『マミの1980(イチキュッパ)団地狂騒曲』 #9
#9 : 夏祭りのひよこと、眠れぬ夜
1980年(昭和55年)。私の住んでいる地域では、夏になると盛大な「七夕祭り」が開催されるのが恒例だった。
街じゅうに天に届きそうなほどの巨大な笹飾りがはためき、夜になると色とりどりの提灯に明かりが灯る、街が一年で一番熱く燃え上がる大イベントだ。
我が家にとっても、毎年家族全員で一張羅を着て繰り出すのが、絶対に外せない夏の恒例行事だった。
りんご飴のピカピカ光る赤、綿菓子の甘い匂い、鉄板の上で焦げる焼きそばのソースの香ばしい煙。ずらりと並ぶお面、一喜一憂する射的や輪投げ、そして薄暗いテントからおどろおどろしい悲鳴が聞こえてくるお化け屋敷。
「この狭い街の、一体どこにこれほどの人間が隠れていたんだ!?」と毎年腰を抜かすほど、他の市や全住民がすべてここに凝縮されたかのような凄まじい人だかりができていた。
人混みに流されそうになりながら、私たちは迷子にならないようにお互いの服の裾をぎゅっと握りしめて歩いた。
人混みをかき分けながら進むと、お兄ちゃんがさっそく「ウルトラマンのお面」を見つけてお母さんの袖をビシビシと引っ張り、鼻息荒く熱烈なおねだりを開始している。
私はといえば、露店の台の上に並ぶ、鉄製でバネがビヨンビヨン伸びるスリンキーや、ゴムのポンプを手で押すとピョコピョコ跳ねる緑のプラスチックのカエルのおもちゃに心を奪われていた。
そんな喧騒の中、私はある小さな出店の前でピタッと足を止め、釘付けになった。
「あ……!」
私の目を完全に奪い去ったのは、当時、お祭りの定番でありながらどこか怪しい魅力を放っていた「カラーひよこ」の屋台だった。
木箱の中に、何十匹もの小さなひよこたちがギチギチに詰まって、お互いの体温で温め合いながら「ピヨピヨ、ピヨピヨ」と儚げな声で鳴いている。
「お父さん、お母さん! 私、これにする! このひよこが欲しい!」
私が叫んだ瞬間、お父さんとお母さんは「うわぁ、一番厄介で面倒なものを選びやがったな」という顔を露骨に浮かべ、無言で視線を交わした。
生き物が大好きな私は、ここで引き下がるわけにはいかない。
ついこないだ、あの大好きなインコのアキナちゃんを悲しい事故で失ったばかりだったから、心の中にぽっかりと空いた穴を、どうしてもこの小さな新しい命で埋めたかったのだ。
私はその場にペタンとしゃがみ込み、周囲の目も気にせず涙をボロボロと流しながら「買って! お願いだから買ってぇ! 毎日ちゃんとお世話するからぁ!」と、必死の泣き落とし作戦に出た。
一度言い出したら地球がひっくり返っても絶対に折れないマミちゃんの頑固さを、両親は嫌というほど知っている。
周囲の視線の痛さも手伝って、数分後、今回も無事(?)にお父さとお母さんがガタガタと折れ、購入が決定した。
改めて屋台の木箱を覗き込むと、ピンク、青、緑、紫……カラフルなスプレーで派手に染められた、昭和ならではのサイケデリックなひよこたちがピヨピヨと身を寄せ合っている。
けれど、私が小さな指でさしたのは、その端っこの方で静かに縮こまっていた、染められていない普通の「黄色いひよこ」だった。
やっぱり鳥は、自然のままの姿が一番可愛いと思ったのだ。
「おじさん、これちょうだい!」
「はいよ! お嬢ちゃん、お目が高い!こいつが一番元気だ!」
的屋のおじさんは、私が指さした黄色いひよこを大きな手でヒョイと優しく掴むと、小さな空気穴がいくつかあいた、平たくて白い紙の箱にポンと入れた。
おじさんから箱を受け取った瞬間、中から「トントン、ピヨピヨ」と小さな命の鼓動が伝わってきた。
私はその箱をまるで壊れやすいガラス細工のように両手で大事に抱え、そこからは他のどんな魅力的な屋台(焼きトウモロコシや型抜き)にも一切目もくれず、中身を驚かせないようにすり足で、慎重に、慎重に我が家へと運んだ。
家に帰ると、お母さんが物置き部屋の奥の棚から、そっと銀色の鳥かごを出してきてくれた。
それは、以前飼っていたインコ用のカゴ。
