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境界の恋①

あらすじ
「今日だけは、今だけは、異世界でもどこでも行きたかった。」

 不思議な逸話をもった、かつてどこかに繋がったという「境界」と呼ばれるものが存在する世界。
 主人公の「私」はそんな境界を人に実害が出ないように管理する「境界守」という役職に就いていた。

「撮らせてもらえませんか」
 ある秋の日、境界専門のカメラマンだという「人を撮りたくない」男の子が「私」の元に訪ねてくる。
 深く関わる気はなく、人に興味がなかった「私」だが、だんだん男の子に絆されていく。
 しかし、男の子には、好きな人がいる。
 会えるタイムリミットは、彼の撮影が終わるまで。
 そんな、不器用な片想いの話。

本編
「撮らせてもらえませんか」
 秋の夕暮れ、たそがれどき。烏が遠くで鳴いていた。突然家を訪ねてきた男に、珍しく是、と返したのは、話し方に西の訛りがあったから。地元を思い出して懐かしかったのだ。そこに嘘はない。

「境界」というものがこの世界にはある。事物や領域などを分ける境目のことだ、と辞書にはそう載っている。
 窓や扉、門。他にもたくさん。何かを隔てるものには、その昔、不思議な力が宿るとされていた。本当にそうだったのか、言い伝えに尾鰭がついて広まったのかはわからない。
 わからないけど、それらにまつわる話は尽きない。異世界に繋がっただとか、人が消えたとか、亡くなった人と会えた、なんて話もある。悪いことばかりとは限らないし、いいことばかりとも限らない。
 実際、実害を出している「境界」もあるにはあった。人が消えやすい場所、とか、オカルトじみたそんな話。富士の樹海では自殺が多い、みたいなちょっと不思議なことと同列の話。根拠のないものが多いオカルトと少しだけ違うのは、その場になかったはずのものが突然出現したり、確かにそこにいたはずの人間がいなくなったり、ちゃんとした目撃者と記録が残ってしまったところだった。
 証拠が出ない行方不明者は自分の意志でいなくなったのかもしれない。だから、届け出があれば捜索はするが、それぐらい。対策なんてしようがない。でも、不思議パワーでなんか知らないけど「境界」と関わったばかりにいなくなられるのは困る。原理が分からなくても、理由がわかっていれば対策はしなければいけない。災害みたいなものだけど災害と違って対処の方法はまだある。
 だから、いつの頃からか「境界守」という役職ができた。その名の通り、逸話が残る各地の「境界」を管理する役割を担う。境界を守る、と書くが、実際は境界を管理することで人間の方を守っている。実害が定期的に確認されるやばいものから、そうでないものまで。管理、といっても、眉唾な話も多いから、実際は、何も知らない人がふらっと近寄らないように見張るだけのことが多い。中には、それだけではすまないものもあったりするけど。
 役職がちゃんとできて、ノウハウのようなものが少しずつ積み重ねられていくうちに、境界守たちをまとめる組織のようなものが作られた。基本的に「本部」と呼ばれている。境界を管理したり、境界守のサポートや横のつながりを強化したり、面白半分に境界を野次馬しに来る危険行為者に警告を出したり。イメージは肝試しに廃墟に忍び込むテンション上がった馬鹿者を補導する警察みたいな。原理がよくわかっていない境界についての研究もしていると聞く。自然災害はどうにもならないが、研究でわかることはある。実害がないに越したことはない。あとは、境界守のスカウト。適性ってものがどうやらあるらしい。
 各地に「境界」はいくつもあるので、一人の境界守についておおよそ一つの境界が割り振られている。現在では在宅ワークと兼業している人間も珍しくない。逸話の数だけ「境界」はあるので、正確な数字はわからない。きっと、把握しているのは本部の偉い人ぐらいだろう。とは言っても、境界守はそこまでメジャーなものではないけれど。存在は、知識としては、知っている、だけという人も少なくない。
 私は、件の「境界守」のうちの一人である。大学生と兼任。担当の「境界」が部屋の中で保管できるものであることもあって、割と緩いし、自由に出歩ける。まあ、そりゃ、鍵をかけておけば、まともな人は他人の家に勝手に入ってこないので。まともじゃない人は、知らないし、正直言ってそこまでは私の管轄じゃあない。気づいたら本部に丸投げだ。なんといっても本分は学生なので。

