に残した。
施錠後、封筒に入れた合鍵を新聞受けに入れ、半年間暮らしたマンションを出た。

マフラーが恋しい11月の金曜の夜、享が帰宅する前に、半年暮らした桜上水から京王線に乗り、新宿でJRに乗り換え、自分のアパートのある荻窪へ戻った。時計は21時を回っていた。

2週間に1回は自宅に洋服を取りに帰っていたので、久しぶりではなかったけれど、半年ぶりに帰宅した感覚だった。

「ただいま」と言える自分のアパートを残しておけたのは、住宅手当のある会社にいたおかげだわ、と千弥子は今日ほど自分を褒めたいと思ったことはなかった。

千弥子は、地元岡山から京都の大学に進み、卒業後、東京のIT企業に就職した。グループウェアと呼ばれる、企業の業務効率化を推進するシステムを開発・展開する会社で、福利厚生の充実した会社だ。千弥子はその営業部で、営業事務をしている。享はおもに既存の取引先を訪問する営業マンだ。

家賃補助がなければ、もったいないからと、アパートを解約していたかもしれないという金銭面と、住宅手当に必要な手続きを総務に提出している関係上、住所変更届を簡単には出せないことが軽率な行動の抑止力になったという面で、とにかく会社にも感謝である。

半年ぶりに自分だけのベッドに倒れこみ、ホッとしたのもつかの間、急に虚しさと情けなさが襲う。楽しみに描いていた享との未来の映像がパツンと途切れたこと。見る目のない自分への落胆。そして、享という男には未練はないはずだが、モラハラ男だったと気づく前の、まだ楽しかった頃の思い出の延長線上にある幻の未来には未練があった。結婚したかった。

31才。また一から誰かと出会って、恋をして、お互いのことを知っていって、関係を深める。その一連の作業が、振り出しに戻ってしまい、気が遠くなるような気がした。千弥子は、今年中に結婚を決め、35才くらいまでに子どもを2人くらい産めたら、という勝手なライフプランを立てていたから。

次の人にはいつまでに出会えばいいのだろう…というか、出会えるのだろうか。

そんなことを考えているうちに一人ベッドで眠りに落ちていた。

翌土曜日、9時過ぎに目が覚めた千弥子は、享の部屋を出たことが夢じゃないことを記憶を頼りに確認し、安堵と無気力でぼんやりと天井を眺めていた。力が湧かず、起き上がることができなかった。よく考えたら、昨晩は夕飯を食べていなかった。スマホを見たが、享からの連絡はなかった。2年も付き合って、そのうち最後の半年はともに暮らしていた彼女が出て行ってもそんなものか、と可笑しくなった。一緒にいた時間はなんだったんだろう。千弥子はどこかで「俺が悪かったよ、帰ってきてほしい」と享が言うのを期待していたことに気づいた。しかし、享はプライドの高い男だ。そんなことを言う人ではないし、そう言ってもらえる関係性もすでになかった。よって落ち込む価値などないと思った。

「私、享の何が好きだったんだろ」
離れてみて、さらにわからなくなっていた。そのことが、情けなさに拍車をかけた。

千弥子はやっと起き上がり、冷蔵庫の中の炭酸水のペットボトルを開けて飲んだ。

「あー、飲みに行きたいな」
そうつぶやいて、すぐ佳奈にLINEを送った。

「ついに享と別れた。今夜空いてたら大至急飲みに付き合ってくれ」

2分後に返信があった。

「今すぐ飲みに行こうと言いたいところなんだけど、実は私、今日合コンなの。あ、てか、チャコも行く?」

千弥子がスマホ画面のメッセージを読み終わるやいなや、佳奈から電話がかかってきた。

「チャコ、ついに別れたんだね。前、飲みに行ったの1ヵ月前くらいだよね?いやぁ、がんばったね」
佳奈にそう労われ、千弥子はちょっと涙ぐみそうになった。

「佳奈、ありがとう。でも実は私、あの時、モラ男だから別れたほうがいいって言われても、素直にそうだなって思えなかったんだよね。なんか悔しい気持ちっていうか、認めたくなくて。あ、佳奈に対して悔しいとかじゃないよ?」

「うん、わかってるよ。私に対して悔しがる理由ないでしょ」

そう言って電話の向こうで笑う佳奈は、かれこれ5年ほど彼氏がいないようだった。
仕事が恋人の彼女は年中忙しくて、休日出勤をすることもザラにあり、誘っても会えないこともある。佳奈は、愛知の出身で、同じ京都の大学を卒業後、大手総合旅行代理店に就職した。店舗勤務から25歳で本社の海外旅行の手配チームに配属され、去年、チームの副リーダ—に抜擢されたようだ。取引先との関係構築を任されることもあるようで、さらに仕事との関係を深めているようだった。

「それでチャコ、今日私ね、会社の先輩が異業種交流会という名の合コンを開催してくれるっていうんで、行く予定なの。男女5人ずつで、全部で10人くらいなんだけどね、ちょっと先輩に男性も1人増やせないか聞いてもらうから、チャコも行かない?」

「あ、うん、佳奈や先輩に迷惑がかからないなら…ぜひお願い。気分転換になりそう」

享と付き合う前は、千弥子もよく合コンに行っていた。佳奈とも大学時代には一緒に“参戦”したこともある。初めましての他人同士が、時間と場所限定で互いに関心を持ち、とは言え、なんの義務も責任もなく、お酒に頼って、くだらない世間話が許されるあの空間を、今の千弥子は確かに欲していた。

「あ、男性陣はね、起業家とか社長なんだって。たぶん一人くらい当日でも増やせるでしょ。夜7時から、新宿で。どうしようか?チャコ。たぶん参加できると思うんだ。えーと今2時半か。今から新宿でお茶でもする?」

「佳奈、いいの?今からネイルとか、ヘアセットの予約とかしてない?」

「できる女は、ネイルは前日までに済ますよね。ヘアセットはさすがにしないだろ」

千弥子と佳奈は笑い、15時過ぎに新宿のカフェで会う約束をして電話を切った。

そして、19時。
待ち合わせは、新宿歌舞伎町の完全個室の海鮮居酒屋。入り口で千弥子は、飛び入り参加の手配をしてくれたお礼を佳奈の先輩、かおりさんに述べた。男性側の幹事は、信二しんじさんと言って、香さんの大学時代のスキーサークル仲間だという。2人とも健康的なルックスだな、と千弥子は思った。こんなに爽やかな2人が———佳奈の先輩ということは、私たちより年上だけど———まだ独身なんだな、ということに千弥子はホッとしていた。彼にも平身低頭、感謝を伝えた。

男女6人ずつ向かい合わせに座り、男性陣から順に、自己紹介をしていった。
事前に聞いていた通り、彼らは脱サラして自身で事業を興していたり、フリーランスのカメラマンやWEBデザイナーなどで生計を立てているらしかった。なんとなくあか抜けている彼らを眺めながら、「ちょっと街に出れば、こんなに出会いがあるんだから、享にしがみつく必要なんてこれっぽっちもなかったか」と無意識に自分を励ましていることに千弥子は気づいて、可笑しくなった。

男性の最後の一人が緊張した様子で話し始めた。
熊野幹夫くまの みきおです。僕はいきなり今日呼び出された補欠です。美容師やってます」と伏し目がちに自己紹介をした。

幹夫が顔を上げると、千弥子と目が合った。
千弥子の内側に、形容しがたい感情が生まれた瞬間だった。


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※この作品はフィクションです。実在する公共交通機関名、商業施設名が出てきますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。

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