そう、あの青くて愛おしかったアキナちゃんが入っていた、思い出のカゴだった。
「マミ、泣いておねだりしたんだから、ちゃんと毎日自分でお世話するんだよ。お母さんは手伝わないからね」
「うん、分かってる! 絶対に私が全部やる!」
私はアキナちゃんの時と同じように、手慣れた手つきでカゴの底に新聞紙を綺麗に敷き、ひよこを箱から出して優しく中に入れた。
小さなプラスチックの容器に新鮮な水を入れ、鳥屋さんで買ってもらったひよこ用の黄色いエサをサラサラと撒く。
ひよこは、新しいお家の中で小さなピンク色の足を交互に動かして可愛らしく走り回り、「ピヨピヨ、ピヨピヨ」と頼りない声で鳴きながらエサをつつき始めた。
そのあまりの愛くるしさに、私は毎日学校から帰ると真っ先にカゴの前にすっ飛んでいき、夢中になって糞の掃除をし、話しかけ、成長を見守った。
しかし。
ここからが「昭和の夏祭りの洗礼」、そして恐怖のストーリーの始まりだった。
このひよこという生き物、大きくなるスピードが、人間の常識を遥かに超えて超絶に早かったのだ。
気がつけば2ヶ月が過ぎた頃、アキナちゃんの形見であるインコ用のカゴに対して、ひよこのサイズがあからさまに「デカく」なっていた。
あんなに可愛かった「ピヨピヨ」という高い鳴き声は、いつの間にか「プエェー、グエェー」という濁ったおじさんのようなダミ声に変わり、黄色くて柔らかかった産毛は、ツンツンとした白い頑丈な羽根へと恐ろしい勢いで生え変わっていった。
そして3ヶ月が経とうとする頃——。
かつて黄色くて儚げだった手のひらサイズのひよこは、頭の上に立派な真っ赤なトサカをハエ散らかし、目つきの鋭い、威風堂々とした「巨大なニワトリ」へと完全変態を遂げていた。
「ねえ、お父さん……あのひよこ、どう見ても完全に立派なニワトリじゃないの。朝の4時から晩まで『コケコッコー!』って近所中に響き渡る大音量で鳴くから、薄いコンクリート壁の我が家じゃ生きた心地がしないわよ。苦情が来たらどうするの……」
お母さんがちゃぶ台の横で、こめかみを指で押さえながら困惑しきった顔でため息をついている。
さらに問題なのは、その可愛げのない凶暴な性格だった。
「痛いっっ!!」
ある日の午後、リビングの畳の上で遊んでいた私は、ピヨちゃん(元ひよこ)に思いっきりふくらはぎを嘴で突っつかれて悲鳴を上げた。
そうなのだ。
あんなに小さくて守ってあげたかったピヨちゃんは、成長とともに、我が家で一番の「獰猛な肉食獣」と化していた。
エサや水を入れようとカゴの扉に手を近づけるだけで、「シャーッ!」と首の羽根を逆立てて威嚇され、マッハの速度で鋭い嘴が飛んでくる。
お世話をするのも命がけだった。
「お父さん……ひよこ、大きくなったら全然可愛くなくなっちゃったね……」
私がポツリと本音を漏らすと、お父さんも仕事帰りのビールを飲みながら、カゴの中のニワトリをギロリと睨み返し、
「そうだな……参ったな。あいつ、俺が仕事から帰ってくると、どっちがこの家のボスか決めようぜって感じの『格闘家』みたいな目でメンチ切ってくるんだよな。完全にナメられてるわ」
と頭を掻きながら呟いた。
朝は未明から団地中に鳴り響く爆音の「コケコッコー!」。昼は狭いカゴの中でバサバサと暴れる激しい羽音と飛び散る羽根。夜は家族を鋭い眼光でロックオンして威嚇。
我が家は全員、その凄まじい騒音と凶暴性に、完全にうんざりして精神的に疲れ果てていた。
インコ用のカゴは、すでにニワトリの巨体に対してギチギチの、満員電車のような限界状態を迎えていた。
そんなある日の夕方、お父さんが工場から仕事着のまま帰ってくるなり、パッと顔を輝かせて玄関の引き戸を開けた。
「おい、マミ! お母さん! 朗報だぞ! 俺の職場のすぐ近くにある幼稚園が、ニワトリを喜んで引き取ってくれるってさ! 広い庭に立派な飼育小屋があって、仲間もたくさんいるんだと!」
「えっ! 本当に!?」
お母さんとお兄ちゃんが、地獄で仏に会ったかのような、これ以上ない歓喜の声を上げた。これでもう、明日の朝から目覚まし時計に叩き起こされずに熟睡できる!
