限界を超えると、人は優しさを忘れるようにできている。
顔を見るだけでしんどい。
声を聞くだけで疲れる。
そんな自分に、一番傷ついていませんか。
私にも、そういう時期がありました。
昔の私は、もっと優しくできた気がします。
弱っている人を見れば心配したし、困っている人には自然に手を差し伸べたいと思っていました。
でも、ある時期の私は違いました。
義母が入院していた頃、私は毎日面会に通っていました。
弱気になった義母は、会うたびにこう言いました。
「私は何もできない」
「もうだめだ」
「どうしたらいいかわからない」
以前の私なら、もっと寄り添えていたと思います。
「大丈夫ですよ」と声をかけたり、不安な気持ちを受け止めようとしたはずです。
けれど、ある日。
義母の顔を見た瞬間、心配より先に浮かんだ気持ちがありました。
今日もまた、その言葉を聞くんだろうな。
そう思った自分に、少し驚きました。
話を聞いているうちに、だんだんイライラしてくる日もありました。
本当にできないこともある。
それはわかっています。
でも、やろうと思えばできることまで手放しているように見えてしまったのです。
少しはやってみたらいいのに。
最初から諦めないでほしい。
私ばかりが支える側なのは、しんどい。
口には出さなくても、心の中ではそんな思いが膨らんでいました。
励ますより先に、責める気持ちが出てくる。
支えるより先に、距離を取りたくなる。
そんな自分が、情けなくてたまりませんでした。
もっと優しくするべきなのに。
弱っている人にイライラするなんてひどい。
嫁なんだから、もっと支えるべきなのに。
そうやって、一番強く私を責めていたのは私自身でした。
でも今なら思います。
あの頃の私は、冷たくなったのではありませんでした。
限界だったのです。
人は、心や体がすり減り続けると、感情を鈍らせます。
そうしなければ、自分がもたないからです。
ずっと優しくいること。
ずっと相手の不安を受け止めること。
ずっと自分を後回しにすること。
それは、簡単にできることではありません。
だから心は、自分を守るために少し閉じます。
優しさがなくなったのではなく、出せなくなっていただけ。
思いやりが消えたのではなく、余裕が消えていただけ。
それだけ大変だったということです。
介護の中で、優しくできない日がある。
顔を見たくない日がある。
逃げたくなる日がある。
それは、あなたがおかしいからではありません。
むしろ、それだけ頑張ってきた証拠です。
限界まで頑張った人は、冷たくなんかない。
少し休んでいい人です。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
きれいごとでは語れない50代の本音を、メンバーシップでも綴っています。
介護、夫婦、自分のこと。「私だけじゃなかった」と思える場所になれたら。
少し深い話を読みたい方は、ぜひ。
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