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“欲しい”と言わない母を前に、娘が習得した超能力の話

昨日の電話は、ただの“ヒートテックいる?問題”だった。
…はずなのに、気づけば深い家族分析へと発展した。

「欲しい?」と聞く私。
「あったら使うかなぁ」とだけ言う母。

はっきり欲しいとは絶対に言わない。
この曖昧さを読み取るのが、私にはデフォルト設定。

その時ふと思った。

「あ、私はこうやって“行間を読む娘”に育てられたんだ」

気づいた瞬間、なんだか全部つながった。
それと同時に、ちょっとだけ笑ってしまった。



ヒートテックが欲しいのか問題が、じわじわ深かった話

母と話していた内容は、本当にただのヒートテック。

私「ヒートテック欲しい?」
母「ヒートテックは着るかなぁ」

……いや、それ“欲しい”の? “欲しくない”の?

念のため、もう一回。

私「いる?」
母「極暖は寒い時しか着ないかなぁ」

……いや、それ“いる”ってこと? “いらない”ってこと?

結論として、
母はひと言も “欲しい” と言わない。

でも“まったくいらない”とも言わない。

「送ってくれるなら着るよ?」のような
“限定的に肯定してる風だが意思は明言しない”
独特の返しだけが積み重なっていく。

そのニュアンスを読み取って判断する私。

この瞬間、ハッとした。

「あ、これは姉だけじゃなくて、母も行間の民だったんだ」



■ 行間で話す家族。行間で受け取る私。

私の家族は、ひと言でいうなら

“言語化はしない、ニュアンスで伝える文化”

でできている。
• 「欲しい」とは決して言わない
• 「欲しくない」とも絶対言わない
• でも“どちらとも読める余白”だけは残す
• 最終判断は“察する側”に委ねる

これ、日常会話としてはかなり高度。

私は知らぬ間に、
その“余白の翻訳担当”として育ってきた。

母の
「ヒートテックは着るかなぁ」
という一言は、私の脳内で

「積極的に欲しいとは言わないけど、あれば助かる。
ただし“欲しい”とは絶対に言わない」

くらいの長文に自動変換される。

行間翻訳機能、長年フル稼働。

そりゃスキルも伸びる。



■ 行間翻訳者って、地味に疲れる

行間って読むだけならいいけれど、
“決断に変換し続ける” となると、結構しんどい。
• 本音を推測し続ける
• 言ってない情報を補完する
• 最終判断をこちらが担う
• でも決めすぎると「勝手に決めないで」となる(理不尽)

この環境で育つと、
自動で相手の気持ちを読み取ってしまう癖
がつく。

良い意味では繊細で感度が高い。
悪い意味では疲れやすい。

なんというか、
「ずっと頭の中に、相手の“気持ちセンサー”が立ってる状態」。

私はそれを“普通”だと思っていた。



■ そして反動は、しっかり次の世代へ

そして、これには反動があった。

私は子どもたちには
真逆のコミュニケーションを求めるようになった。
• 欲しいなら「欲しい」と言う
• いらないなら「いらない」と言う
• 曖昧なニュアンスは禁止
• 行間は読まない
• とにかく言語化!

自分でも笑ってしまうほど。

でも、その背景を考えると本当に自然で、

“行間で判断する生活がしんどかった経験”
が、子育てにそのまま反映されているんだと思う。

私は、子どもたちには
“翻訳しなくていい世界”を渡したかった。



■ 気づきのおかげで、少しだけ心が軽くなる

母や姉のコミュニケーションは、
良い悪いではなく“文化”なんだと思う。

あの家の“言い回しのクセ”。
曖昧さを残す会話。
直接言わない遠慮。
でも期待はあるという謎の仕組み。

私は、その中で
行間を読み、翻訳し、判断する
独特なスキルを身につけた。

それはそれで、ちょっと誇らしい。

でも今は、そのスキルを
「必要な時だけ使えばいい」
と思えている。

そう思えたのも、昨日の母との電話のおかげ。



行間の民に囲まれて育った私は、
今日も誰かの曖昧さを少しだけ翻訳しながら生きている。

でも、もうずっと翻訳者である必要はない。


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