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ワールドカップで起きた、世界を震撼させた「ジャイアントキリング」5選

フットボールの歴史は、必然によってのみ紡がれるわけではない。

ピッチという名の緑の劇場において、時として前評判や市場価値、さらには国家の格差さえもが無力化する瞬間がある。

絶対的強者が名もなき挑戦者に膝を折る「ジャイアントキリング」。それは偶然の産物ではなく、綿密な戦術、肉体の限界を超えた執念、そして時代背景が生み出す特異点である。

国家の威信とプライドが激突するワールドカップの歴史の中から、世界中を驚愕させ、今なお語り継がれる伝説の5試合を紐解く。



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【1】アメリカ 1-0 イングランド

1950 FIFAワールドカップ

 第二次世界大戦による中断を経て、12年ぶりに開催された1950年ブラジル大会。ここに、満を持して「サッカーの母国」イングランドが初参戦を果たした。

プロリーグのスター選手を並べたその布陣は世界最強と目され、優勝候補の筆頭であった。

1950年のイングランド戦前の米国代表の整列。 PAイメージズ/ロイター

対するアメリカ代表は、大会直前に急造されたチームだった。

ハイチ出身の元洗炭作業員ジョー・ガティエンスをはじめ、イタリア系の郵便配達員、葬儀屋の運転手など、日々の生計を別に持つアマチュアやセミプロの寄せ集めであり、戦前の下馬評はイングランドの圧勝、それも「何点差がつくか」に焦点が当てられていた。

しかし、ベロオリゾンテのピッチで繰り広げられたのは、フットボールの神の悪戯であった。

1950年6月29日、ブラジルのベロオリゾンテで行われた試合開始時、イングランドとアメリカのキャプテンであるビリー・ライトとエド・マキルベニー(右)が記念品を交換した。 キーストーン/ハルトン・アーカイブ/ゲッティイメージズ

試合開始と同時にイングランドが圧倒的にボールを支配し、猛攻を仕掛ける。シュートは何度もポストを叩き、アメリカゴールを襲った。

フランク・ボーギ

だが、本業が自動車の運転手であったアメリカのゴールキーパー、フランク・ボーギが神懸かり的なセーブを連発してゴールを死守する。

均衡が破れたのは前半38分だった。

アメリカ代表選手がイングランド代表とのヘディング対決に挑む。 米国サッカー連盟および全米サッカー殿堂提供

アメリカのMFが放った決死のロングシュートに対し、前線へ走り込んでいたガティエンスがダイビングヘッドで合わせる。軌道が変わったボールは、イングランドの名手シュートンの逆を突き、ゴールネットを揺らした。

後半、怒濤のごとく押し寄せるイングランドの攻撃に対し、アメリカの選手たちは文字通り泥泥になりながら体を投げ出し続けた。

タイムアップの笛が鳴った瞬間、ピッチに崩れ落ちたのはイングランドのスターたちであった。

米国サッカー連盟および全米サッカー殿堂提供

この結果を聞いたロンドンの新聞社は、「1-0でアメリカ勝利」という電報の文字を信じず、「イングランドが10-1で勝利したタイポ入力ミス」と思い込み、そのまま「10-1で圧勝」と誤報を流したという。

世界のフットボール史のパワーバランスが根底からひっくり返った、最初の事件であった。


【2】西ドイツ 3-2 ハンガリー

先制点を喜ぶハンガリー代表

 1950年代前半の世界フットボール界には、一国の大国が君臨していた。プスカシュやコチシュを擁し、4年間もの間「31戦無敗」を誇ったハンガリー代表、通称「マジック・マジャール」である。

彼らは当時の最先端戦術を駆使し、世界中のクラブやナショナルチームを蹂躙していた。このスイス大会のグループリーグでも、西ドイツを8-3という記録的な大差で粉砕している。

決勝の舞台で再び相まみえた両者。戦前の予想は、誰もがハンガリーの圧倒的優位、そして初優勝を確信していた。

決勝戦が始まると、大方の予想通り、開始わずか8分でハンガリーが2点を先制する。誰もがグループリーグの再現を予感した。

しかし、ここから西ドイツ代表の驚異的な粘りが始まる。

西ドイツのゴールに向けた猛攻
(出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/west-germany-hungary-1954-final-ja)

