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京都府・京都市|冥界への入り口がある寺に行く⛩️

私は今週休2日制、フレックスタイム採用の7時間45分が定時の会社で働いています🏢

昼は朝廷、夜は冥界で働いたハードワーカーが平安時代にいたという話を耳にしました!
今の令和の世では考えられない働き方😫

早速、その方に取材をすべく、京都にある六道珍皇寺へ向かいました🏃



冥界への入り口 "六道の辻"

到着すると、六道の辻という石碑を発見💡

門前にある味わい深い石碑


徒然草に下記一節が残されています。

あだし野の露、鳥辺山の煙...

徒然草


当時は飢饉や疫病の流行により、鳥辺山という火葬場には煙が絶えず立ち昇っていたといいます。


その鳥辺山の裾野にある、鳥辺野には、火葬にすらできない人たちの遺体をそのままの状態で自然の中に置いて風化させる葬儀方法である、風葬が行われていました。

そして、六道珍皇寺周辺は、鳥辺山・鳥辺野へと亡骸を運際の通り道であり、現世から冥界へ行く際の入り口とされ、「六道の辻」と呼ばれていました。

六道珍皇寺の入り口に掲げられた看板。
一歩間違えると冥土へ行ってしまうらしい。
気が引き締まる。


そんな、六道の辻にある、六道珍皇寺には、冥界にまつわるものが多々存在する。

※六道とは仏教で説かれている地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の6つの死後の世界のこと。


壁から出た綱、お迎え鐘


まず目を引くのが、壁から出た綱。

何だこれは!?

建物から綱が出ている。
最初解説をあまりよく読まず、
神社にたまにある男性器かと思ってしまった。
申し訳ない。


これはお迎え鐘というらしい。
この鐘の音は冥土まで響き渡り、その響きに応じて、亡者がこの世に呼び寄せられると言い伝えられる。

この鐘は六道珍皇寺を建てた開基、慶俊僧都が作らせたものである。

原理はよく分からないが、3年間地中に埋めておけば自動的に18:00に鳴るように設計された優れものだったようだ。

僧都が中国の唐に行っている間に、そうとは知らぬ門徒たちは3年が経たぬ前に埋めておいた鐘を地中から出して鐘を鳴らしてしまった。
そして、その鐘の音は唐にいる僧都にも届いたようである。

遙か彼方にある唐にも届く音色ならば、冥土まで響き渡るだろうと信じられてきたのが、このお迎え鐘の由来だそうだ。

紐を引くと鐘が鳴る
冥土の霊が呼び寄せられていないか心配😟


土に埋めるべくして作られた鐘なので、小屋の中に仕舞われており、外側からは見ることができない。
どんな見た目なのか想像が膨らむ...


弘法大師(空海)が一晩で作った石仏

優しい表情をしている

境内には、弘法大師(空海)が一晩で作り上げたとされる石仏が残されている。
高さは2m30cmと石仏にしてはかなり大きい。

鳥辺野の風葬の惨状を見て、人の世の無常とはかなさを憂い、亡者の魂魄の弔いと冥界での往生を願われたそう。

それにしても一晩で作る必要ないんじゃないかなと思いました。
嘘くささが出てしまう🤭


冥土通いの井戸


境内のメインは小野篁(おののたかむら)が冥界への出入りに使ったとされる井戸である。

小野篁の先祖は聖徳太子が隋へ派遣した小野妹子、孫は小野小町とされており、有名人の家系だ。

格子から井戸を見るしかないので、遠いが
矢印の先に井戸がある。


小野篁(802-852年)は、嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人とされる。
遣唐副使にも任じられたが、嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪となった。

文武両道に優れた人物であったが、奇行が多かったため、「野狂」と呼ばれていた。

「江談抄」や「今昔物語」「元亨釈書」等の平安時代末期の書物において、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説が記されている。

盂蘭盆に現在も行われている精霊迎えの儀式を描いた安土桃山時代の絵。
矢印で指しているのが冥土通いの井戸とされる。


六動の辻という曰く付きの場所奇行の多い小野篁が出入りしているところを見た人は小野篁が冥界と繋がっていると推測してしまっても無理はないだろう。

それでは👋


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