家庭は“休む場所”なんて嘘だった──『ヨチヨチ父』が教えてくれた、あの頃の私の本音。
上の子が学校から借りてきた絵本『ヨチヨチ父』。
ページをめくった瞬間、笑った。次の瞬間、胸がズキッとした。
ベビーカーが後ろにバタンと倒れる“育児あるある”。
読めば読むほど、あの頃の私のイライラや孤独がふわっと逆流してくる。
もし当時この本に出会っていたら──
私はきっと、こう思っていた。
「優しくされたいのはこっちだよ」
「これ、読んでほしいのは夫でしょ?」
でも今は違う。
笑いながら読めるくらいの“距離”ができたから。
崩れた理想。しんどかった日々。
それでも残った家族。
『ヨチヨチ父』を読んだ日は、
あの頃の私をやっと卒業できた日だった。
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この本、基本的に“お母さんに優しくしてあげてね”というメッセージが込められている。
確かにそうだよなと思いつつも、
読んでいると、当時の自分のイライラがふっと蘇ってくる。
あの頃、これを読んでいたら救われていたかもしれない。
でも一方で、こんなこと思ってたと思う。
「優しくされたいのはこっちだよ」
「読んでほしいのは私じゃない、あんた(夫)だよ!」
実際、夫に「これ読んで!!」って圧をかけてたと思う。
当時の夫はきっと読まなかっただろうけど(笑)
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家庭=安らぎという幻想
『スクラップ・アンド・ビルド』というページにこんな記述がある。
「お父さんにとって家庭は安らぎの場所。
疲れを癒し、自分自身を取り戻す場所。
パパたちはどこかでそんな幻想を抱いています。」
読んでて、あーこれ、うちもそうだったなと思い出した。
夫にとっても、私にとっても、家庭は「休める場所」のはずだった。
でも実際はまるで逆だった。
毎晩の夜泣き、積み上がる洗濯物、食べかけのおにぎり。
寝不足と焦りと孤独で、家の中がすべて“ノイズ”に感じた時期もあった。
安らぎなんてどこにもなくて、
安らげない“私自身”がそこにいた。
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「母親が全部やらなきゃ」っていう幻想も壊れた
特にしんどかったのは、子どもが病気のとき。
「病気のときは母親が看るもの」
そんな世間の空気に、ギリギリの心で耐えていた。
でも私は病児保育に預けた。
24時間病気の子どもにつきっきりは、ほんとに神経がもたなかった。
他人の目より、自分の精神の安定を取った。
病児保育が導入され始めた時期というものもあり、当然ながら利用している人も少数。周囲からからは特異な目で見られていた。
ただ私は後悔していない、結果的にそれで救われた命もあった。
子どもが低酸素状態になったとき、病児保育先で即座に対応してもらえたからだ
「母親が全部やる」のが正解だったら、
私、きっと見逃してた。
そのとき初めて、
“抱え込むことが強さ”じゃないって思えた。
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幻想が崩れても、そばにいてくれた人がいた
あの頃の私は、常に何かに怒ってた気がする。
疲れ果てて、余裕なんてなかった。
そんな中でも、夫は文句を言わずに育児に付き合ってくれていた。
今振り返ると、それってすごいことだったんだと思う。
彼だって、家庭が「癒しの空間」じゃなくなったことに戸惑ってたはずなのに、
逃げずに、ただ居てくれた。
あの頃は気づけなかったけど、
今ならちゃんと、感謝できる。
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今、このタイミングでこの本に出会えてよかった
『ヨチヨチ父』を、今読めてよかったと思う。
当時だったら、優しさに気づけなかったかもしれない。
本のメッセージより、余裕のなさが先に来て、
ページを閉じていたかもしれない。
でも今は、家族で笑って読める。
「いや〜、大変だったよね〜」なんて言いながら。
ちょっと泣きそうになっても、笑えるくらいの距離ができた。
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幻想は崩れたけど、家族はちゃんと残った
理想は全部、崩れていった。
「家は休める場所」「母親は万能」「夫婦は自然に支え合える」──
そんなものは幻想だった。
でも、幻想が崩れたあとに、ちゃんと現実を積み上げて、
今こうして家族で笑っていられること。
それこそが、いちばん尊いのかもしれない。
『ヨチヨチ父』を笑って読めた日は、
私にとっての、ちいさな卒業式だったのかもしれない。
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