見出し画像

アラフィフが今、留学せざるを得ない事情

こんなアラフィフ留学生のつぶやきのような、もしくはストレスの吐口のようなnoteでもそれなりにPVがある事実を見ると、ありがたい事に複数の方々に読んでいただけているようだ。日頃のご愛読にこの場を借りて御礼申し上げたい。愛読いただいていればの話だが(笑)。

このnoteでは筆者の無理ゲー留学だけではなく、筆者自身の無理ゲー人生についてもところどころで触れている。そこで、今回は筆者がアラフィフにもなって博士課程を「せざるを得なかった」事情について触れたいと思う。

もちろん、自分には博士課程でどうしても研究したいテーマがあったのはもちろんだ。そして、以下のマガジンで書いている引きこもりニート弟に殴られたせいで右目が病気になった事情もあり、右目の視力を失う前に博士課程を始めたいという希望もあった。

マガジン「アラフィフ留学生の一人ぼっちの闘病記シリーズ」

そして、以下の記事に書いたように、20代の頃に出会った当時50代の先輩方がスマホもなければGoogleすらなかった時代でも果敢に海外留学をしていた、もしくは家族に内緒でゲリラ的に留学準備を進めていた、という先輩方の背中を見ていた、ということもあった。

<以前の記事>

しかしそれ以前に、筆者には40代後半でも日本で築いたなけなしの資産や社会での立場を捨ててでも、絶対に博士課程をやらざるを得なかった事情もあった。その事情について以下に書いていく。

かなりプライバシーキワキワな話になるのだが、今回はあえて無料記事として公開したい。もし、筆者の身に何かあって今度は蘇生しなかったとしても(この件は後述)、この記事を読んだ人がこんな人間もいた、ということをいつか思い出してくれる事を願っている(涙)。

迫り来る難病の影

筆者には遺伝的に比較的近しい親戚がいるのだが、その親戚は55歳で難病を発病して以来、70代後半となる今でも寝たきりとなっている。その病気は神経系の遺伝病で、発病年齢の中央値は27歳だと聞いた。だが、その親戚は世界的にも稀な症例らしいのだが、55歳で発病した。そして、発病するとあっという間に歩くことができなくなり、救急搬送されてから1年以上は病院を転々としながら寝たきり入院生活を強いられた。

その病気は日本では稀な病気であり、研究が全く進んでいない。よって、欧州から輸入された薬を服用して病気の進行を止めるしかない状態だった。20年以上前の話ではあるのだが、その辺は今も状況は変わっていないだろう。

そして、その薬は日本人には強すぎたようで心臓発作で一度、20分ほど死んだのだが(心臓が止まっていた)、悪運が相当強い人だったので奇跡的に生き返った(汗)。

その親戚は類まれな悪運のおかげで今でも意識がしっかりして生きている。だが、歩くことはできず寝たきり状態で、危険な薬を服用し続ける生活を20年以上続けている。

筆者もその病気が発病する可能性はあり得る。よって、55歳までに博士号を取るべく、どうしても50歳までに博士課程を始めたかった。しかし、40代でMBAを取得し、ようやく博士課程を出願し始めた頃に起こったのがあの新型コロナウイルスのパンデミックだ。そのコロナ禍の中も必死になってステイホーム出願については以下の記事の有料部分に書いている。

<以前の記事>

コロナ禍でも希望を失わず、というよりも執念深く博士課程に出願を続けることができた事情、というのが、この難病発病のタイムリミットが迫っていたからだった。

一度死んだことがあるから必死に生きる

前述の通り、筆者の親戚は一度、20分ほど死んだ事があるのだが、実は筆者も一度死んだことがある(爆)。って、人間、そんな何度も死ぬか!?と思うだろうが、本当にあるのだから不思議だ(笑)。

ちなみに筆者が一度死んだのは7歳くらいだったと思う。死因は溺死だった。しかも、筆者が死んだ原因はあの毒母だ(怒)。

何度かnoteの記事でも出てくる、筆者が以下の記事でスコットランドのクソカレッジとの戦いで心身ともに疲れ切っているところにリモートで金の無心をしてくるようなクソな毒母だ。あいつは金の無心だけではなく、実は筆者を一度殺した事があるのだ(しかも合法的に)。

