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きみたちがまだ知らないこと【9】2025創作大賞 #恋愛小説部門

 次に俊に会ったのは、クリスマスも近づく初冬のことだった。

 明るい青空の五月から、瞬く間に季節は過ぎていき、すずなは神戸で初めての冬を迎えていた。街灯を吹き抜ける風が落ち葉を運ぶ。バイト帰り、洗い物にさらされた手を、すずなは軽くもみ合わせた。
 そろそろ、手袋を買わなくちゃ。
 息を吹きかけた手が、心もとなさそうに震えた。ふと自転車をひっぱりながら視線を上げると、右のはるか向こうに、イルミネーションがちらちら見えた。
 折しも昨日、島からハガキが来ていた。クリスマスツリーにレース模様があしらわれたハガキには、こうしたためられていた。
 
 すずなちゃん。元気にしていますか?
 毎年恒例のクリスマス会です。都合ついたら、ぜひ来てくださいね。
 みんな待っています。
職員 子どもたち一同
 
 毎年、島の子どもたちは、地域の人たちに教会で合唱と合奏を披露する。そのあと、手作りのクッキーやパンを売り、夜はささやかな晩餐会を行う。先生たちからの、ちょっとしたプレゼントもある。毎年、卒業生には、教会でのコンサートと晩餐会の招待ハガキが送られてくる。
 高校生になってからは、すずなも宛名書きや印刷を手伝ったものだった。宛先を書きながら、北海道や九州のものを目にすると、ずい分遠くへ行っちゃう人もいるんだなぁ、と不思議な心持ちでそれを眺めていた。
 それを、今年からは自分が受け取ることになったのだ。すずなは、なかなか温まらない手をカップに添えながら、小さなテーブルに置かれたそれを眺める。少し、遠まきに。

「行こうかな」

 口に出してみる。だれもいない部屋で。口に出したら、何も躊躇する理由などないように思えた。みんなにも会いたかった。

 
 教会の入り口には、クリスマスツリーが飾られていて、人々を温かく迎えていた。まるで一般の地域の人みたいに、流れに沿って教会の入り口をくぐる。聖歌隊に扮した子どもたちは、みな白いサテンのケープをひらひらさせながら、ステージに出てきた。
 最後に、俊が襟のびしっと立った白シャツに黒いスーツ姿で出てきて、聴衆に向かっておじぎをした。思いの他、似合ってる。すずなは、他のお客さんと共に拍手する。
 クリスマス会では、最年長の子が指揮をするのが、習わしになっていた。
たぶん、厳しかっただろうな。見てもいないけれど、指揮棒をたたいて、声が出てなーい! と激を飛ばす俊の姿が想像できる。俊を見つめる子どもたちの目も、心なしか緊張して見える。

 子どもたちの声は、溶け合って、透き通って、教会の天井に向かって吸い込まれていく。あぁ、こんな風だったのか。すずなは、全く別の感慨を持って、その声に身をゆだねた。
 去年まで、自分もその中に混じっていたのか。それがどんなに無知で幸せなことだったのか、外側から目にして今、改めて思い知った。それほどに、今現在のすずなはひとりだったのだ。

 歌を聴きながら、すずなは普段の自分の生活を思い浮かべた。バイトをして、帰ってきて簡単なご飯を済ませて、勉強して。休みの日にまとめて洗濯をして買い物して。遊ぶ友達もいなくって。最初のころこそ、さみしくて耐え難かったのに、すっかりひとりが当たり前になってしまった。知らない間に、孤独に慣れていたのだ。聖歌隊の声が、高く響く。頭を突き抜けるように。
 目の前の、つい去年まで一緒に暮らしていた仲間たちを見てはっとする。
 孤独に慣れた? いや、ちがう。孤独に、慣れるフリをしていたのだ。
 ここにいる仲間たちとは、もう遠く離れてしまった。帰ってきた、という感じもしない。帰る場所は、自分にはないのだ。

 ひとり部屋で島に行くのを躊躇していたことを思い出す。そのためらいは、今はっきりとした形となってすずなの前に現れた。

 その後も、どういう顔をしてそこに居ればよいのか、分からなかった。子どもたちの中には、すずなちゃん、と言ってかけよってきてくれた子もいたけれど、何となくよそよそしい対面になってしまった。相手にも、すずなの心の距離感が分かってしまったのかもしれない。ここの子どもたちはみな、人との距離感には敏感だったから。

