クリント・イーストウッド|荒野から映画史の頂点へ(後編)
1990年代を迎えたとき、クリント・イーストウッドはすでに還暦を超えていた。多くのアクションスタアが過去の栄光に縋り、緩やかな衰退を辿るなか、彼は全く別の道を選んだ。
これまでのキャリアで築き上げてきた自らのイメージ、すなわち強く寡黙なヒーロー像を、自らの手で解体し始めたのである。
それは、アメリカという国家が抱える暴力の連鎖や、正義の名の下に行われる蛮行に対する、壮大な自己批評の始まりでもあった。
21世紀の幕開けとともに、彼の創作意欲は爆発的な加速を見せ、映画史を塗り替える傑作を連発することになる。
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ヘッダー:(Photo by Jay L. Clendenin/Los Angeles Times via Contour RA by Getty Images)
【6】西部劇の終焉(1992)

1992年、イーストウッドは8年間温め続けていた脚本『許されざる者』の封印を解いた。
老いたガンマンを演じるには俺自身が年をとる必要があった、と語る通り、61歳の彼は、かつての殺し屋が今は豚を育て、馬に乗ることさえままならない農夫となった姿を演じた。
物語は暴力の美化を徹底的に拒絶する。

誰かを撃つことの重さ、消えることのない過去の罪、暴力という行為が人間に与える不可逆の傷を描いた本作は、第65回アカデミー賞で作品賞・監督賞を含む4部門を受賞。
かつて自身が象徴した西部劇というジャンルに自ら葬送曲を捧げることで、彼は映画史の神殿へと足を踏み入れた。
銃を持つ手が震え、かつての相棒を無惨に失う展開は、マカロニ・ウェスタン時代の彼を知る観客に、冷酷な現実を突きつけたのである。
【7】硫黄島(2003-2006)

イーストウッドの創作は、もはや娯楽の域を超えて宗教的、あるいは哲学的な深淵へと足を踏み入れた。
2003年の『ミスティック・リバー』において、彼はボストンの澱んだ川を舞台に、少年時代の性的虐待という消えない傷跡が、成人した男たちの人生をいかに破壊し、歪めていくかを冷徹に描き出した。
ここにあるのは、正義が何ら救いを与えないという絶望的なまでのリアリズムであり、記憶という逃れられない牢獄の描写である。
続く2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』では、ボクシングを通じた擬似的な父娘の絆と、その果てに訪れる尊厳死という極めて重い倫理的問いを全世界に突きつけた。
フランキーという男が選んだ結末は、愛する者を救うための最大の罪であり、救済でもあるという逆説的な慈愛に満ちている。
この2作品でイーストウッドは、人間の業といかに向き合うべきかという、自身の映画人生における究極の命題を提示した。
2006年、彼は映画史において類を見ない、そして誰もが不可能だと考えた壮大な実験を成功させる。

太平洋戦争の激戦地、硫黄島。そこでの戦いを、アメリカ兵の視点から描いた『父親たちの星条旗』と、日本兵の視点から全編日本語で描いた『硫黄島からの手紙』の二部作として同時発表したのである。
特に『硫黄島からの手紙』は、かつての敵国であった日本人の精神性、家族を想う個人の悲哀、そして栗林忠道中将という知的な軍人の苦悩を、驚くべき誠実さで描き切った。

アメリカ人監督が、自国の正義を声高に叫ぶのではなく、死にゆく敵兵のポケットから零れ落ちた手紙に宿る普遍的な人間性を掬い上げたのである。
75歳になった巨匠の眼差しは、もはや国家や民族の境界線を消失させ、戦火に散った無数の孤独な魂を平等に慈しむ境地に達していた。撮影現場において、日本語の台本を手に日本人俳優たちの微細な感情の揺れを完璧に捉え切った演出は、もはや神業に近い。
この二部作は、戦争映画というジャンルに「敵の視点」という不可欠なピースを埋め込み、歴史を多層的に捉えることの重要性を世界に示した。
【8】晩年の境地(2008~)

