見出し画像

きみたちがまだ知らないこと【6】2025創作大賞 #恋愛小説部門

 海沿いにあるひなびた民家は、ほどよく磨かれて畳と木の香りがする。
古い柱時計の振り子が規則正しく左右に揺れている。
 もう、三時間。

 俊は、奥の和室で眠りこけている。開け放した縁側から、時おり風が舞い込んで、壁のカレンダーのすそをめくる。その厚い紙のぱらり、とめくれる音がまた眠気を誘う。

「そろそろ、お昼だよー」
 明るい声でお姉さんが、家全体に向かって声をかけた。大学生だろうか、二十歳くらいの彼女は、名を有里さんと言った。

 船着き場近くで再会した男性は、医師だった。フリーの立場で全国の病院や診療所を転々としながら、民泊を泊まり歩いていると言った。彼は自転車をすずなに預けると、俊を背負って、島でただ一つのこの民泊へ連れてきてくれた。
 昔は漁師の家だったという民家は、入ってすぐに広い土間があり、二階建ての部屋はすべて和室だった。

「疲れと、熱さと。あと、少しのどが赤いから風邪だね」
 若い男性の医師は、森岡佑(たすく)と名乗った。向かいの岡山県の病院で働いていて、今朝はちょうど夜勤明けで、島に戻ってきたという。
 佑さんは、俊の診察と熱さましの処置が終わると、この島には病院がないから、ここへ寝泊りして非番の日は島の人も診たりするんだ、と言った。そして、でもまさか旅行中の患者さんが飛び込みで診察に来てくれるなんてね、と笑った。

 島の人を診るときは、たいてい佑さんの方から出向くのだという。そうそう、だから佑さん、ここに住んでるんだか住んでないんだか分かんない時ある。有里さんが笑った。

 食卓にそうめんを出すと、有里さんは階段の下まで行って、早く来ないとそうめん食べちゃうよー、と上に向かって声を張り上げた。
 もう一人上にいるんだけど、仕事にキリがつかないとなかなか顔出さないんだ、と言って彼女はちらっと舌を出した。
 そのもう一人は、すずなたちがそうめんにはしをつけかけたとき、やっと下りてきた。背の高いやせ型で眼鏡の、これもまた若い男性だった。

「こちら、鮫島圭太さん。ウェブデザイナー」
 有里さんが手を差し向けると、圭太さんは無表情のまま、短く、ども、と言った。
 そして食卓についてから、やっと、で、誰? とたずねた。
 有里さんが、すずなちゃんと俊くん、と紹介する。
 ここまでの流れを全く知らない圭太さんは、少々いぶかしげに奥の部屋で寝ている俊に目をやった。その視線に気づいたのか、佑さんがこれまでの経緯を圭太さんと有里さんに話す。

 姉弟で、島に渡って。姉弟という嘘の響きがすずなの鼓動を速める。おばあちゃんの家へ。そのおばあちゃんの家など、どこにもない。すずなは、そうめんを口にしながら話を聞き流そうとするが、いちいちひっかかってしまう。そうめんはちっとものどを下りていかなくて、時々吐き戻しそうになってしまう。ついに、すずなは静かにはしを置いた。
「もう、おなかいっぱい?」
 有里さんが、すずなの顔をのぞきこんだ。
 そんな簡単な問いにも、答えられなかった。
 

 相当、疲れていたのだろう。目覚めたら、ここがどこだか分からなかった。
 開け放たれた窓からは、相変わらずぬるい潮風が吹き込んでくる。
 昼間のそれよりは若干爽やかさがなえて、よりまどろみを誘う。
 風に夕日の気配が含まれているからだろう。
 寝てしまったんだ、と気づくのにしばらくかかった。
 畳に転がって意識を失うかのように眠ってしまったのだ。何だか、手足がばらばらな感じがする。
 重たい腕を持ち上げてほおをなでると、畳のあとが写っていてぼこぼこする。
 隣では、俊が相変わらずほてった体を横たえている。外ではカナカナカナ、とヒグラシの声がする。

「目が覚めた?」
 麦茶の入ったグラスを持って、有里さんが台所からやってくる。カランカラーン、と氷が転がるように涼しい音を立てる。
 あぁ、そうか。わたしと俊は、夕日に照らされた小舟のようなこの場所で、休んでいるのだった。ここまでの冒険が、遠い昔のことのように思われた。時間は不思議とのびちぢみするものだ。

