【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-2000PV感謝記念番外編_東雲美鶴編-禍福は糾える縄の如し-
【前話】 【最初から】 【目次】 【第二章番外編】 【第三章番外編】
東雲美鶴は幼い頃から、人には視えないものが視えていた。
分別が付かなかったから人に話してしまい、気がつけば周囲から一人浮いていた。美鶴の叔父と叔母に相談したこともあったが、代々神社に仕える一族だから、そうした特別な力を持つ者もいるとだけ伝えられていた。
視えているものを視えていない振りをするのは幼い美鶴には限界があり、放課後は一人公園で本を読むのが日課になっていた。それが、彼女にとって唯一の平穏だった。
――――
公園は街の外れ、古い住宅街の境目にひっそりと存在していた。周囲の家々の生活音は遠く、遊具は錆びついたシーソーと、数えるほどのベンチしか見当たらない。乾いた砂の地面は、ところどころ抉られて小さな窪みができていた。風が吹くと、細かな砂が足首に当たり、ざらりとした感触を残す。その感触は美鶴の閉ざされた心を慰めるようだった。
美鶴がいつも座るのは、公園の角、背の高いケヤキの木の下に置かれた、褪せた焦げ茶色の木製ベンチだ。ケヤキの葉は厚く、太陽の光を細かい粒子のように砕いて足元に落とす。そこは、静寂に守られた領域だった。
美鶴が行く公園には、いつも一人で奇妙なポーズを取り続けている男の子がいた。一人で唸りながら指文字を結んでは、何が上手くいかないのかと頭を抱えている。
「……いつもここで何をしているんですか?」
美鶴は些細な興味から男の子に声を掛けた。
「え?!何って……えーっと……」
男の子は眼鏡を掛け直し、視線を左右に移して戸惑っている。
「答えられないようなことなんですか?」
「答えられないっていうか、答えちゃいけないっていうか……」
男の子はかなりしどろもどろだ。美鶴は相手の曖昧な態度に、さらに強い好奇心を覚えた。
「あなたのお名前は?どこの小学校なんですか?」
「……僕は松任楓。星川小学校の3年」
「まぁ!学校も学年も同じではないですか?でもおかしいですね……学校であなたの姿を見た記憶がないのですが……」
美鶴は不思議そうに首を傾げた。学校で一度も見かけたことのないクラスメイトがいるという事実に、彼女の日常に微かなひびが入るような感覚があった。
「クラスも違うしね……と、言うか別に敬語じゃなくても……」
「気を悪くされたらごめんなさい……癖なんです。叔母の家に引き取られてから……」
「叔母さんが意地悪ってこと?」
「叔母も叔父も従兄姉たちも良い人ですよ!でも……厄介者じゃないですか……」
美鶴は俯きながら持っていた本を抱きしめた。自分自身の存在が周囲に迷惑をかけているという思いが、彼女の心を重くしている。
「だからいつも公園に来てるの?」
「……知っていたんですか?」
「この公園は出るって噂だから、全然人が来ないしね。だから僕はいつもここで練習をしてるんだけど……」
「あの……出るとは――……?」
楓は美鶴の言葉を遮るように、何かを感じ取ったのか、素早く何度か指を組んで呪文を叫んだ。
「八面玲瓏!!」
楓の目の前に星のマークが現れ、ぶつかってきた何かを弾き飛ばした。
「きゃ!何なんですか!?」
「で、できた……って君、アレが視えるの?」
目の前には紫の炎を宿した狐がいるが、狐にしてはサイズが十倍ほど大きい。美鶴の驚きは極限に達していた。
「視えてるも何も……!狐にしては大き過ぎます……!もはや化物じゃないですか……!」
「あれは怨霊だよ。でも、マズイな。あんなに強い怨霊、僕一人じゃ――……危ない!!」
楓は咄嗟に美鶴を突き飛ばした。
「うっ……楓くん……」
美鶴が顔を上げると、狐は楓に襲いかかり、躱しきれなかった楓は眼鏡が飛んでいってしまい、額から左眉にかけてざっくりと切れている。楓は紫狐に自ら近づくと怯むことなく右手の指で特殊な形を作り、再び呪文を発した。
「光芒一閃!」
――ズバン!