「綺麗ですね」
 家の一室に通した客人が、ぼうっと一点を眺めながら溢した呟きに、はあ、と相槌なのかなんなのかわからない声を漏らす。
 目の前にあるのは、私の担当している「境界」である、古びた大きな鏡だ。大きな、というと語弊があるのかもしれない。姿見程度の大きさの、木枠にはまった鏡である。手鏡などをはじめとした鏡系の中ではわりと大きい。持ち運びはできないし。北向きの倉庫のような小部屋の壁に立てかけられている。私はアンティークに造詣が深くないので詳しくはわからないが、飴色よりも深い、掠れた茶色の木枠は相当な年月を感じさせる。鏡は端が波打ったようによれていたり、曇っていたりもする。
 私にとっては、嫌というほど、見慣れたものだ。
 ただ、はたしてこれが綺麗なのかどうかは私にはわからなかった。こんな、ものが。
「これです、これ。年月が経ってもなお残るもの」
 うっとりと言う客人にもう一度、はあ、と返す。鏡の感想なんかよりも、まず、聞きたいことがあった。
「写真、撮らないんですか?」
 せっかく、一室に通したのに。カメラも持っているのに。
 ごついカメラは、客人の胸元に下がっているだけで、未だなんの機能も果たしていない。撮らせて欲しい、と言ってきたのは客人のほうなのだ。
「光が」
「光?」
「そうです。光があまり入ってこないので、今度は準備をしてきます」
 たしかに、ここは北向きの部屋だけあって年中薄暗い。面倒ごとが起こらないように、窓も換気用の一つだけ。それもすりガラス加工のものだ。夕方の今は電気をつけたところでたかが知れている。もともと人間がメインで使う気のない部屋だ。
「それは、機材とか、そういう?」
「はい」
 こくりと頷く客人は、図体はひょろりとでかいくせに妙に幼く見えた。少しウェーブがかかった黒髪に、トレーナーとスキニー。シンプルな装いなのにどこかおしゃれに見える。黒縁メガネをかけこなす人なんて初めて見た。あれは地味度アップのステルスアイテムではなかったのか。
 苦手だな、と思う。ルックスは、正直言って好みだけど、おしゃれなとことか、気を遣ってる部分が滲み出ているとことかが得意じゃない。言うなれば陽キャ。陽の光が似合いそう。引け目を感じるから、苦手だ。
 なのに、今度って言った。それは、また来るってこと。
「また来るんなら、名前教えて」
 ぱちり、と瞬きした顔を鏡越しに見る。まつげが長い。
「言ってなかったですか、僕」
「言ってないね」
 歳と、属性は聞いたけれど。別に一回きりの出会いならば、それだけで十分。今だって、興味も、関心も大してないけれど。
 次も来るって言うんなら、多少は覚える努力をしなけりゃなるまい。このままだと、次来た時、開口一番「誰?」と言いかねないのは自分がよくわかってる。人にも物にも基本的に興味がないのは昔からで、それでもいいと思っていた。でも、こういうときに、たまに、困る。
「それは、すみません。宮瀬大樹です」
「宮瀬、くん」
「はい」
 案外普通の名前だな、と思う。「境界」ばかりを写真におさめている、駆け出しのカメラマンだと本人から申告があった。高校を卒業したばかりの十八歳の男の子。境界の存在は知ってるけど、という人間が大半な中で、境界ばかり撮っているカメラマンに会ったのは今日が初めてだった。ここ二年ほど境界守をしている中で、取材にきた人間なんて数えるほどしかいない。需要がないから、供給も少ない。ごく一部のマニア向け。まあ、つまりはこんなところに来た客人は、総じて変人なのだということ。
 そういう人って、きっと、もっと、変わった名前なんじゃないかと勝手に思っていた。そういう運命みたいなものをもって生まれてきた、ような。どこか、危なっかしい、特別さをもった目に見える印、のような。
「えっと、名前」
 客人はことり、と音を立てそうな動きで首をかしげてみせた。身長の差で、見下ろされているはずなのに、どこか上目遣いにも見えるのは何なんだろう。
「あー、奈那。奈那でいい」
 お互いに呼び名がわかれば問題はない。簡潔に名前だけを述べた。名字はあまり好きではなかった。
「ななさん」
 舌っ足らずに繰り返す彼に一瞥をくれる。
「まあ、短い間だろうけど」
 よろしくとは言わなかった。別によろしくしたくはないし、だいたい、好きにすればいいと思ったから。私は役目さえ果たせればそれでいいし、写真の行き先もあんまり興味はない。どう使おうが、好きにすればいいと思う。撮りたいなら、撮ればいいし、客人をとりあえずは安全に帰せれば、それで。目の届く、手の届く範囲だけで。
 いつの間にか、客人、宮瀬は鏡から目を離して私のほうに向き直っていた。
