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旅人は音楽に涙する|オランダ・ロッテルダムひとり旅

旅の途中は、いつもより音楽に心を動かされることがある。
普段なら拍手で終える一曲が、心の奥まで入り込む。

それは数年前、オランダ第二の都市・ロッテルダムを訪れたときのこと。その頃に書いた文章を、少し編集して載せたいと思う。

ロッテルダムを訪ねて

コペンハーゲンから電車で一時間ほどの街に住んでいた頃、少し休みをとって、ロッテルダムに住む友人を訪ねることにした。

コペンハーゲンからオランダまで、電車とバスでの長い旅。
途中、ドイツのハンブルクに泊まり、そこからアムステルダムまでさらに数時間、バスに揺られた。


旅をする前、自分の中の何か大切なものが消えていくような感覚があった。
けれど、旅の中で人に会い、街を歩き、芸術や自然に触れる中で、その感覚の正体が少しずつ見えてきた。

中でも忘れられないのは、ロッテルダムで偶然立ち寄ったジャズコンサートでのこと。
そこで聴いた音楽が、失いかけていた感覚を取り戻すきっかけになった。

一度きりの音との出会い

コンサートには、複数組のジャズバンドが参加していた。
最後の奏者は、Ambergris という四人組。

彼らの音楽を聴いたとき、なくしていたパズルのピースがはまったような感覚を得た。

「今」というこの瞬間を全身で鳴らす彼らの演奏は、一度きりで消えていく一音一音を愛おしく感じさせる。

今、この瞬間を鳴らす、聴く、見る、感じる時間に
「ああ、この音は一度きりなんだ。」
と気づかされた。

その「今」という音を身体いっぱいに吸い込んだとき、心を堰き止めていたものが動いた。

「私は、今を見るのが怖かったんだ。」

未来を見ることのほうが勇敢だと思っていたけれど、本当は未来よりも、目の前の今を見ることのほうが、もっとずっと怖い。

私は当時、ボランティアビザでデンマークのフリースクールに滞在していた。
フォルケホイスコーレを卒業し、いくつかの街を旅したあとの、新しい生活。
けれど、その場所での暮らしは、正直あまり心地よくなかった。

それでも離れられなかったのは、そこを辞めるとビザが切れ、デンマークに住み続けられなくなるから。せっかく通い始めた言語学校にも通えなくなる。

「ここにいれば、何かが変わる。」

そんな思いだけで、その場所に留まり続けていた。

木漏れ日

コンサートは最後の曲を迎えた。
タイトルは「木漏れ日」。

木漏れ日は日本語で、木々や葉の合間から差し込む光のこと。
それははかなく、幻想的で、時に物悲しく、さわやかでもある。

その光を見て、何を思うだろう?
その音に、何を重ねるだろう?


オランダへ行く数日前、前年に半年以上暮らしていたボーンホルム島にも立ち寄っていた。
毎日散歩していたお気に入りの場所、Ekkodalenを歩いたとき、なんとも言えない気持ちになった。

その年の夏は暑かったのだろう。
緑がうるさいほどに生い茂ったその場所は、前年とはまるで違っていたからだ。
そして、同じ場所に戻っても、同じ季節は戻らないと感じた。

音も、季節も、人も、今その瞬間にしか存在しない。
未来のために、今を犠牲にする必要はない、と思った。

今という一音

その後、私は一度日本へ戻ることにした。
言語学校へ通わず独学でデンマーク語を学ぶのは簡単ではなかったけれど、翌年、なんとかデンマークの大学に入学することができた。

それからも旅の途中で、幾度となく音楽に救われてきた。

今でも旅をすると、知らない街のコンサートへ足を運ぶ。
そこには、一度きりの音楽と、その瞬間にしか出会えない私がいる。

今という一音を、どう鳴らすか。
今この瞬間を、どう生きるか。

あの夜の演奏が、今も私に問いかける。


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