 はい、と差し出された麦茶を、一気に飲み干した。くちびるに、グラスの底から転がり出てきた氷が触れる。しびれるように冷たい。

「俊くん、まだ熱、下がらないみたいね」
 氷まくらを引き抜いてから、俊の額に手を当てて、有里さんは言った。

 このままずっと、俊は目を覚まさないのではなかろうか。
 あるはずもないそんな景色が、ぼんやりとすずなの頭を覆っていく。
 俊は、ずーっとずっと、この畳の部屋で眠り続け、わたしは、俊が目を覚ますのをじっと待っている。
 息を潜めて見つめているのは最初のうちだけで、やがて俊がずっとそこでそうして生息することが自然のようになっていく。
 外からは、やさしい潮風が吹き込んでくる。
 潮の匂いにまかれるように、ここで待つ、というゆったりした時は行きつ戻りつ、まどろむように過ぎていく。
 気づくとそれはもう何週間、何か月、そして何年かになっていて、いつしかすずなは有里さんたちと何年も暮らしている。

 そんなありもしない物語が、ひたひたと自分の中に満ちていく。
ここに流れる時間、そして空気には、そんな気配が潜んでいた。そしてそれは、ここに居ついている三人の若い人たちの間にも何となく漂っているように感じた。
 ここなら、どれだけ居ても許される。そんな気がした。

 だから、自然と言えたのだろう。
 しばらく、ここにいていい? と。

 昼寝から目覚めてすぐ、まだほてった体のまま、すずなはその思いを口にした。俊がよくなるまででもいいから、ここにいたい、と。有里さんは、少し動作を止めてから、小さくうなずいた。そして、ほかの二人にも言っとくね、と言った。

 夜になって、やっと俊は目を覚まし起き上がってきた。ここどこ、と目をぱちくりさせる俊に、すずなは熱を出してここへ運び込まれた経緯を話し、有里さんはここに暮らす人たちを簡単に紹介した。

 紹介と言えば、どこから来たとかどうしてここにいる、という自己紹介は、ここでは不要なように思われた。
 三人とも、お互いのそれまでを知らない様子だった。年齢さえも。つかず離れずで、お互いのことなど詮索する様子もなく、かといってまるで無関心というのでもない。
 ただ、日々のごはんとかお風呂の順番だとか、心地よく暮らすための決まりごとに関して会話を交わし、あとはそれぞれのペースで動いている。
 人に対する強制やしばりは、いっさいない。
 たった三人ではあるが、その自由な空気感は、すずなが今まで経験したことのないものだった。

 家族、学校そして施設。いつでも誰かその場の雰囲気を支配したり、権威を示す人がいて、その場の空気に沿わなければならない。
 それがない。こんなに自由に暮らす人たちがいるんだ。
 ここへ来てそれほど時間はたっていないのに、すずなにとってもその距離感は心地よく、すぐにその空気になじんだ。


 有里さんは、気づけばいつも手に一眼レフのカメラを持っている。俊の熱が落ち着きつつある翌日のお昼、再びそうめんをすすりながら有里さんは言った。
「あたしね、全国の祭りをカメラに収めるのが夢なんだ。ほれ、これ、見てみ」

 差し出されたカメラの液晶をのぞきこむと、顔に白い化粧をほどこした男の子の顔のアップや、躍動的に跳ね上がる若者の姿などが映し出された。
「これ、いい瞬間でしょう。ゲキシャ‼ ゲキシャ‼ 人生、ゲキシャの連続よー」
 そう言ってほくほくと笑った。
 そして、まだ微熱があるにもかかわらず夢中でそうめんをすする俊の横顔に、カメラを向けた。カシャ、とシャッター音が響き、有里さんは、ゲキシャ、とつぶやいた。ええー、やめろよー、とすでにくだけた口調の俊に向かって、有里さんは肩をすくめて笑った。それから、だってすごくいい横顔だったんだもん、と言った。

 ふと思ってもみない瞬間に、有里さんのシャッター音が聞こえる。あ、と思ってももう遅い。風呂上がりの無防備な姿。スイカの種をとばしたときのひょっとこみたいな顔。意識してない瞬間をいつも狙われた。だって、こういう年の子近くにいなかったから。かわいくって仕方ない。ころころ笑いながら、そんなことを言うのだった。

 夕暮れ時、縁側にひとり座って海の方を見ていたときのことだ。風に吹かれっぱなしのぱさぱさの髪をつまむ。くせが強くて、ごわごわの髪。すずなは、自分の髪が嫌いだった。
 カシャリ。
 シャッター音が響いた。音のした方を見ると、カメラを構えた有里さんと目が合った。なぜだか分からない。その瞬間、自分の中に熱くて凶暴な何かがふくらんできたのを感じた。すずなは、有里さんの真正面まで乱暴な足取りで歩んでいくと、カメラにつかみかかるように手を伸ばした。