『ギャン!』
楓は至近距離から光線を放ったが、怨霊は距離を取っただけで平然としている。
「えー……この距離から攻撃しても平然としてるなんて」
「楓くん……血が……!」
美鶴は恐怖でその場から動けなくなってしまった。自分の身体がまるで重い鉛になったかのように動かない。こんな状況でも、自分はただ見ていることしかできないという無力感に襲われた。楓は手で血を拭ったものの、「あー、これね」と動じることなく平静を保っている。
「グルルルル……!」
怨霊は美鶴に狙いを定めて猛スピードで走り始めた。
「やば……」
「きゃぁあぁぁあ!」
時が引き延ばされたように感じたその一瞬、美鶴の瞳に、見知らぬ誰かの闇を断ち切るような影と、白い制服が映った。
「――竜騰虎闘」
男の子は素早く両手の指を何度か切り替えながら組み、光の鉄槌を怨霊に突き落とした。
『ギャアァァァ!』
紫狐は少しずつ塵となって消えていく。
「……大丈夫か?」
男の子は何食わぬ顔で美鶴に声を掛けたが、美鶴は安堵から思わず彼に飛びついた。
「子供だけでなんとかしようなんて危ないじゃないですか!本当に死んでしまうかと……」
彼は突然抱きついてきた美鶴に戸惑い、その近さに全身を緊張させ、体を硬直させて動けずにいる。美鶴は彼の硬直と、自分の無思慮な行動にハッと気づき、急いで彼から身を離した。
「あ!ごめんなさい!心配で思わず……そうでした!楓くんが――……!」
「――僕は大丈夫だよ」
楓はそう言いながら、血の気を失った表情で二人のそばへ歩み寄った。左の眉から額にかけて、皮膚が痛々しく深く裂けており、新鮮な血が止めどなく流れ落ちている。その手には、レンズが粉砕し、フレームのつるが不自然に折れ曲がった眼鏡が、きつく握りしめられていた。
「全然大丈夫じゃありませんよ!」
美鶴は声を荒らげると、ポケットからハンカチを取り出し、迷わず楓の額に当てた。
「大丈夫だって。そんなことしたらハンカチに血がついて、シミになっちゃうよ。それよりメガネだよ……この間新しいのに変えたばかりなのに、絶対怒られる」
楓は美鶴の手を軽く押し返しながら、目の前の危機よりも瑣末な心配事を口にした。
「ハンカチとメガネの心配をしている場合ですか?!そんなに出血して、もし死んじゃったら――」
美鶴の瞳は単なる心配ではなく、垣間見てしまった異質な世界への純粋な恐れに大きく揺らめいていた。
「落ち着け。このくらいの出血じゃ人間は死なない。それにこいつは神官だろう。だったらこういう状況も慣れているはずだ。でも会合で見ない顔だな。お前、名前は?」
楓は男の子を鋭く睨みつけた。美鶴は二人の専門的な会話から置いて行かれそうになるのを感じた。
「僕に聞く前に自分から名乗ったらどう?竜騰虎闘なんて使える人間は限られてるよ。しかも君も小学生だろ?その年齢で使える人間がいるなんて信じられない」
「お前が出現させた八面玲瓏も防護術の中では五本指に入る技だ。お前も十分な実力者なはずだが?」
楓と見知らぬ少年は、互いを値踏みするように言葉を交わす。彼らの会話は専門用語だらけで、美鶴は理解が追いつかない。自分の目の前で起きた出来事が、どれほど異常な事態であるかという事実を前に、美鶴はただ立ち尽くすことしかできなかった。
「僕は松任楓だよ。君は?」
「俺は芝山晴。東櫻大学附属小学校3年で芝山一族の神官だ。なるほど、松任一族の……お前ほどの人材を神官の集まりで見なかったのは何でだ?」
「僕の両親は僕を神官にしたくないんだよ……分家だしね。だから会合は一、二回しか行ったことない」
「あの……」
美鶴は蚊の鳴くような声で声を上げた。 二人の少年は、まるで美鶴の存在が最初からそこになかったかのように、自分たちの専門的な世界について熱心に語り合っている。美鶴は、額から血を流し続けている楓と、彼が手に握りしめたままのレンズの割れた眼鏡に視線を固定したまま、疎外感と、何よりも彼らの危機感のなさに激しい苛立ちを覚えていた。
「晴くん……ですよね?楓くんは怪我人なんですよ?お互いについて探り合っている場合ではありません……!」
美鶴の言葉は、彼らの会話の専門的な「壁」を前に、か細く響いた。晴はそこでようやく美鶴の存在を思い出したように、視線を向けた。
「お前のことを忘れてた、お前の名前は?」
「え?私?私は東雲美鶴です……」
「東雲……ということは、お前も神官の一族の出身ということか」
