自閉症の療育探しで迷う親へ|ABA療育の実演で分かった「療育の質」 — 私が涙した数十分間の体験談
私たち、そらの家は――
日本で納得できる療育に出会えないまま、ずっと迷っていました。
そんな時、義母の紹介でアメリカの教育者、スーザン・ムラカミ氏に出会い、
「親が考えるべき10のこと」を教わりました。
<関連記事>
そして、10項目を教えてもらったあと、
先生は意外な提案をしてくれました。
「実際のABAのセラピー、見てみますか?
短い時間ですが、実演して見せましょう。」
私は、数十分という時間でしたが、
「ABAの専門家が実際に行うABA療育」を
初めて目の前で見ることになりました。
短い時間でしたが、
この経験は、
その後の日本での療育探しに大きく影響しました。
今日は、コラムにて、その体験談を共有していきたいと思います。
【結論】メソッドの違いを超えて「圧倒的に違う」と感じたスーザン先生のABA療育
結論から言うと、我が家も現在ABA療育をしています。
ただし、スーザン先生が実演したロヴァース法そのものは、
様々な理由で採用しませんでした。
それでも、実演を見た瞬間に思いました。
「今まで日本で体験してきた療育と、圧倒的に違う」
違いは、細かい技法ではありません。
私が一番驚いたのは、指導員と子どもの「関わり方」そのものでした。
スーザン先生の療育には、明確な目的がありました。
1. 日本で感じていた療育に対する違和感
日本で私が経験した療育は、良く言えば「寄り添い型」でした。
子どもの興味に合わせて、
指導員が見守り、寄り添い、遊びに応じる。
ただ当時の私には、どうしてもこう感じていました。
何を伸ばしたいのかが見えない(目的が不明瞭)
どんな順番で、どこに向かうのかが分からない(プランが不明瞭)
「今日は何ができたか」が曖昧なまま終わる
もちろん、子どもの自主性を尊重すること自体は大切です。
ただ私が欲しかったのは、「改善に向けた道筋」でした。
<関連記事>
2. 「成果に向かう設計」スーザン先生のABA療育
一方で、スーザン先生のABAは違いました。
指導者が明確に、
「子どものこの部分の行動を変える」
という意図を持って進めていました。
子どもを操る、命令して支配する——そういうものではありません。
それでも、現場にははっきりした「方向」と「プラン設計」がありました。
実演で見た“介入”|レイの「言葉が出ない」に対するアプローチ
当時、私たちが感じていたレイの最大の課題は「言葉が出ないこと」でした。
<関連記事>
言葉の代わりに、レイは腕をぐいっと掴んで要求します(クレーン現象)。
その場面を見た先生は、すぐに介入を組み立てました。
先生は私と夫、義母にこう言いました。
「ご家族の皆さん、一度この教室から出てください。」
私たちが皆外へ出ると、レイは私たちを追いかけてきました。
先生はレイがドアに着く前に、ドアを閉めました。
レイは、しゃべれないなりにスーザン先生に訴えるように、
「あー!あー!あー!」と声を出し、
と声を出し続けました。
そこで先生は、レイに対してこう言いました。
「ドア開けて。」(と言ってごらん)
これはモデリングです。
モデリングとは、ABAの専門用語で、(正しい言い方/やり方を子どもに見せること)を意味します。
つまり、スーザン先生は、レイに
「あー!あー!あー!」という声ではなく、
ちゃんと「ドア開けて。」と言語で伝えてくれるなら、
ドアを開けてあげるよ、ということを今ABA療育で行おうとしているのです。
しかし、スーザン先生のモデリングは虚しく、
一度目は、レイは言葉を発さずに、
「あー!あー!あー!」と叫び続けました。
二回目、先生はまた同じトーンで、繰り返しました。
「ドア開けて。」(と、レイに対してモデリングを入れる。)
レイは、「あー!あー!あー!」という声ではなく、
今度は、激しく泣き叫び始めました。
「こんなに子どもに負荷をかけて大丈夫なの?」
私は正直、胸がざわつきました。
それでも先生は、落ち着き払った様子で、
毅然とした態度で、同じ言葉を繰り返しました。
「ドア開けて。」
「ど…あ…」が出た瞬間、世界が変わった
そのやり取りを5〜6回ほど続けた後、
レイがとうとう泣きすぎて、疲れ果ててきた頃、
レイが小さく、
「ど…あ…」
と言いました。
その瞬間、先生はすぐに反応しました。
「Good job! Here you go.(素晴らしい!さあドアを開けてあげるよ!)」
そしてドアを開けました。
今まで、レイは一語で名詞を言うことはできましたが、
彼の要求することに対しては、
言語を介したコミュニケーションではなく、
クレーン現象で、意思表示をしていました。
レイが、喋った。。。。。!!!