2008年の『グラン・トリノ』は、多くのファンが代表作のひとつと位置付ける作品だ。
朝鮮戦争帰還兵の偏屈な老人ウォルトが、隣家のモン族の少年との交流を通じて自らの差別意識を克服し、身を挺して次世代を守る姿は、イーストウッドが演じ続けてきた孤独な男の最終形態とも言える。
ここでは暴力の否定が、他者のための自己犠牲という形で昇華された。彼は自らの死をもって、暴力を止めるという究極の選択を提示したのである。
その後、彼は実話に基づいた英雄像の解体に挑み続ける。

2014年の『アメリカン・スナイパー』では、史上最多の殺害記録を持つ狙撃兵クリス・カイルの栄光ではなく、戦場から戻った彼の心が砂のように崩れていく様を映し出し、アメリカが抱える戦争のトラウマを直撃した。
84歳で放たれたこの衝撃作は、社会現象となり、全世界で5億ドルを超える興行収入を記録。
続く『ハドソン川の奇跡』(2016年)や『リチャード・ジュエル』(2019年)においても、メディアや組織によって翻弄される個人の尊厳を、無駄を削ぎ落とした職人的な筆致で描き出した。

さらに2018年の『運び屋』では、90歳近い高齢の麻薬運び屋を自ら演じ、家族との時間を犠牲にしてきた自分自身の人生への内省とも取れる、痛切な物語を提示した。
そして2021年の『クライ・マッチョ』

91歳の彼は、かつてのロデオスタアとしてメキシコの荒野に立ち、少年との旅を通じて、強さとは何か、そして人生の黄昏をいかに生きるべきかを静かに説いた。
彼はもはやスターでも巨匠でもなく、映画という生命体の一部そのものと化している。その歩みは、衰えることのない好奇心と、人間への深い理解に裏打ちされた、映画への純粋な祈りのようでもある。
【9】個の自由を貫く魂

クリント・イーストウッドを語る上で、音楽への関与と、リバタリアンとしての政治哲学を切り離すことはできない。彼は自作の多くで作曲を手掛け、その繊細なピアノの旋律は映画に深い情緒を添えてきた。ジャズへの献身は一貫しており、アメリカ文化の保存者としての側面も持つ。

彼の政治的なスタンスは、1986年の市長当選に象徴される通り、常に組織の介入を拒み、個人の自由を最優先するリバタリアニズムに基づいている。2012年の共和党大会で見せた空椅子に話しかけるパフォーマンスは賛否を呼んだが、それもまた誰の言いなりにもならない彼の独立心の表れであった。
一貫しているのは、人間は自らの決断に責任を持つべきだという哲学である。その思想は、彼の描く孤独な主人公たちの背中に常に刻まれている。
彼は富や名声のためではなく、ただ自分が正しいと信じる物語を語るためにカメラを回し続けてきた。
それは、巨大な資本が動くハリウッドにおいて、たったひとりの人間がいかにしてその魂の自由を守り抜けるかという、壮大な社会実験の記録でもあった。
【おまけ】知られざる数字とイーストウッドの輪郭

彼は生涯で7人の女性との間に8人の子供をもうけたが、その多くが俳優やミュージシャンとして活躍し、父の血脈を継いでいる。
映画『ダーティ・ハリー』の主演が当初スティーブ・マックイーンやフランク・シナトラに断られた末の代役だったという事実は、運命の数奇さを感じさせる。もし彼らが引き受けていれば、現在の映画史は全く違う形になっていただろう。
70年以上のキャリア。数字だけ並べれば途方もないが、その実態は無数の小さな、そして勇気ある選択の積み重ねだ。
俺は映画を作るとき、常に自問する、この物語は観た人間の何かを変えるか。その答えを、彼は不屈の執念を持って出し続けてきた。
荒野を駆け抜けた孤独なガンマンは、いつしか映画という広大な領土を守る唯一無二の巨人となり、今もなおその足跡を刻み続けている。
参考文献
Richard Schickel, Clint Eastwood: A Biography (1996, Knopf)
Marc Eliot, American Rebel: The Life of Eastwood (2009, Harmony)
Patrick McGilligan, Clint: The Life and Legend (2002, St. Martin's)
「硫黄島からの手紙」公式プレスキット (Warner Bros., 2006)
Academy of Motion Picture Arts and Sciences, Award Records
AFI Life Achievement Award Archives (1996)
The Numbers (Film Box Office Database)
IMDb (Internet Movie Database)
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