<以前の記事>

筆者もまだ7歳ごろだったので詳しいことは覚えていないのだが、毒母は大人が使う25メートルプールがあった彼女の職場に筆者を連れて行った。そして、まだ幼かった筆者をそのプールで遊ばせたままでどこかに消えた(と、言うよりテメーの子供に興味がなかったのだろう)。
普通、母親がまだ7歳くらいの子供を1人で大人用の25メートルプールで遊ばせてどこかに行ってしまうなど常識的に考えられないのだが、本当にそれをやるのが「毒母」なのだ。

当然、7歳の子供が1人でそんなプールで遊べば溺れる。筆者は深いプールに足を吸い込まれるようにして溺れた。映画で見るような水面が遠くなり必死になって浮かびあがろうとしても手足が重く感じ、そして目の前が真っ暗になっていた。その時、7年の短い人生の最後に思った言葉が「もうだめだ・・・」だった。

人は殺されたり事故などで時間的に猶予がある死ぬ間際にはこのような事を思うようで、急死に一生を得た人の体験談にも必ずと言っても同じ言葉が出てくる。前述の親戚が死んだ時には心臓が痛すぎてそんな余裕はなかったらしいのだが(と、本人が後日、解説していたw)、多分、筆者が次に死ぬ時にまた時間的猶予があればその言葉が頭をよぎる事だろう(恐)。

そして、それが筆者の短い人生の最後の言葉となるはずだったのだが、目の前が真っ暗になった瞬間に、必死になって水面を掴もうとした筆者の手を誰かが強く掴んだ。そして、気がついた時にはプールサイドに引き上げられていて人工呼吸で蘇生したのだ。

その時はたまたま運よく毒母の同僚がプールを見に来たようで、その人が助けてくれたのだった。その人がいてくれたお陰で今、こうしてロンドンで博士課程ができているので本当に感謝しかない(涙)。

だが、毒母の姿はそこにはなかった。そして、一度溺死したような7歳の子供だった筆者は病院に連れて行かれることもなく、何事もなかったかのように毒母によって自宅に連れ帰られた。

テメーのせいで子供の命の危険があったにもかかわらず、このような行動をナチュラルに取るような毒母だからこそ、その10数年後に引きこもりニート弟に殴られて右目がお岩さんのように腫れ上がった筆者の姿を見ても何も言わずにフツーに夕食を食うような非常識な事もごく自然にやらかすのだ(怒)。如何にこの女が人間のクズであるかがお分かりだろう。

令和の今の時代にであれば児童虐待として毒母は逮捕されるのだろうが、当時はギリ昭和。古き悪き昭和の時代では、少子化の令和では考えられないくらいに子供が多かった為に、社会全体で子供の扱いが呆れるほど荒かった。昭和の大人の感覚では、子供の1人2人くらい死んでもなんて事はない。子供なんぞは「死んだらまた産めば(作れば)いーやー(草)」くらいに、女だけではなく男すらも考えていた恐ろしい時代だった(汗)。

そのような人権ガン無視の昭和の親とは言え、やはり筆者の毒母は、人の親である以前に、人として問題がある人物であったと言えよう。

そもそも毒母のやったことは公私混同行為であるからして、今の時代ならば毒母は職場で懲戒免職されるのだろうが(特に筆者が死んでいたら警察マターだw)、そこもまたゆるい昭和。昭和の時代に「コンプライアンス」などと言う言葉はない。恐ろしい事に子供1人が事実上、殺されかかったにも関わらず、毒母の職場では本当にこの件に関して何もしていない(汗)。

毒母はその後も同じ職場で何事もなかったように働き、定年まで勤め上げて今も我々現役世代が積み立てている年金制度を食い潰しながら(怒)、たんまりと年金をもらって引きこもりニート弟に小遣いを与え続けている(怒)。就職氷河期世代で非正規雇用されて苦労した筆者世代では考えられない緩さだ(怒)。

これは毒母が如何に邪悪な人間であるかがよくわかるエピソードではあるが、今回書きたいのはそこではない。

この一件があって筆者は7歳ですでに「急死に一生」を得ている。そして、以降、人生はいつ突然終わるかわからない、という危機感を抱きながら生きるることとなった。これは一度死んだことがある人なら分かる事だが、残念ながら一度も死んだ事がない人には死ぬまでそれは分からない(←意味不明な文になってしまった)。

