富山県・立山町|昔のガイドブック!立山曼荼羅と立山信仰を学ぶ🏔️
こんにちは、akaです!
4/17-19で富山に行ってきました。
富山駅から30分ほどで行ける、立山町歴史交流ステーション日なたという立山町の歴史を知れる資料館を見つけたので、行ってみました!
入館料無料です!
そこで興味深かったのが、立山信仰と立山曼荼羅についてです。
京都の芸大出身の学芸員のお姉さんが模写した曼荼羅の図に加えて、分かりやすい解説があり、すんなり理解できました!
また、縄文人になってみようということで弓矢や勾玉作り体験コーナーもありました。
今回の記事は立山信仰と立山曼荼羅を中心にご紹介をしようと思います!
地獄・浄土・山岳信仰を描いた絵解きの世界
立山信仰とは?
富山県の立山は、古くから信仰の対象とされてきた霊山です。

そんな立山への信仰(立山信仰)は、古代から中世にかけて形成され、江戸時代には広く各地へ伝えられました。
奈良時代の歌人大伴家持が「立山の歌」を詠んでおり、古くから立山が特別な山とされていたことがわかります。
立山は「高く険しい山に神々が住む」という山岳信仰の対象であり、同時に、亡者が向かう山、地獄と浄土を含む霊的な空間として語られてきました。
この立山信仰の内容を視覚的に表したものが、立山曼荼羅です。
立山曼荼羅とは
立山曼荼羅は、立山信仰を伝えるために、地獄・浄土の世界と実際の場所とを紐付けて描いた絵図です。
こちらの資料館にある立山曼荼羅は、立山山麓の芦峅寺の旧宿坊家に伝わった旧蔵本をもとに、令和2年に当資料館の学芸員さんが模写されたものだとか!(原本は立山博物館にあります。)

立山信仰において重要な要素のひとつが、立山地獄です。
立山には、地獄谷などの火山性の地形があり、噴気や硫黄のにおい、荒涼とした景観が見られます。こうした自然環境が、地獄のイメージと結びつけられました。
例えば、登山者憧れの剱岳は、針山地獄とされ、鋭い山を登らされる亡者の姿が描かれています。

立山曼荼羅の役割
芦峅寺を中心とした立山の衆徒たちは、立山信仰を広め、参詣や信仰への参加を促すために、全国を巡り、各地で曼荼羅を用いた絵解きを行いました。
絵解きとは紙芝居のようなもので、現代で言うと、ガイドブックで観光客を立山に誘致するイメージに近いです。
文字だけでは伝えにくい死後の世界、地獄、浄土、救済の仕組みを、視覚的に示すことで、聞き手に理解させる役割を果たしました。
立山信仰を学んでみて
立山信仰については、修験道に浄土信仰が結びついていることが、他の山岳信仰とは違う面白い点だなと感じました。
一方で立山曼荼羅については、江戸時代、立山信仰だけではなく、様々な宗派の門徒が絵解きをやって信者を獲得しようとしていました。
以前、長野の善光寺の門前にある、かるかや山というお寺さんに伺った際に、実際に絵解きをやっていただきました。
かるかや山の絵解きは江戸では人気だったそうで、特に開祖のお話が物語として面白かったというのが理由だったのではと思います。
どうしたら民衆に興味を持ってもらえるか、この工夫が絵解きの中に垣間見えます。
立山信仰でいうと、現実の世界と宗教上の世界を紐づける、つまり観光地(聖地)として立山を位置付ける仕組み、これこそが立山曼荼羅の信者を惹きつけるユニークなところだと思いました。
他の館内の展示は?
資料館は立山信仰の他にも、立山町の縄文時代からの出土品がたくさん並べられています。
さらっと見れば30分ほどで見れる小さい施設ですが、わかりやすく学べる工夫が随所にされていました。

ご自由に持ち帰れるそう。

漆を期待していたのですが、違いました。

中世以降の出土品には、
能登半島の珠洲で作られた陶器が数多くありました。
北前船の影響、もしくは立山詣でのルートがあったのでしょうか?
北陸ならではの出土品に胸が躍ります。
距離的に近い糸魚川のヒスイも何個かあったのですが、整形されていたとはいえ、かなり原石に近い状態でした!(写真撮り忘れていました...)
奈良で見てきた透き通るようなヒスイは現地で磨かれていたのではない?
もしかしたらヒスイの高度な加工を行う職人は各地域にいたのかもしれません。

勾玉作り体験がまさかの200円でできますので、よろしければ!(熱中して1時間半も滞在)
学芸員のお姉さんも丁寧に教えてくれて良い資料館でした!
日石寺周辺にお越しの方は是非お寄りください!
それでは👋
善光寺門前に残る絵解きを体験する記事はこちら💁
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