美鶴がそう答えた瞬間、晴と楓の表情に、何かが確信に変わるような鋭い変化が走った。彼らが自分を見る目が、それまでの「部外者」を見る目から、突如として「仲間」を見る目へと切り替わったことに、美鶴は強い違和感と困惑を覚えるばかりだった。
「それで怨霊も視えるのかー」
「あの神官って……?」
美鶴は話についていけず、大きな目をさらに丸くしている。
「神に使える人間だ。神に仕え、その力を分け与えてもらっている。血統的に脈々と神官を輩出し続けている一族が存在するんだ。東雲家も小さいながらに千年以上続いている」
晴はまるで教科書を読むように、美鶴にとっては荒唐無稽な話を淡々と語った。美鶴の頭の中は、今しがた起きた狐の怨霊との戦いと、少年の専門的な会話、そして自分の家がその異常な世界に深く関わっているという事実で混乱していた。
「そんな話聞いたことありません……叔父は神職ですが……」
「お前の両親もこの世界に足を踏み込ませたくなかったんだろう」
「両親は幼い時に亡くなったので覚えていないんです……」
美鶴が気まずそうに話すのを見て、晴はわざと視線を外した。沈黙が流れ、ケヤキの葉が揺れる音だけが響く。
「……視える人間の生気は狙われやすい。今まで事情も知らず、むしろよく無事だったな」
晴の言葉は、美鶴のこれまでの孤独の理由を鋭く突きつけた。美鶴は、自分の視える力が、単なる「個性」ではなく、危険な要因であったことをようやく理解し始める。
「生気?」
「その人が持ってる力だよ。視える人間の生気は怨霊にとってご馳走だから」
楓が頷きながら言った。彼は美鶴の恐怖を和らげるように努めているが、言葉の内容はさらに彼女を絶望させるものだった。
「怨霊って先程の……ということは、私はあの化物にとってご馳走なんですか?」
美鶴の声は、恐怖と信じがたい現実への絶望に震えていた。
「あぁ、これからも狙われるだろうな」
晴は平然と言い放った。その冷徹な言葉は、美鶴の不安をさらに増幅させた。
「えぇ?!そんなの困ります!私……!」
美鶴は涙ぐんで俯いた。晴と楓は顔を見合わせた。一瞬のアイコンタクトで、二人の少年は何かを決めたようだ。
「ここで会ったのも何かの縁だ。お前のことを守ってやる」
晴はまるで当然のことのように言い放った。その言葉には、美鶴の意思を問う躊躇が微塵もなかった。
「え?!」
美鶴が驚きの声を上げる間もなく、楓も続く。
「そうだね、この調子だと頻繁に遭いそうだ。だから僕も協力するよ。同じ小学校だし」
二人は顔を見合わせ、まるで重要な案件が解決したかのように静かに頷き合った。美鶴は、自分の人生が、たった今、二人の少年に勝手に決められてしまったことに、激しく動揺した。
「ちょっと待ってください……!どうしてそうなるんですか?勝手に話を進められても……!」
「じゃあ自分で何とかするのか?」
晴の現実を突きつけるような問いに、美鶴はぐっと言葉を詰まらせる。神官の世界に足を踏み入れたばかりの美鶴には、その問いに答えられるだけの力がなかった。
「それは……」
「怨霊は神術を習得した人間じゃないと対処できないよ。でも出現数がこの数年異常なんだよね……僕、同い年で視える人間に会えて嬉しかったから協力するよ」
楓の言葉は一見親切に聞こえるが、その根底には、美鶴には抗えない「神官の世界」の論理があった。
「実力試しもできそうだし俺も協力しよう……腹を括るんだな」
晴は最後にそう付け加え、美鶴の逃げ道を完全に塞いだ。彼の眼差しは、美鶴の運命を受け入れろと促している。
「美鶴、よろしくね」
楓は優しく微笑むが、その笑顔は美鶴には脅迫のように感じられた。
「え?!なんでそうなるのですか?!二人ともお人好しなんですか?一体どうして?!とにかく楓は病院に行きますよ!!」
美鶴の頭の中は、自分の運命と、目の前の負傷した少年のことでいっぱいだった。
「大丈夫だって……」
楓は血のついた額のまま、まだ平気な顔をしている。彼の鈍感さが、美鶴の苛立ちをさらに煽った。
「だめです!!病院で治療を受けてください!!」
東雲美鶴、芝山晴、松任楓の関係はこうして始まった。
あんな形で終わりを迎えるとも知らずに。
【次話】第四章 登場人物一覧
11/22(土)22:00頃更新
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