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女一人旅×ソウル 朝の光、二つの行列。――私がベーグルを選ぶ理由


女一人旅 #ベーグルがつなぐ、サンフランシスコと光化門の青空。編



前回の記事で、ソウルの空気がどこかアメリカっぽいと感じると書いた。


でも理由は、それだけではなかった。

2022年、ソウル市観光情報局は「今、ソウルはベーグルの黄金時代を迎えている」と発表した。


あれから数年経った今も、その熱はむしろ深化しているように見える。



なぜ、これほどまでにベーグルなのだろう。


ヘルシーさ。
片手で持てる手軽さ。
そして、お腹も心も“ちゃんと満たされる”もちもちの食感。


慌ただしい都市のスピードに合わせながら、
「でも、選ぶものにはこだわりたい」という今の気分に、
ベーグルという存在が驚くほど噛み合っている。


ソウルのベーグル熱は、いま日本にも静かに波及している。

⬆️日本ならではの「深化」を遂げていて、「ベー活」と呼ばれているそう


「全国民が周知しているトレンド食」は生まれにくい時代。
ベーグル人気を知らない層も少なくないだろう。
しかし何度もブームが来る食品には何かしらの理由がある。
そこを探ると、これまで意識しなかったニーズが浮かび上がってくるのではないだろうか。

(日本食糧新聞社/トータルフード・小倉朋子)




そしてたぶん私は、その熱にかなり前から惹かれていた。

でも理屈を並べる前に、
私は昔から、ただベーグルが好きだった。




ソウルは、街を歩けば、角を曲がるたびに
“ハイコンセプトなベーグルショップ”が現れる。


古い韓屋を活かした土壁と梁の空間。

コンクリート打ち放しの壁にアート。
ショーケースには、見たこともない組み合わせのサンドが並んでいる。

その熱気の中心で、私はある朝、小さな分岐のような光景に出くわした。



まだ人の少ない朝のソウルを、散歩するようにホテルから歩いた。
少しひんやりした空気と、静かな路地。

昨夜の喧騒のなごりが、
まだ、ほんのりと香っていた。

店がゆっくりシャッターを開け始める街を抜けながら、

「朝にベーグルを食べに行く」という行為そのものが、
すでに旅の一部になっていた。


すると、路地の一角に小さな行列が見えた。

白壁。
木の温度。
静かな照明。
のれん。


ミルトースト

だった。

すでに長い行列が出来ていて、ここに並ぼうかな?
すごく惹かれる。

益善洞の韓屋にいるはずなのに、京都の路地裏に迷い込んだような気持ちになった。

実際、ミルトーストはオープン当初から、
日本の町家を思わせる空間を意識していたという。

その感覚は、日本人旅行者に驚くほど自然に受け入れられ、後に東京へと展開されていった。

あの行列が求めていたのは、ただ新しいものではない。
“懐かしさ”そのものを、新しい感性として再編集した空気だったのかもしれない。

その数メートル先に、

Onjisim(オンジシム)