私はといえば、正直、毎日の突撃に怯えていたのでホッとした反面、自分が泣いておねだりして飼うと決めた命を、途中で手放してしまうという事実に、胸の奥がチクチクと痛む複雑な思いが押し寄せていた。
でも、この狭いカゴの中に閉じ込めておくよりは、幼稚園の広い飼育小屋を他の仲間たちと走り回らせてあげた方が、絶対にこの子の幸せになる。
私はゴクンと唾を飲み込み、「……うん、分かった。そこにお願いしよう」と小さく頷いた。
そして、ついにお別れの日の朝がやってきた。
まだ薄暗い早朝、お父さんがニワトリの入った銀色のカゴを両手で持ち上げ、玄関へ向かう。
私はカゴの中の、相変わらず「何やコラ」と言わんばかりの鋭い目でこちらを睨みつけている白いニワトリを見つめながら、ポロポロと涙を流して謝った。
「ごめんね……。私のせいで、最後の最後までお家で飼ってあげられなくて、本当にごめんね……」
お母さんが、私の小さな肩を後ろから優しく包み込み、さすってくれた。
「マミ、いいのよ。インコ用の狭いカゴの中にずっと閉じ込めておくのは、この子にとっても一番可哀想なことだから。これでいいの。仕方のないことなのよ」
私はお父さんがカゴを抱えてドアを出ていく直前、どうしても最後の最後にお別れのスキンシップがしたくて、カゴの網目の隙間から、自分の人差し指をスッと中へ差し入れてみた。ピヨちゃん、バイバイ。
幼稚園に行っても元気でね。
すると、ニワトリは私の涙の感傷など1ミリも、これっぽっちも汲み取ることなく、いつもの野生の瞬発力で、私の指を目がけて「ガッ!!!」と思いっきり突っついてきた。
「痛っったーーーーーーい!!!」
あまりの痛さに涙が一瞬で引っ込むかと思ったが、私は赤くなった指を口にくわえて押さえながら、ボロボロと涙を流した顔のまま「あははは!」と大爆笑してしまった。
「もう! 最後の最後まで、本当に可愛くないんだから! 幼稚園で子供たちを突っついて嫌われないようにしなさいよ!」
カゴを抱えたお父さんも「よし、じゃあ行ってくるわ! 幼稚園の園児たちに負けるなよ、元ひよこ!」と笑いながら、夜明けの団地の通路を出発していった。
ニワトリがいなくなった我が家のリビングは、信じられないほど静まり返っていた。
翌朝、目が覚めたとき、いつもの耳をつんざくような「コケコッコー!」が聞こえない寂しさは少しだけあったけれど、あのアキナちゃんの形見のカゴを綺麗に水洗いして、また物置き部屋に片付けているとき、私の心はどこかすっきりと晴れ渡っていた。
今頃あいつは、幼稚園の広い砂場をボスのようにつんと胸を張ってのし歩き、元気いっぱいに園児たちを追いかけ回して突っついているに違いない。
夏祭りの夜、私の手のひらに収まっていたあの黄色くて儚いピヨピヨの温もりと、最後に思いっきり突っつかれた人差し指の痛みを、私は今でも時々、可笑しくて愛おしい思い出として振り返るのだ。
(#9・了)
この小説はノンフィクションです。