「元気ないのな」

 子どもたちの作ったパンとクッキーを一つずつ買って立ち去ろう、というとき、俊が近寄ってきて、そう言った。

 ざわつく教会の出入り口付近で、俊のたたずまいだけが、くっきり見えた。彼はスーツを脱いで、普段の格好に戻っていた。脱いじゃったんだ、と言ってから、その言葉が返事にも賞賛にもなっていないことに気づいた。何だかとんちんかんな受け答えになってしまって、内心、慌てた。人と会話することすら、下手になってしまったかのようだった。

俊は小さくため息をつくと、そんなすずなの気持ちを軽く転がすように笑った。
「どうだった、おれの晴れ姿。けっこう、サマになってただろ」
 そう言って、胸元でグッドサインを出した。
 顔を上げると、なつかしいいつも通りの俊がいた。パーカーの首元を、くしゃっと気崩して。彼は、わしゃわしゃっと笑った。やえ歯がちらっとその口元からのぞいた。

 そのとき込み上げてきたものを、どう表現したらよいのだろう。
なつかしさ? 安心感? それとも、切なさ。
 まるで小さい子どもが親にしがみつきたくなるような衝動を覚えて、けれど、そうする訳にも行かなくて、じっと床を見たまま、こぶしを握った。
 もうすぐ、晩餐会が始まる。じき、行かなくてはならない。船だってなくなる。ましてや、もしこのままここから立ち去らなかったら、もう二度とあのひとり暮らしのアパートへ帰れなくなる。このまま、この場所のあふれるような光と温かさにのまれるわけには、いかないのだ。
 そんな頑なな心が、ますますすずなの拳を固くした。

「……どうした?」
 俊が、顔をのぞきこむ。すずなはそれをさけるように深くうなだれた。
「すずな?」
 名を呼ばれるのとほぼ同時に、すずなは振り切るように言った。
「もう、行かなくちゃ」
 髪がばさっと音を立てそうなほどに、思い切って顔を上げた。大丈夫。泣いてない。
 俊は、びっくりしたようにすずなを見つめ、少しの間をおいてから瞬きを二回した。そして、ぽそりと言った。
「送ってくわ」

 
 一体、どこまで一緒に行くのだろう。
 ぼんやりした頭でそう思ったときには、すでに神戸の町中を山方面へ向かって歩いていた。島の先生たちにあいさつをしたのかどうかも、覚えていない。ふらりと島を出て、すずなと共にここまで来てしまった俊さえも、今、なぜこの道を二人で歩いているのか分からないといった様子に見えた。
 あぁ。すずなは、白い息を吐きだして思った。まるで、わたしと俊の、一番最初の旅の始まりみたいだ、と。二人で施設を抜け出してきてしまったあのときみたい、と。
 もちろん、今はもう小さな子どもではなくて、行き先ははっきりしている。けれど、住所としての行き先ではなくて、存在としてのわたしたちは、あの頃とそんなに変わらないんじゃないか。そう思った。確かなものは、何もない。これから向かう一人暮らしのアパートも、この町も、まだ自分の居場所というほどのものじゃない。俊だって、そうだ。こうして一緒に歩いてくれているけれど、わたしたちは恋人でも家族でもない。いつか自然に道が分かたれていく、ただの旅人同士なのかもしれない。今、この瞬間は、もう二度とないかもしれないのだ。
 ふいに、手をつかんでいた。俊の手を。

「俊」
 勢いにまかせるように、すずなは全く今の瞬間まで思ってもなかったことを口にした。
「どうせなら、イルミネーション、通っていこう」

 不安だったから、手をつかんだ。島のみんなといても、俊といても、自分は全く孤独だということ。それを、さとられたくなかったのだ。

 
 イルミネーションは、街路の頭上に、高く門のように掲げられていた。いくつもの光の門が弧を描き、ずっと向こうまで続いている。幾重にも重なった光の門。
 あまりのまばゆさに、すずなは感嘆の吐息をもらした。俊も、目を見開いて見とれている。ゆっくり歩きだすと、真っ暗な夜空に浮かぶ光のアーチは、次々とすずなと俊の頭上に現れては流れ、また現れた。不思議だった。次々と光をくぐっていくような、いや、光の門の方がゆっくり流れていくような感覚。
 人混みに押されたり、押し戻されたりしながら、ただ二人で次々と現れる光を見上げて、たゆたうように歩んだ。初めは、歓声を上げているカップルの声が耳についたが、じき、それも聞こえなくなった。降りてくる光のシャワーに包まれている。
 いつしか、俊と手は離れ、ひとり光に向かって昇っていくような心持ちがしていた。それまで感じていた孤独も忘れて、そばに俊がいることさえ、忘れていた。アーチが終わりに近づくにつれ、人の流れはまばらになった。すっかりがらんとした通りの真ん中で、すずなと俊は、最後のアーチを見上げていた。翼を広げて天に昇っていく天使がモチーフになっていた。翼を広げ、高くどこまでも、飛んでいく。暗い夜空に目をやると、天使は空に写って、さらに高みへと消えていった。