失点直後に1点を返すと、前半18分には同点に追いつき、試合を混沌へと引きずり込んだ。

この日、ベルンの競技場には激しい雨が降っていた。この気候こそが、ドラマの明暗を分ける最大の要因となる。

西ドイツ代表には、アディダス創設者であるアドルフ・ダスラーが用具係として帯同していた。彼はこの大会に向けて、世界で初めて「天候に合わせてスタッドスパイクの歯を交換できるスパイク」を開発し、ドイツの選手たちに提供していたのである。

後半、激しさを増す雨によってピッチは泥濘と化した。ハンガリーの選手たちが足を取られ、体力を消耗していく中、長いスタッドに付け替えた西ドイツの選手たちは力強くピッチを捉え、走り続けた。

そして後半39分、ドイツのFWヘルムート・ラーンがペナルティエリア外から放った低いシュートがゴール右隅に突き刺さり、3-2。

無敗の絶対王者が、ついに膝を折った。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/west-germany-hungary-1954-final-ja

この勝利は、第二次世界大戦の敗戦によって自信を失い、国際社会から孤立していたドイツ国民にとって、単なるスポーツの勝利を超えた意味を持った。

それは戦後復興へと向かう精神的な「建国」の瞬間であり、歴史家たちはこれを「ドイツ戦後史の真の始まり」と位置づけている。


【3】北朝鮮 1-0 イタリア

出典:https://www.fifa.com/ja/articles/100-great-world-cup-moments-qatar-2022-44-korea-dpr-italy-1966-ja

 冷戦の緊張が世界を覆っていた1966年。サッカーの母国イングランドで開催された大会で、アジアから彗星のごとく現れたのが北朝鮮代表であった。

当時の国際情勢から、イギリス政府が北朝鮮の入国や国旗掲揚、国歌演奏を拒もうとするなど、ピッチ外でも激しい外交戦が繰り広げられていた。

出典:https://www.fifa.com/en/tournaments/mens/worldcup/articles/korea-dpr-italy-1966

グループリーグ最終戦、北朝鮮が決勝トーナメント進出をかけて激突したのは、過去2回の優勝を誇る欧州の雄イタリアであった。

イタリアの優位は動かないとみられていたが、ピッチに現れた北朝鮮の選手たちは、それまでの欧州の常識を覆すフットボールを展開した。

驚異的なスタミナと軍隊さながらの規律、そして圧倒的なスピードで、大柄なイタリアの選手たちを翻弄し続けたのである。

前半34分、イタリアのキャプテンが負傷退場し、当時は選手交代枠がなかったためイタリアは10人での戦いを強いられる。その隙を逃さず、前半42分に北朝鮮のパク・ドゥイクがペナルティエリア右側から鮮やかな低空ドライブシュートを突き刺して先制。

後半、焦るイタリアは名手リベラを中心に猛攻を仕掛けるも、完璧に組織された北朝鮮の肉の壁を崩すことはできず、そのままタイムアップの笛を聞いた。

敗戦したイタリア代表は、帰国したジェノヴァ空港で待ち受けていた怒れるサポーターから、腐ったトマトや卵を投げつけられるという歴史的な屈辱を味わった。

一方、北朝鮮のひたむきな戦いぶりは、開催地ミドルズブラの労働者たちの心を強く掴んでいた。

出典:https://thesefootballtimes.co/2019/05/17/how-north-korea-stunned-the-world-by-beating-italy-at-the-1966-world-cup/

彼らの赤いユニフォームと労働者階級のシンボルカラーが重なり、スタジアムは国境や政治体制を越えた熱狂的な「北朝鮮コール」で包まれた。

冷戦の真っ只中において、スポーツがもたらした奇跡的な人間ドラマであった。


【4】カメルーン 1-0 アルゼンチン

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/argentina-cameroon-upset-1990-ja

 1990年イタリア大会の開幕戦。ミラノのサン・シーロ・スタジアムに姿を現したのは、前回大会の覇者であり、世界の至宝ディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンであった。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/argentina-cameroon-upset-1990-ja

