大好きなのに、早く終わってほしいと思った。
親のことは大好きです。
それなのに、介護が始まってから何度も思いました。
「もう、早く終わってほしい」
そう思った自分が、一番つらかった。
親のことは、なんだかんだ言って大好きです。
もちろん、きれいごとだけではありません。
腹が立ったこともあるし、価値観が合わずにぶつかったこともある。
子どもの頃からずっと、親子なりのいざこざはありました。
それでも、ここまで育ててもらったことには感謝しています。
不器用なところも、強引なところも、嫌だと思った部分も含めて、私にとっては親でした。
そんな親が、介護を必要とする状態になった。
最初は、その現実をなかなか受け入れられませんでした。
受け入れてしまえば、見なくてはいけないからです。
衰えていく姿。
できていたことが、できなくなっていく姿。
昔はあれほど強く見えた人が、少しずつ弱っていく姿。
それを認めた瞬間、自分の足元まで崩れてしまいそうでした。
けれど現実は、待ってくれません。
通院の付き添い、手続き、日々の世話、体調の波への対応。
時には口げんかになり、言わなくていいことまで言ってしまう日もある。
介護は、特別な出来事ではなく、生活の中に入り込んできます。
だからこそ、静かに、確実に、人を削っていくのだと思います。
体力が減っていく。
気力も減っていく。
予定は親中心になり、自分の時間は後回しになる。
「この毎日、いつまで続くんだろう」
そんな思いが、ふと湧くことがあります。
そしてある日、心の奥でこう思ってしまったのです。
もう、早く終わってほしい。
その瞬間、自分が一番驚きました。
そして、すぐに自分を責めました。
終わってほしいということは、介護が終わるということ。
介護が終わるということは、親の人生が終わるということ。
私は、母に早く亡くなってほしいと思っているのではないか。
そう考えた途端、罪悪感が押し寄せました。
でも今なら、少し違う見方もできます。
あのとき終わってほしかったのは、母の命ではなく、終わりの見えない苦しさだったのです。
終わらない緊張。
終わらない責任。
終わらない我慢。
その重さから、少しでも解放されたかった。
人は限界が近づくと、気持ちを乱暴な言葉でしか表せなくなることがあります。
「もう無理」
「消えたい」
「全部終わってほしい」
本当に望んでいるのは破壊ではなく、休息だったりします。
介護の中で生まれる相反する気持ちは、珍しいことではありません。
大好きなのに、離れたい。
助けたいのに、逃げたい。
長生きしてほしいのに、早く楽になりたいと思ってしまう。
この矛盾を持つ自分を、おかしいと決めつけなくていい。
むしろ、それだけ本気で向き合ってきた証拠です。
どうでもいい相手なら、ここまで苦しまないからです。
誰かに責められるより、自分で自分を責めることが一番きつい。
自分の心は24時間、いつでもそばにいて責めてきます。
だからこそ、少しだけ言ってあげてほしいのです。
「よくやっている」
「しんどいと思って当然」
「そんな気持ちになる日もある」
相反する気持ちを持つあなたは、おかしくない。
それだけ本気でやってきた証拠です。
介護の本音は、表ではなかなか言えないものです。
メンバーシップでは、こうした“きれいごとでは済まない気持ち”も、正直に綴っています。
ひとりで抱え込まないで。
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