がある。
伝統的な韓屋の空気の中に、今のソウルらしい感度が自然に溶け込んでいるベーグルショップだ。




韓屋を改装した店内には柔らかな朝の光が差し込み、中央には大きな木が一本、静かに枝を広げていた。


気づけば、店内にいるのは私以外ほとんど外国人だった。

日本語だけが、不思議なくらい聞こえてこない。

それ自体は珍しくない。

同じ小麦のカルチャー。
同じ益善洞の、同じ韓屋の空間。

なのに、数メートルの路地を挟んで、集まる人たちの空気は驚くほど違っていた。

日本人がミルトーストに惹かれるのは、偶然ではないと思う。

喫茶店文化。
素材を味わう感覚。
引き算の美学。

一方、Onjisimは違う。

韓屋の木組み、自然光、中央に置かれた大きな木、具材を大胆に重ねたベーグルサンド。

異質なものを掛け合わせながら、エネルギッシュに成立させてしまう。

あの“足し算のソウル”がそこにはあった。


引き算の食パンには、削ぎ落とすことで生まれる「丁寧さ」への共鳴がある。

足し算のベーグルには、重ねることで生まれる「発見」への興奮がある。


どちらが優れているという話ではない。

ただ、自分がどちら側へ自然に惹かれるかで、
その人の感性は静かに見えてくる。

実は私、普段はグルテンをなるべく控えている。
パンも意識して遠ざけている方だ。


それでも「ベーグルか食パンか」と聞かれたら、迷わずベーグルを選ぶ。



理由は、ソウルのトレンドとは少し違う場所にある。


20年前、サンフランシスコに留学していた頃。
ダウンタウンのバス停の前に、お気に入りのベーグル屋があった。


学校帰りの夕方、バスを待つ短い時間に立ち寄って、決まって同じものを頼む。

プレーンベーグルに、クリームチーズだけ。

サンフランシスコのバスは、日本みたいに分単位で正確には来ない。
時刻表を気にするというより、「来たものに乗る」という感覚に近かった。

だから私は、温かい紙袋を片手に、ぼんやり街を眺めながら待つあの時間が好きだった。


派手さは何もない。
でも、小麦の味がまっすぐ伝わってくる、あの豊かさを私は今でも覚えている。

シンプルであることは、
時々すごく贅沢だ。


そういえば、前回私は「完成させない美しさ」という贅沢について書いた。


シンプルであることと、整いすぎないことは、
私の深いところでどこか地続きになっている。


バスを待ちながら頬張っていた、プレーンベーグルにクリームチーズだけのシンプルな組み合わせ。

映えが足りないと言われそうなくらい、
潔く地味。

でも、だからこそ良かった。

小麦の少し不揃いな香ばしさや、
ひんやりしたサンフランシスコの空気まで入り込めるような、“余白”がそこにはあった。


完璧なものを眺めるよりも、
少し余白のあるものに自分の感性を重ねていく方が、
私は好きなのだと思う。

それこそが、私にとっての最高の贅沢なのだと、
ソウルの地で改めて気づかされた。




滞在中、もう一軒だけ、どうしても書いておきたいベーグルショップがある。


新龍山(シンニョンサン)のアモーレパシフィック本社ビル地下に、

「FOURB(フォービー)」


はある。


コンクリート打ち放しの空間に、
幾何学的なアート。

ソウルのベーグルシーンの中でも、
ここはどこか静けさを纏っていた。

その空気は、
アモーレパシフィックが長年作ってきた、
韓国的ミニマリズムの美意識ともどこか重なって見えた。


ここで私が選んだのも、結局シンプルなものだった。

香ばしい「ボルケーノ」というベーグルに、ハムとバター、黒胡椒だけ。


派手なトレンドが渦巻くソウルの真ん中で、
素材の旨味をストレートに受け取るその感覚は、

20年前にサンフランシスコのバス停で食べていたベーグルと、
深いところで繋がっていた。

場所も、時代も違う。

でも、自分が「好き」と感じる輪郭は、
ずっと変わっていなかった
のだと思う。



旅の熱量は、
帰国当日の朝にむしろピークを迎えていた。


ホテルの出発は午前9時過ぎ。
普通ならパッキングを終え、Onjisimで静かにコーヒーを飲み、
「今回も良い旅だったな」と余韻に浸り始める時間だ。

実際、そのつもりだった。

韓屋に差し込む朝の光をぼんやり眺めながらコーヒーを飲んでいた、
その時までは。

でもふと、頭の中に光化門が浮かんでしまった。

Netflixで何度も観た、BTSの『ARIRANG』のステージ

ソウルには何度も来ているのに、
私はまだ、
この街を象徴する場所を自分の目でちゃんと見ていない!

そう思った瞬間、
旅の“終了モード”が完全に壊れた。


時計を見る。
かなりまずい。

でも、こういう時の私はだいたい止まらない。


「今行かなければ、きっと後悔する。」


そう思った瞬間、文字通りダッシュで光化門へ向かった。



朝の澄んだ空気の中、静かに佇む大きな門を見上げる。


つい数日前まで世界中を熱狂させていた場所とは思えないほど、
そこには穏やかな時間が流れていた。

でも、不思議と分かった。

熱狂の残響のようなものが、まだあの場所に静かに残っていた。

旅は、効率と非効率のせめぎあいだ。


普通に考えれば、
帰国当日の朝に光化門までダッシュする必要なんてない。

でも私は昔から、旅先で時々こういうことをやる…。

「今じゃないとダメな気がする」という、
説明不能な衝動に急かされるのだ。

行列から少し外れてベーグルを選ぶことも、
出発直前に街の“芯”を見に行きたくなることも、

たぶん同じ種類の行動なのだと思う。


まだ名前のついていない感覚を、自分の足で確かめたくなる。

旅の途中で時々現れる、あの静かな衝動。

自分の感性が向いた方へ、つい動いてしまう。


旅とは結局、その小さな非効率をどれだけ愛せるか、なのかもしれない。

少なくとも私は、かなりそのタイプらしい。


時代を入り口にしながらも、
なぜ自分はそれを選ぶのか」という問いが、
旅の中で過去と未来に綺麗に繋がっていく


これだから、旅をしながら日常を生きることは、やめられない。




最後まで読んでくださってありがとうございます。

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