対するは、アフリカの予選を勝ち抜いてきたカメルーン代表。世界中がアルゼンチンの華麗なゴールショーを期待し、テレビの前に座っていた。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/argentina-cameroon-upset-1990-ja

しかし、カメルーンの指揮官ヴァレリー・ネポムニャシが授けた戦略は、世界を震撼させるに十分な破壊力を持っていた。それは、驚異的な身体能力を生かした、執拗なまでのフィジカルコンタクトであった。

カメルーンのディフェンダー陣は、マラドーナがボールを持った瞬間に複数人で囲い込み、激しいタックルで自由を奪い去った。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/argentina-cameroon-upset-1990-ja

華麗なフットボールを封じ込められたアルゼンチンは、次第にリズムを崩していく。

後半16分、カメルーンは激しいプレーにより退場者を出し、10人での戦いを余儀なくされる。アルゼンチン有利に傾くかと思われたそのわずか6分後、ドラマが起きた。

カメルーンが左サイドで得たフリーキックから、ゴール前で高く舞い上がったオザム・パビディが、打点の高いヘディングシュートを放つ。アルゼンチンのキーパーの手を弾いたボールは、そのままゴールへと吸い込まれた。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/argentina-cameroon-upset-1990-ja

終盤、カメルーンはさらにもう一人の退場者を出し、最終的にピッチ上は「9人」となった。

しかし、不屈のライオンチームの愛称たちは、一人少ないハンデを感じさせない運動量で泥臭くリードを守り抜き、1-0のまま歓喜の瞬間を迎えた。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/argentina-cameroon-upset-1990-ja

このジャイアントキリングはただの一勝に留まらなかった。

カメルーンはこの大会でアフリカ勢初のベスト8へと進出。それまで欧州と南米の陰に隠れ、「格下」と見なされていたアフリカフットボールの地平を力ずくでこじ開け、世界の勢力図を塗り替えた歴史的な一戦となった。


【5】セネガル 1-0 フランス

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/world-cup-upsets-france-senegal-ja

 21世紀最初のワールドカップとなった2002年日韓大会。ソウルで行われた開幕戦のカードは、1998年大会の王者であり、ユーロ2000も制して黄金期を迎えていたフランスと、本大会初出場のセネガルであった。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/world-cup-upsets-france-senegal-ja

セネガル代表の選手23人のうち、実に21人がフランスの国内クラブに所属しており、手の内を知り尽くした「師弟対決」あるいは「フランスの1軍対2軍」のような構図として注目されていた。

フランスは絶対的な大黒柱であったジネディーヌ・ジダンを直前の負傷で欠いていたものの、アンリやトレゼゲといった世界最高峰のストライカーを擁しており、初出場のセネガルが太刀打ちできるとは誰も考えていなかった。

しかし、試合が始まると、セネガルはフランスへの畏怖を完全に捨て去り、果敢なカウンターを仕掛ける。

前半30分、左サイドを鋭く突破したエル=ハッジ・ディウフからのクロスを、ゴール前へ走り込んだパパ・ブバ・ディオプが泥臭く押し込み、セネガルが先制。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/world-cup-upsets-france-senegal-ja

先制を許した王者は猛烈な反撃を開始し、アンリやトレゼゲのシュートがポストやバーを叩く不運もあったものの、セネガルの組織的な堅守と粘り強い守備を最後まで崩すことができなかった。

出典:https://www.fifa.com/ja/tournaments/mens/worldcup/articles/world-cup-upsets-france-senegal-ja

試合終了のホイッスルが響いたとき、セネガルの選手たちはコーナーフラッグの周りでユニフォームを地面に置き、それを取り囲んで踊る独特のパフォーマンスで喜びを爆発させた。

世界最強と目されたフランスはこの敗戦から完全に歯車が狂い、グループリーグで1勝もできず、さらには1ゴールも奪えずに最下位で敗退するという劇的な没落のドラマを演じることになった。

王者が初戦で散るというこの事件は、W杯の魔物の存在を改めて世界に知らしめた。


日本代表が起こしたジャイアントキリング

日本 2-1 ドイツ

AFP-時事

 近年において最も世界を驚かせたジャイアントキリングの主役は、日本代表であった。2022年カタール大会、日本は優勝経験4回を誇る絶対王者ドイツ、そして強豪スペインと同居する死の組に割り振られた。