だが、自分にはその危機感があるからこそ、博士課程に限らず、自分がやりたい、もしくはやるべき、と考えることには常に全力で取り組み、アラフィフになっても必死になって生きている事が出来ている。

あ、一応言っておくが、筆者は一度溺死したからと言って水が怖いとか、泳げない、とかはないからな。むしろ、この一件の後に友達に誘われてスイミングスクールに通うようになって、小学校6年生までにクロールと平泳ぎでそれぞれ25メートル、背泳ぎで50メートル泳げるようになっているぞ(爆)。

なお、スイミングスクールに通いたいと毒親に言ったら珍しくあっさりと許可して月謝も払い続けてくれた。やはり、この溺死事件の事を認識していたからだと思われる(怒)。

引きこもりニート弟の脅威

そして極め付けはこれだ。筆者には30年以上引きこもっているアラフィフのニートおっさんとなった弟がいる。この一文だけで奴が如何に救いようのない「ゴミ」であるかがお分かりだろう(笑)。

しかし、こんな兄弟がいるのは本当に地獄だ(悲)。引きこもりの兄弟姉妹なんぞは存在しているだけで「脅威」だ(怒)。

筆者の祖父母は生前に「弟の面倒を見る必要はない」というお許しを筆者に与えている。だが、毒両親が30年以上手塩にかけて作り出したこの「ゴミ」(←弟の事だ)は、毒両親自身は責任を取らずに奴をこの世に放置して死に逃げする事は目に見えている。本当に毒両親には死ぬ時にこのゴミな弟も一緒にあの世に連れて行ってほしい(怒)。

働かない、自分で自分のことをやらない、金食い虫、ということだけでも存在自体が引きこもりニートは悪なのだが、筆者の弟の場合は暴力も振るう。その最初の被害者は筆者自身だからよく分かっている(怒)。

自分は命の危険があるので10年以上は修羅の実家には近寄っていない。しかし、引きこもりニート弟が他人に暴力を振るう、あるいは、アニメ会社にガソリンを撒いて火をつける、といったようなテロ行為に出ないとは言えない。いや、むしろ、そのような事をする可能性はとても高い。なんなら、筆者が相談した弁護士も同じ事を言っていたぞ(汗)。

何しろアイツは、筆者自身の右目を殴って障害を負わせるような、とっくの昔に人生が詰んでいる暴力おっさんだからな(怒)。その弁護士からも「弟さんはすでに無敵の人になっているので何をしでかすか分からないので刺激をしない方が良い」と警告されている(苦)。弁護士がそこまで言うような状況だから引きこもりニート弟は「ゴミ」認定でヨシ!

なお、引きこもりニート弟が事件を起こして警察の逮捕されようが、刑務所に入れられようが、死刑になろうが、筆者としてはどうでもいい。むしろ、奴が死刑になればこっちは安心して生きていく事ができる(笑)。

だが、引きこもりニート弟が犯罪者となる場合は筆者の日本での立場にも悪影響が出るのは必至だ。そして、そうなると筆者が日本で生きていくことに支障が出ることも考えられる。

よって、どちらにしても引きこもりニート弟が事件を起こす前に博士課程を始めなくてはいけない、という強い危機感を持っていたのだ(涙)。

ハードコア人生はまだまだ続く

さらっと書いているが、自分はかなりハードコアな人生を送っている。そして、そのハードコア人生はまだまだ続く。今の時代であればアラフィフならあと20年くらいは身を粉にして働かないと生きていけない。

毒両親はそろそろ死ぬのでどーでも良いのだが(←と、いうかさっさと死ね、と思っている)、そして、難病の発病や引きこもりニート弟が起こすであろう事件の懸念が常に筆者に気まとう。しかし、自分はここで負ける訳にはいかない。何故ならば、それに屈してしまうと毒両親と引きこもりニート弟の思う壺だからだ(怒)。

おっと、今回は相当ダークな話を太っ腹に無料で公開してしまった(笑)。
引き続き、邪悪な毒家族に負けずに自分自身の人生を歩むことで奴らに復讐すべく精進する。

今回もここまでお読みいただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

アシュリー@ベテラン英国博士留学生 よろしければ応援お願いします!いただいたチップは博士課程の費用の一部として使わせていただきます!