見出し画像

意識のない夫が流した涙――くも膜下出血で突然変わった我が家の13年

13年前のある朝、夫のお弁当箱にご飯を詰めようとしたとき
突然「バタ~ン!!!」とものすごい音がお風呂場から聞こえてきた。

その音に愛犬もびっくりして後ずさりをしたのを見た私は、
すぐにお風呂場へ向かった。

お風呂の洗い場に夫が倒れていて、
いびきのようなものをかいて意識はなかった。



意識のない夫が流した涙

救急車が到着してから夫は意識を取り戻した。

当時、自営業をしていた夫は救急車の中で
その日予定されていた仕事を心配し、
私に連絡をしてほしいと訴えかけてきた。

その後、夫と話すことができたのは4ヵ月後になるとは
この時、思ってもみなかった。

病院の処置室で再び意識を失った夫の病名は
くも膜下出血だった。

医師の説明を受けた後すぐに手術することに。

手術室に入る直前、
意識のない夫の代わりに私が本人確認をしたとき
夫の目から涙がこぼれ落ちた。

目をつぶって意識はないけど、本人は聞こえていたのかもしれない。

後になってこの時のことを夫に話したが、
お風呂場で倒れたことも、
手術前に涙を流したことも何も覚えてはいなかった。


手術後、夫の顔は2倍に膨らんでいた

手術は4時間、その間私は病院から出てはいけないと言われたので
案内された待合室で手術が終わるのを待っていた。

当時長男は専門学校2年生、次男は高校3年生。

2人とも学校を休んで私に付き添ってくれた。

手術中に、夫の仕事先へ連絡、
当時1人いた従業員にも連絡してその日の対応を相談。

そして、同居していた夫の両親へ連絡。
くも膜下出血だと言ったら、
電話の向こうで言葉を失っていた。

手術が終わった後、看護師さんがICUへ案内してくれた。

ベッドに横たわった夫の首から上は、
たくさんの管がつながれていて
顔は倍くらいに膨れ上がってパンパンだった。

看護師さんから、
「耳は聞こえているので話しかけてほしい」
と言われ話しかけるが、反応はない。


目は開けるが反応がない

手術から1週間が過ぎたころ、夫は目を開けた。

そして、ICU(集中治療室)からHCU(高度治療室)へ移った。

けど、
話しかけてもまったく反応がない。
私を見ることもない。

看護師さんも、「目は開いているけど反応がないので
こちらのことを認識しているのかわからない」と…

手術から2週間後、
私の兄が義姉とともに見舞いに来てくれた。

夫が倒れたのは10月、
お正月は毎年家族で私の実家に集まっていた。

お酒好きな夫に兄は、
「早く良くなって正月、酒を飲もうな」
と声をかけた。

その時だった。

初めて夫が笑ったのだ。

夫が自分の感情を出したのだ。

大好きなお酒の話で。

とてもびっくりしてうれしかった私は思わず
「笑った!話がわかってるんだ!」
と声に出していた。

この時をきっかけに
言葉は話せなく体は動かないが、
目で意思表示をするようになっていった。

そして5日後、一般病棟へ移ることができた。

その日は、私たちの結婚記念日だった。

テレビでしか観たことがなかった院長回診

一般病棟へ移ってから2週間後、リハビリテーション病院へ転院することになった。

転院する当日の朝、
夫はお風呂に入ることになり支度をして待っているときだった。

テレビでしか観たことのない病院長回診が、
夫の病室へやってきた。

夫は退院するので診てもらうことはなかったが、
医師が他の患者さんのことを
院長とみられる人に説明していた。

私は、「院長とみられる人がしっかり診察するのかな」と思っていたが
患者さんを「見た」だけだった。

正直言って「大人数で来て診察するわけでもなく邪魔」
と感じたのは私だけだろうか。

そしてリハビリテーション病院へ転院することになるのだが、
そこで予想だにしないことが私を待っていた。

それはこちらの記事に書いているので、読んでほしい👇


リハビリで少しずつ回復

リハビリテーション病院へ移ったその日、
それまでほとんどベッドで寝ていた夫だったが
座る姿勢をとり、ご飯を食べることをうながされた。

初めはとても心配したが、
毎日のリハビリで少しずつ、
本当に少しずつ体が動くようになり、
そして、言葉も徐々に話せるようになっていった。

途中、元の病院へ戻り、2回目の手術を受けることになったが、
その後も順調に回復し退院の話も出てきていた。

夏の暑い日、退院することが決まり
新たな生活が始まった。


借金返済と自宅の売却

夫は15年間、自営業をしており私は事務をしていた。

夫が倒れてからは、事業の借金返済や、自宅の売却と新居探し、
毎日の見舞いと目まぐるしく過ぎていった。

同居していた義両親の転居先以外は、すべて私一人で行った。

義両親の転居先は、自分たちで決めたかったらしい。

私もそのほうが気楽だった。

事業の借金返済と自宅の売却は誰かに相談したかったが
周りには相談できる人がいなかった。

夫は事業で借金をするとき、必ず私にも同行させ話を聞かせていたので、
問題なく処理することができた。

なので、夫が倒れたあとの借金の返済は夫の保険で滞りなくできたが、
心配と不安はMAXだった。

今思えばよくやったなと思う。


13年、夫の家族とは疎遠

10年、夫の義両親、義妹と同居していたが、
最後に合ったのは、夫がリハビリテーション病院を退院する日。

今、私たちが住んでいる場所と、義両親と義妹の住まいは
電車で1時間ほどの距離。

だけど、この13年、一度も会っていない。

そして、夫には弟もいるのだが、
「義両親が住むことになる自宅の保証人になってほしい」
と話をしてから連絡がとれなくなった。

保証人になりたくないらしく、
そのことで義両親の住むところを決めるのに時間がかかった。

最後は、私の兄が保証人でも住めるところに決まったのだが、
担当してくれた不動産屋さんは、困っていた。

そんなことがあったので、
夫の家族とは連絡を取ってもいないし会ってもいない。

夫は、年に一度、私の実家へ行くことを楽しみにしていて、
自分の家族のことを話すのを嫌がるし、
家族の話になると怒り出す。

だから、話題にしないようにしている。


最後に

夫の心と体は、13年という時間をかけて
本当に少しずつ回復してきた。

退院してすぐのころは、季節がわからず、日にちや曜日もわからず、
午前中に病院へ行っても、お昼ご飯を食べるときには
病院へ行ったことを忘れている、そんな状態だった。

今は話の中で時々季節を間違えたり、
日にちや曜日を間違えることはあるけど、
わからない、ということはない。

なにより、
一般企業で働くことができていることが奇跡といえるのではないか
と思っている。

最初の手術後に医師から、
「脳が完全に戻ることはない」
と言われていた。

これから先も完全に戻ることはないと思っているが、
日々働くことができ、美味しいものを食べ、適度にお酒を飲み
楽しくくらせればいいと思っている。

自分も世の中もどうなるかわからないけど、
毎日を悔いのないように生きていきたいと願ってやまない。


最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事がおもしろい、いいな!、スキと思った方は
スキ♡をポチッと押してね!
こちらからも遊びに行きます!

フォローも大歓迎です!


私はこんな人👇


同居がつらい、そんな悩みを抱えているあなたに読んでほしい👇


夏を乗り切るために必要な甘酒の話👇


いいなと思ったら応援しよう!

あゆみ |もうすぐアラカン50代日常エッセイ よろしければ応援お願いします! いただいたチップは、夫に二度と浮気されないように、アンチエイジングに使わせていただきます!