見出し画像

親が「ありがとう」と言わなくなった日 それでも面会に行く意味はあるのか

先日、面会に来られたご家族から、こんなご相談がありました。

「1ヵ月ぶりに来たんですけど…私のことがわからなくなっちゃったみたいで。今までは笑顔で『ありがとう』と言ってくれたのに、何も言ってくれませんでした。もう来ない方がいいんですかね…?」

涙ぐみながら、そう話してくださいました。

長年特養の相談員をしていて、こうしたご相談を受けることは多いです。

「ありがとう」が言えなくなった親と、どう向き合えばいいのか。
今日はそんなご家族へ向けて、現場で見てきた一つの答えをお伝えしたいと思います。



ご家族が抱える、本当の痛み

「ありがとう」が言えなくなった親を前にして、ご家族が抱える痛みは、想像以上に深いものです。

「自分のこと、もうわからなくなったんだ」
「私の介護に意味はあるんだろうか」
「親はもう、私を見てくれていない」

口に出さなくても、心の奥でこうした声が響いている方は少なくありません。

そして、冒頭の
「もう来ない方がいいんですかね」
という言葉。

あの一言には、傷つき、戸惑い、そして
「自分が行く意味はあるのか」
という深い孤独が詰まっています。

ご家族にとって「ありがとう」は、ただの言葉ではありません。
面会に行くこと、支えること、関わり続けることが、ちゃんと届いていると感じられる大事なサインでもあります。

それが聞けなくなった時、心にぽっかり穴があいたように感じるのは、とても自然なことだと思います。


なぜ「ありがとう」が言えなくなるのか

「ありがとう」が言えなくなる背景には、認知症の進行や、状態の変化があります。

言葉が出にくくなる。
感情を表現しにくくなる。
表情が乏しくなる。
目の前の人が誰か、はっきり結びつかなくなる。

そうした変化が重なると、以前のように言葉で気持ちを返すことが難しくなります。

ただ、ここで知っておいていただきたいことがあります。

「言葉が出ない」ことと、「気持ちがなくなった」ことは別です。

「ありがとう」と言えなくなったからといって、感謝や安心まで消えてしまったとは限りません。
言葉にする力が弱くなっているだけで、その奥には気持ちが残っていることが多いんです。


満開の桜とお母様の涙

これは、今年あった出来事です。

ある入居者さんの娘さんから、こんなご相談を受けました。

「春になったらお母さんに桜を見せてあげたいので、外に連れて行ってもいいですか?」

詳しくお聞きすると、施設から3キロほど離れた公園まで連れて行きたいと考えていらっしゃいました。

ただ、お母様はリクライニング型の車いすを使われていました。
しかも娘さんご自身も70歳を超えていらっしゃいます。
その距離を押していくのは、現実的にはかなり難しい状況でした。

その娘さんは、お母様がお元気なころから月に1〜2回、三つ離れた市から欠かさず面会に来てくださっていました。
以前はたくさん言葉を交わされていました。

ところが2年ほど前から、お母様は状態が低下し、言葉を発することが難しくなりました。
それからは、娘さんが一方的に話し、お母様は静かに聞いていらっしゃる。そんな面会の形に変わっていきました。

それでも娘さんは、変わらず通い続けてくださっていました。

そういう背景もあって、私は
「どうしてもこの花見を実現させたい」
と思いました。

そこで、施設の車で公園までお連れし、現地で待ち合わせて一緒にお花見をしていただく形を提案しました。

当日、娘さんとお母様は、満開の桜が咲く広い公園をゆっくりと散歩されました。

入り口で待っていた私が
「どうでしたか?」
とお母様にお声がけすると、お母様の目から涙がこぼれていたんです。

驚いて娘さんに聞くと、こうおっしゃいました。

「途中でお母さんに『きれいだね』って話しかけたら、涙が出てきたんです。それからずっと、泣いているの」

そう話す娘さんも、涙を流していらっしゃいました。

その光景を見て、私もこみ上げるものを抑えられませんでした。

話せなくなったから。
表情が出にくくなったから。
それだけでは片づけられない感情が、ご本人の奥にはちゃんと残っている。

そしてそれは、娘さんがずっと通い続けてくださった時間があったからこそ、あの瞬間にあふれ出たものだったのではないかと思います。

面会に意味なんてないのでは、と感じたことがもしあったとしても、
通い続けてくださった時間そのものに、確かな意味があった。
そう強く感じた出来事でした。


「ありがとう」は、言葉だけじゃない

前述のお母様のように、ご本人の感情は、ちゃんと残っていることがあります。

ただ、それを
「ありがとう」
という分かりやすい言葉で表すことが難しくなっているだけなんです。

20年現場にいて感じるのは、ご本人の感謝や安心は、言葉以外のかたちでこぼれてくることがある、ということです。

たとえば、

  • ふと見せる柔らかい表情

  • 手を握り返してくる小さな力

  • 目線がご家族に向く瞬間

  • 帰る時に少し寂しそうに見える顔

そうした小さな反応の中に、ご本人の気持ちがにじむことがあります。

ご家族にとっては、分かりやすい言葉がないと不安になります。
それは本当に自然なことです。

でも、「ありがとう」が言葉ではなくなっただけで、気持ちまで消えたわけではない。
これは、ぜひ知っておいていただきたいことです。


ご家族にお伝えしたいこと

「ありがとう」が言えなくなった親と向き合う時、ご家族にお伝えしたいことがあります。

ひとつは、
「分かってもらえない」と感じても、ご本人や自分を責めないでほしい
ということです。

それは、ご本人にもどうにもならない脳の変化によるものです。
ご家族の関わりが足りないからでも、親子関係が薄れたからでもありません。

もうひとつは、
言葉以外の小さなサインに目を向けてみてほしい
ということです。

表情、視線、手のぬくもり。
ご家族だからこそ気づけるものがあります。

そして、面会の頻度は、ご家族自身のペースで決めて大丈夫です。
毎週でも、月に1回でも、季節ごとでもいいんです。

「これだけ行かなきゃ」と自分を追い込む必要はありません。

何より、
悲しい時は悲しんでいい
ということも、お伝えしたいです。

親が自分をわからなくなっていく悲しみは、本当の感情です。
それを感じることは、悪いことではありません。


「もう来ない方がいいんですかね」への答え

冒頭のご家族の言葉に戻ります。

「もう来ない方がいいんですかね…?」

その問いに、私はこうお答えしました。

「『ありがとう』が聞けなくなっても、お母様の心の奥には、ちゃんとお気持ちが残っていることが多いです。お顔を見に来てくださること自体が、お母様にとって大きな安心になっていると思いますよ」

満開の桜のお母様の涙を思い出しながら、そうお伝えしました。

ご家族はゆっくりとうなずかれて、
「そうですね、また来ますね」
とおっしゃって、お帰りになりました。


最後に

「ありがとう」が言えなくなった親を見ることは、ご家族にとって本当につらいことです。

でも、現場で20年見てきて思うのは、
ご本人の心は、最後までちゃんとそこにあることが多い
ということです。

言葉では表せなくなっても、感じる力までなくなったとは限りません。
ご家族を思う気持ちや、会いに来てくれる安心感が、奥に残っていることがあります。

そして、ご家族が通い続けてくださることそのものが、ご本人の心を支える力になることがあります。

「ありがとう」を聞けない時間が続いたとしても、その時間は決して無駄ではありません。

満開の桜のお母様の涙が、それを教えてくれました。


よろしければこちらの記事もご覧ください


いいなと思ったら応援しよう!