言葉で意思表示をしてくれた!!!
私は涙が溢れそうになりました。
3. 設計された「目的のある療育」
私はこの瞬間、心の中で思いました。
「ああ……これが本当の療育なんだ」
日本では、子どもに負荷をかけないように、ただ見守り続ける場面が多く見られました。
結果として、子どもの行動に“ついていく”だけで、手が出せないように感じることもありました。
一方でスーザン先生の療育は、違いました。
課題(言葉で要求する)を特定する (目標を定める)
必要な場面を作り、要求が出る状況を整える (プランを作成する)
伝え方は短く、明確で、ブレない
少しでも言語が出た瞬間に、すぐに褒めて成功体験につなげる
その先に「改善」があり、そこへ向かう動きが“設計”されているように見えました。
声のトーンも、指示も、距離感も、
全部が「通りやすく」整えられていました。
そして何より、指導者が子どもの行動に振り回されず、場を保っていました。
私にはそれが衝撃でした。
4. 「子どもをコントロールする」のではなく、「場を整える」教育
私が経験した日本の療育は、言葉を選ばずに言えば、
先生が子どもの行動をマネジメントできず、
結果として放置に近く見える場面がありました。(もちろん、すべての施設がそうだと言いたいわけではなく、あくまでも私が経験した施設に限ります。)
一方で、スーザン先生の療育は、
厳しさと優しさが同居し、
その場にルールがあり、
先生が場を整え、子どもが「できる方向」に進める状態でした。
この空気の違いが、私には決定的でした。
5. 私の「療育を見る基準」ができた瞬間
この実演で、私の中に基準ができました。
療育で見るべきは、
「先生が親や子どもに優しく接してくれるか」
「先生の印象がいい」
だけではありません。
療育の質の一つを見るべき判断材料の一つとして、
私はこう見るようになりました。
今行っている療育の目的が明確に言語化されているか
その目的に向けて、関わりが設計されているか
「自然な環境下で子どもを伸ばす」は正しい考え方だと思います。
しかし、「自然な環境で伸ばす」ことと、「放置する・見守る」ことは全くの別物です。
この体験は、その線引きを私の中ではっきりとさせてくれました。
6. 数十分間でも、希望が持てたABA療育
数十分間という短い実演だったので、
完璧に目的が達成されたわけではありません。
それでも私は、目の前で
「療育によって子どもの行動が変わる」瞬間を見ることができました。
何より、レイが言葉を介して要求を訴えてくれました。
これを数年続けたら、レイはすごく成長するのではないか。
ちゃんと言葉のキャッチボールができる日が来るのではないか。
そう希望が持てた瞬間でもありました。
そしてこの経験は、日本で療育を探す時の私の“軸”になりました。
最後に
「見守る」こと自体が悪いわけではありません。
私も、当時はそれしか選べない状況がありました。
ただ、親が苦しくなるのは、
“何が目的で、今日は何が前に進んだのか”
が見えないまま時間だけが過ぎるときだと思います。
私がこの数十分間で、救われた理由は、
療育は「偶然うまくいくのを待つ」ものではなく、
「うまくいく確率を上げるように組み立てられる」
と体感できたからでした。
もし今、療育選びで迷っている方がいたら、
「雰囲気が良いか」だけでなく、ぜひ一度、こう問いかけてみてください。
いま一番取り組みたい困りごとは何で、今日のゴールは何か
そのゴールのために、関わり方や環境はどう組み立てられているか
うまくいかなかった時、次はどう調整するか(やり方は変わるか)
答えが一つに決まらなくても大丈夫です。
「目的と言葉」が少し見えるだけで、
親の不安は少しでも軽減できるのではないかと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。いただいたチップは、息子の療育費に使わせていただきます。