 俊、わたしたち、自由だよー!
 いつしか、船の上で無邪気に叫んだ自分の声が聞こえた気がした。

 そっと、隣の俊を見た。俊は、じっと上を見上げたまま、ひとつ、つばを飲み込んだ。
「おれ、ここにするわ」
 発した言葉の意味を図りかねて、え、と声にならないくらいの声で聞き返した。
「来年から、この町に住む」


 
 こうして、次の年の春、俊はこの町にやって来た。
 彼は、いくつか物件を探して、すずなのアパートにほどなく近い物件に決めた。

 どうしてあのとき、この町にする、って決めたの。引っ越しが落ち着いて、二人でそばを食べているとき、そう聞いた。
 俊は、ずずず、とそばをすすりながら答えた。
「守ってくれそうな? 感じがしたから、かな」

「イルミネーションを見て?」
 そのあいまいな感覚がすぐに理解できず、聞き返した。
「祈り、を感じた、っていうか」

 祈り。それは、何となく分かる気がした。
 わたしたちは、いつも祈っていた。
 島でも、もしかしたら、学校の教室の片隅でも。
 自分たちの存在が、あばかれませんように。
 いじめや差別などにあいませんように。
 そして――昔、負った傷を隠し通せますように。
 そんな、言葉にしてはならない祈りで、自分の身の周りを覆っているような感じがした。そして、その感覚は、俊も持っているのだ、と暗黙のうちに確信していた。わたしたちを守ってくれるものは、何もない。だから、沈黙の祈りでもって、自分たちを守らなくちゃいけない。

 神戸のイルミネーションは、大震災で亡くなったひとたちの鎮魂と、都市の再生への希望をこめてはじめられた、とどこかで聞いた。光で彩られた町の光景に祈りを感じた。それは、島を出る俊にとって、少しでも心のよりどころになりうるものだったのかもしれない。すずな自身、あの光のアーチを見て、それまでの孤独を一瞬だが忘れることができた。

 あのときは。そのあと、俊は続けてこう言った。とても、すずなをひとりで帰せない、と思ったから。
何も考えずに神戸までついて来てしまって、帰りの船はもうない、と知ったとき、二人とも途方に暮れてしまった。
仕方なく、すずなのアパートに泊まることになった俊は、前来た時よりひと回りくらい小さく肩をすぼめて玄関に入ってきた。
 なんか、ごめんな。
 何が。
 送ってくわ、とかゆっといて。
 すねたように口をとがらせて目線をそらした彼は、まるで小学生の頃に戻ったみたいだった。けれど、目線をそらし続けていたのは、自分の方だったかもしれない。すずなは、その不思議な夜のことを思う。いざ、俊が泊まる、ということになって、そうか、男の子がうちに泊まっていくのか。と、何か異質な硬いものを自分の内に認めた。かけるよ、と言って受け取った厚手のジャンパーは、思っていたよりごわごわしていて、ハンガーにうまくかからなかった。格闘していると、ふわっと普段かいだことのない匂いがした。俊の、男の匂いだ。すずなは、それにふたをするように、勢いよくジッパーを上げた。

 とても、すずなをひとりで帰せない、と思ったから。

 もし、その言葉をその場で聞いていたら、もっと違ったんだろうか。自分の顔を見もしないでそういった俊。その場面を思うと、不本意ながらに、頬がゆるむ。からだの、どこか自分でも意識していない部分がほっと温まって、上へ上へと上ってくる。そしてそれは自然とすずなの口角までをそっと突き上げる。いけない、と思って、すぐに口を引き結んで顔を整える。まるで気づかなかったかのように、素知らぬふりをする。

 ぎこちなかったその夜、俊が寝床のロフトに収まって、すずなは、やっとほっとリラックスできた。きっと、俊もそうだったのだろう。寝ころんだ瞬間吐き出された大きなため息が、それを物語っていた。

 ふんわりと、漂うようにそばにいる。
 それが心地いい。そんな風に思って、俊は近くにやってきたんじゃないだろうか。
 
                            ©Ai Shimizu

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