初戦のドイツ戦、下馬評は日本の圧倒的劣勢を伝えていた。

前半はその予測をなぞるように進行した。ドイツの圧倒的なパスワークに翻弄され、前半33分にPKから先制を許す。

防戦一方の展開の中、日本の指揮官森保一監督が後半に敢行したシステム変更と5人替えの奇策が、潮目を一変させる。

AFP-時事

後半30分、途中出場の堂安律がこぼれ球を押し込んで同点に追いつくと、スタジアムの空気は完全に日本の味方へと変わった。

そして後半38分、ドラマは最高潮を迎える。後方からのロングフリーキックを絶妙なトラップで収めた浅野拓磨が、ドイツの誇る絶対的守護神マヌエル・ノイアーのニアサイドを打ち抜く劇的な逆転ゴールを突き刺した。

この浅野のシュートは、ミリ単位のコントロールが生んだ結晶であった。当時、浅野をはじめ日本代表の多くの選手がドイツのブンデスリーガで戦っており、彼らのプレースタイルや弱点を熟知していた。

ドイツのフットボールを学び、その地で磨かれた牙が、本家に致命傷を与えるという皮肉な恩返し。これこそが、近代フットボールにおける新たなジャイアントキリングの構図であった。

日本 2-1 スペイン

出典:https://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/worldcup/20221202-OYT1T50102/

 ドイツ戦の大金星から一転、続くコスタリカ戦に敗れて崖っぷちに立たされた日本代表。決勝トーナメント進出をかけたグループリーグ最終戦の相手は、2010年大会の覇者であり、圧倒的なパスフットボールを至上命題とする無敵艦隊スペインであった。

前半11分に先制を許し、スペインの圧倒的なボール保持の前に日本の敗色が濃厚となる。しかし、日本は再び後半の電撃的な選手交代から牙を剥く。

後半3分、前線からのプレスでボールを奪うと、堂安律が強烈なミドルシュートを突き刺して同点。そのわずか3分後、世界中を巻き込む大論争の引き金となるゴールが生まれる。

出典:https://www.sankei.com/article/20221202-DVPICBTKJZGKVFTK4QKUQLLETM/?outputType=theme_qatar2022

堂安のクロスがゴールラインを割る寸前、三笘薫が文字通り五体を投げ出して左足で折り返し、これに田中碧が飛び込んで逆転。

肉眼では完全にラインを割ったように見えたその折り返しは、今大会から導入された公式球内部のICチップとスタジアムのカメラ技術により、わずか1.88ミリラインにかかっていたことが証明された。

パスサッカーの頂点に対し、わずか17.7%というW杯史上最低のボール支配率で勝利をもぎ取った戦術の妙。

そして、ジャイアントキリングの歴史が、人間の執念と最先端テクノロジーの融合によって担保された瞬間であった。


「90分間」のロマン

ゼップ・ヘルベルガー

 これらの歴史的番狂わせの裏には、フットボールのルールそのものを変え、近代化を推し進めた功績もある。

1966年の北朝鮮対イタリア戦をはじめ、言葉の通じない国際舞台での激しいフィジカルコンタクトや判定を巡る混乱を解消するため、この大会の直後に「イエローカード・レッドカード」のシステムが考案され、1970年メキシコ大会から正式導入された。

また、データ分析の黎明期や、天候に応じた用具の進化など、ピッチ外でのプロフェッショナルたちの執念が、大金星の舞台裏を支えていたことも見逃せない。


「ボールは丸い。試合は90分間続く」


ゼップ・ヘルベルガー監督が遺したこの言葉の通り、前評判がいかに圧倒的であろうとも、ピッチの上で何が起こるかは誰にも分からない。

格差を覆し、歴史を塗り替える一瞬の奇跡があるからこそ、ワールドカップは今もなお、世界を熱狂させる最大のドラマであり続ける。


参考文献

  • 『ワールドカップの歴史』FIFA公式記録

  • 『ベルンの奇跡:戦後ドイツの精神史』

  • 『1966:ミドルズブラが愛した赤い彗星』

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