「聞いてもいいですか」
「何?」
「この鏡、どんなものなんですか」
「なに、知らずにきたの?」
 流石に驚いて、語尾が上がる。知らずに来たのか、そうか。命知らずというか、なんというか。
 宮瀬はバツが悪そうにそっと目を逸らした。下調べが足りなかった自覚はちゃんとあるらしい。もごもごと、ここにあるって聞いて、じっとしてられなくて、と言っているのを見やる。境界がある場所を突き止める力も突撃する行動力もあるくせに、肝心のところが抜けている。
 まさか、と思った。
「まさか、境界についての説明からお願いとか言わないよね?」
「それは大丈夫です」
 ほっと胸を撫で下ろした私に、宮瀬は眉を下げた。嫌な予感がする。
「何」
「でも、もう一度お願いしていいですか」
「うそやん」
 いつか読んだ小説の主人公の口癖がぽろりと出る。お前、駆け出しとはいえ、カメラマンなんだろう。一応、プロなんだろう。言いたくなったけど、黙った。めんどくさいんだよな、いろいろ。
 でもまあ、しょうがない。説明しなかったときに起こる問題の方が多分めんどくさいだろうし、扉とか窓とかいうものとは違って、鏡、というものはなかなかに特殊であるので。
「辞書的意味なら、事物や領域などを分ける境目のこと。何かを隔てるものには、その昔、不思議な力が宿るとされていた、逸話もたくさん。だから、それを私たちが見張ってる」
「はい」
 表情を伺う。真面目な顔で頷いて見せた宮瀬の顔からは、わかってるのかわかってないのか読み取れなかった。わかってると仮定して先に進める。説明してみたが、正直教える、ということは苦手だ。伝わらなかったとしたらたぶん私の説明下手のせいだろうけれど、まあいいだろう。
「この鏡は、」
 ちらりと鏡に目をやる。宮瀬の後ろ姿が映っただけの何の変哲もない鏡。ほとんどの日と変わらない鏡。
「この鏡は、逸話自体はよくあるもの。どこかわからない別の場所に繋がっているとか、人を食うとか、でもまあ、特殊ではあるって引き継ぎの時教えてもらった」
 何が特殊かなんて、宮瀬は、一般の人は、知らなくていいことだ。
「特殊なんですか」
 鏡に映った宮瀬の後ろ姿が一瞬ぶれる。ノイズが走ったように、表面が揺れる。宮瀬は気づかない。振り向かない。それでいい。気づかなくていい。気づきたくなかった。気のせいだ。あれもこれも、ぜんぶ。所詮は鏡なのだから。
「特殊なんだって。まあ、そこら中にある扉や窓とかと違って割と珍しい境界ではあるし。それでも、水溜まりや滝や噴水とかの水系と比べればマシだけど。あれはマジで、やばい。管理しにくすぎる」
「いや、そこら中に境界があったら困りますよ」
 困ったように宮瀬は笑った。大きな手が無意識なのかごついカメラを一撫でする。
「それもそうか。私たち過労死するわ」
 鏡の傍らに落としていた大きめの布をとり、鏡の面を隠すようにばさりとかける。今日はもう、おしまい。写真も撮らないらしいし、別にいいだろう。厄介ごとは御免だった。
「その布」
「うん?」
「特殊なやつなんですか? 封印するとか」
 先ほどよりも近づいた宮瀬にそう尋ねられた。近づいた、といっても背の高さのせいで目線はちっとも近くはないのだけど。
「いーや」
「違うんですか」
 目を丸くしているような表情の宮瀬に苦笑する。さっきに比べて思った以上に表情の変化がわかりやすい。
「うん、これ、普通の布」
「普通の」
 えーっとね、と宙を睨む。私にとってはどうでもいいことだったから、思い出すのに時間がかかった。
「たぶん、近くの手芸屋で大きな布ください、なんでもいいんでって言って安く買ったやつ」
「いいんですかそれ」
「いいんでしょ。境界だろうと、ただの鏡。人間の価値なんて通用しないし、感情なんてないんだろうから」
 だから、私たち境界守が管理する羽目になる。境界自身に感情があれば、自我があれば、勝手にそっちでやっててくれればよかったのに。
「じゃあなんでもいいんですか」
 重ねて問う宮瀬に面倒くさくなってくる。
「そうね。埃除けのとこあるし」
 鏡に、埃をかぶせるのも、と思っただけ。ほんの少し忍びないと思っただけ。へそを曲げられても困ると思っただけ。それだけだ。
 ほら、行った行った。宮瀬を入口へ促して追い立てるように足音を立てて後ろから歩く。慌てて鏡を振り返り振り返り歩く宮瀬の視線を遮るようにドアを閉めた。かちゃりと鍵が閉まる音がする。
 今日は大学で厄介な課題が出てるから、さっさと帰ってほしいのだ。

#創作大賞2024

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