「消して」
「え?」
「消して、消して、消して―――っ」
「ど、どうしたの、すずなちゃん」
 有里さんはカメラをかばうように高くかかげてしまい、もうすずなの手にそれは届かない。必死に、消して、と言いながら、凶暴な怒りに似た感情は、悲痛な叫びに変わった。もうこれ以上続けたら、泣き出してしまいそう。

「分かった分かった、分かったから」
 すずなの反応に、まだ気持ちが追いつかないのか、びっくりしたように目を見開いている。そして、ほっとひとつ大きくため息をついてから、言った。

「どうしてそんなにイヤがるの?」

 どうして。
 風呂上がりのときも、スイカのときだって、こんな気持ちにならなかったのに。なぜだか分からない。

 撮られたくないものだって、あるのだ。
 それが何なのか、すずなには分からなかった。

 親身になってくれていた有里さんとの間に、ちょっぴり気まずいすきま風が吹き込んだ、そんな次の日、やっと俊の熱は平熱へ下がった。
 目はぽっくりと澄んでいて、熱を帯びていない。俊の体温計を確認して、よかった、と小さくつぶやいた有里さんの横顔を見て、すずなは昨日とった自分の行動を少し恥じた。有里さんは、にっこりして俊に麦茶のコップを差し出した。

「よかったね。それにしても、しっかりしたお姉さんがいていいね」
 俊がうつむいてむっとしたのが分かった。勝手に弟にされたのが気にくわなかったのだろう。俊の機嫌は、なかなか直らなかった。
「ひょっとして、まだどこか具合悪い? 佑さん夕方に帰ってくるから診てもらおうか」
 
 昼食時、貝のように口をつぐんでいる俊に向かって有里さんが言うと、俊はうつむいたまま、ぼそっと言った。そうじゃない、と。
 有里さんは軽く首を傾げた。圭太さんは、もくもくと黙ってはしを運んでいる。

「すずなに助けられたのが、くやしい」
 くやしさ、というより怒りをこめたような表情で、俊は言った。その表情の迫力にすぐに言葉が出てこなかった。

 俊は、しらすご飯をかかっとかきこんで、ごちそうさま、とはしを置き、和室の方へ行ってしまった。
「……男だな」
 圭太さんが、ぽそりとつぶやいた。
 

 いつまでも、そうしているわけにはいかない。そう気づかされたのは、その四日目の夜だった。
 ここへ来てからすずなは、有里さんと一緒に二階の部屋で寝ている。俊は、居間の隣の部屋で、佑さんと寝起きしている。
 夜中、ふいにのどの渇きを覚え、目を覚ました。隣に有里さんの姿はなかった。すずなは足音を忍ばせて一階へ下りていった。台所は今の向こうにある。
 階段から下りて居間へのふすまに手をかけたすずなは、中からの会話にふと手を止めた。

「たぶん、あの二人、きょうだいじゃないな」

 普段から口数の少ない圭太さんの、静かだけどきっぱりした物言いに、どきっとした。すずなは、ふすまにかけた手を下ろした。圭太さんの言葉に対するはっきりした答えはなかった。けれど、他の二人がその意見に反対ではないことは、ふすまを通してでも伝わってきた。

「おばあちゃんの家ってのも、うそって訳か……」
 ため息交じりの佑さんの声が聞こえる。

「何か、事情があるんだろうな」
 鼓動が次第に早くなる。

「私も、次の目的地に向けてそろそろここを出ていこうと思うの。佑さんと圭太さんに任せて出ていくってのも……何か、無責任とまでは言わないにしても、気がかりで」

「捜索願いとか、出てないのかな」

 無感情な様子の圭太さんの声がする。それが却ってすずなの心に火をつけた。何かを思う前に、手がふすまを開けていた。

「……すずなちゃん」
 茫然と三人が見つめる中、すずなはふすまに手をかけたまま立ちはだかった。
 呼吸が乱れないように。
 それだけを願いながら、やっとひと言、しぼり出すように言った。


「お願い、連れ戻さないで」

©Ai Shimizu

【1】から読む
【5】へもどる                 【7】へつづく

#創作大賞2025 #恋愛小説部門



 

いいなと思ったら応援しよう!

清水愛 読んでくださって、本当にありがとうございます! 感想など、お気軽にコメントください(^^)お待ちしています!