写真の中の笑い声(21)兆し|自習室に来なくなった彼女と、白血病の知らせ
携帯電話がまだ手元になかった時代、学校の違う僕らの約束は、いつも少しだけ曖昧でした。
放課後、いつもの自習室で待っていても、ほのかが来ない日が続く。
やがて母の口から知らされた「入院」と「白血病」という言葉が、当たり前に続くと思っていた二人の時間を、静かに変えていきます。

携帯電話なんて、少なくとも、僕らの手元には、まだ、なかった。
学校の違う僕らが、こまめに連絡を取り合う、なんてことは、できない。約束は、いつも、ざっくりしていた。放課後、いつもの自習室で。それくらいの、ゆるい待ち合わせ。
だから、最初は、なんとも、思わなかった。
――あれ。今日は、来てないな。
そんな日も、たまには、ある。そう思って、一人で勉強して、帰った。
でも、次の日も、ほのかは、来なかった。その次も、来なかった。
さすがに、おかしい。
でも、学校が違う。家に電話をかけても、なんとなく、つかまらない。僕には、確かめる方法が、なかった。
そんな、ある日。
母が、ぽつりと、言った。
「白石さんとこのほのかちゃん、入院したらしいよ」
心臓が、ひやりと、した。
でも――そのときの僕は、まだ、そこまで、悪いとは、思っていなかった。
入院。きっと、しばらくしたら、退院して、また、あの自習室に、ひょっこり、戻ってくる。早く、よくなればいい。本当に、その程度に、しか、考えられなかった。
いま思えば、あれが、最後の、のんきな時間だった。
病名を知ったのは、その、少しあとだ。それも、母からだった。
ほのかのお母さんが、うちの母に、相談していたらしい。
白血病。
その三文字が、軽いものでないことくらい、高校生の僕にも、分かった。しかも、あまり、いい状況では、ない、と。
あの、けたけた笑う、ほのかが。逃げてばかりいた僕を、笑って、肩を叩いてくれた、あのほのかが。
頭の中が、まっしろに、なった。
正直に言うと、あの秋から冬にかけての記憶は、いまも、ところどころ、ぽっかりと、抜け落ちている。たぶん、僕の心が、覚えることを、拒んだのだと思う。
でも、ひとつだけ、はっきり、覚えていることがある。
白血病、と聞いた、そのあと。僕は、もう、黙っていられなかった。
母に、ほのかが、僕にとってずっと大切な人だったことを、打ち明けた。そして、病院を聞いて――その足で、会いに、行った。
彼女の町まで三度行って、三度引き返した、あの僕が。手も、つなげなかった、あの僕が。
今度ばかりは、ためらわなかった。
病室の、ほのかは。
いつもの、笑顔で、迎えてくれた。
「なんで、来たん」なんて、口を尖らせながら。でも、その目は、うれしそうだった。
僕が、何を言えばいいのか分からずに立っていると、ほのかは、点滴の管を、ちらりと見て、肩をすくめた。
「なに、その顔。うちは、いま、これに、つながれとるだけじゃけぇ」
そう言って、けらけらと、笑った。
僕も、つられて、少しだけ、笑った。
その笑い方が、あんまり、いつものほのかだったから。余計に、胸が、痛くなった。
ただ――その笑顔の、向こうに。あまり、よくないんだろうな、ということは、なんとなく、感じ取れて、しまった。
それでも、ほのかは、ほのかだった。
ベッドの上から、僕に、びしっと、発破を、かけてくる。
「うちは、ぜったい、よくなるけぇ。それで、一年遅れて、後輩として、神戸に行くけぇ」
「じゃけぇ、しょうくんは、ぜったい、合格せんと、ダメよ!」
……まいった。
病気なのは、ほのかのほうなのに。心配されているのは、僕のほうだった。
二人で神戸へ行こう、と話していた、あの夢を。ほのかは、「後輩として、追いかける」夢に、書きかえて。そうやって、僕の背中を、前へ、押し出そうと、していた。
僕は、できるだけ、いつもの調子で、笑って、うなずいた。
「分かった。先に行って、待っとるけぇ」
それから、僕は、何度か、見舞いに、通った。
行くたびに、ほのかは、あの、くしゃくしゃの笑顔で、迎えてくれた。そして、行くたびに、僕の受験の心配ばかり、した。
僕は、その笑顔を見るたびに、思い込もうとした。
大丈夫。きっと、よくなる。また、あの土手で、片耳ずつ、音楽を、聴ける日が、くる。
――そう、信じようと、しながら。
*
♪ 今回のBGM:終わりなき旅(Mr.Children)
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