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WEEK5 現実の本質に根ざしたマネジメント/A Year with Peter Drucker - 52weeks of Coaching for Leadership Effectivenessを読む その5

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。金曜は「ドラッカー・コーチングの日」のテーマとなります。内容はというと、下記の書籍を毎週、一週分ずつ読んでいく、というものです。

こちら、ドラッカーの正当な後継者であるマチャレロ先生が、ドラッカーの言葉を使って1年間のコーチングプログラムにしてみた、という本で、毎週毎週のコーチングを想定しているので52週間のプログラムになっているという本です。これを毎週、翻訳しつつ紹介していくという企画をやりたいと思っています。

前回の記事はこちら

以下、今回の内容です。


章タイトル 現実の本質に根ざしたマネジメント

今回はWEEK5を読んでいきます。前々回から「MANAGEMENT IS A HUMAN ACTIVITY(マネジメントは人間の活動である)」というパートに移っていて、今回はこのパートの最終回です。

WEEK5のタイトルは、Management Rooted in the Nature of Reality、となっています。直訳すると「現実の本質に根ざしたマネジメント」となります。「現実の本質」あるいは「現実の性質」というのはあまり聞かない言葉ですね。どういう意味なのでしょうか?

Introduction はじめに

いつものようにこちらの部分は、マチャレロ先生の説明になっています。翻訳したものをAIに要約させたものが下記になります。

ピーター・ドラッカーが史上最高の指導者として評価したキュロス大王とハリー・S・トルーマンの二人には、誠実さと思いやりという共通のリーダーシップの本質が見て取れます。トルーマンは、紀元前にユダヤ人をバビロン捕囚から解放したキュロス大王を英雄として尊敬しており、自身もまた、当時の国務長官による強い政治的反対や石油供給の寸断というリスクを冒してまで、イスラエルの建国を即座に承認しました。彼らの行動は自己顕示欲によるものではなく、歴史や宗教、道徳に根ざした「正しいことを行う」という信念に基づくものでした。このことから、最高レベルのリーダーシップとは、歴史への深い造詣と共感、そして人間の現実に裏打ちされた倫理的な決断力にあると言えます。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳したものをGeminiにて要約

この本を読んでいると、ドラッカー思想の中の「宗教観」というものがどういうものであったのか、繰り返し要素が出てくるような気がします。ちなみにこの部分の文章の最後は、ドラッカー思想の中で「最高レベルのリーダーシップは、歴史、宗教、共感、そして人間の現実に根ざしていることがここで示されています」と結ばれています。「現実の本質に根ざしたマネジメント」というのはどうやら「人間の現実」に根差したマネジメントができるリーダーによって行われるらしいです。

続いて「Read」の部分を訳していきます。

I Read 読む

今回は、1987年2月24日の「デヴィッド・ハバードとピーター・ドラッカー」からの引用です。デヴィッド・ハバードは『非営利組織の経営』の第III部第4章「理事会の役割」で登場される方で、フラー神学校(カルフォルニア州サディナ)の学長の方です。こちらも要約したものを紹介します。

デヴィッド・ハバードはドラッカーにこう語りました。
現在の教育機関は、学生に最初の仕事を見つけさせるための「売れるスキル(職業訓練)」を重視するあまり、かつての英習字や現代の数学のように、目先の技術に固執しがちです。しかし、真に優れたビジョンとは、単なる技術的な専門知識ではなく、哲学、神学、歴史といった「現実の本質」や「人生のあり方」に根ざしている必要があります。したがって、特定の個人(例えばドラッカー)を神格化するのではなく、時代に即したニーズや機会に応え、真のメカニズムを体現する組織を確立することこそが、社会セクターを筆頭とするあらゆるリーダーに求められている正しい道です。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳したものをGeminiにて要約

要約ではかなりわかりやすくなっていますが、元の文章ではかなりまわりくどい言い方をしていました。これは宗教家の特徴かもしれません。

II Reflect 考察

こちらはマチャレロ先生による考察部分ですが、今回は、2003年8月にアカデミー・オブ・マネジメント・エグゼクティブ誌で行われたシェイカー・A・ザハールによる「ピーター・ドラッカーへのインタビュー」からの引用が中心となっています。今回の見出しはこちら。

1. 「経営教育」
2. 「マネジメントとリベラルアーツ」
3. 「誠実さを持つ者は生き残る」

1. 「経営教育」は、「ピーター・ドラッカーへのインタビュー」からの引用です。シェイカー・ザハールの「今日、専門職としての経営の実践について、また学問的探究分野としての経営学について、どのようにお考えですか?」という質問に、ドラッカーが答えています。全文訳してみます。

それについては、専用の本が必要になるでしょう。私が望むこと、そして長年、自身の教育において実践してきたことは、次のとおりです。
(1)すでに成功している人々だけを対象とした経営教育。数年の管理経験のない人々のための経営コースは時間の無駄だと私は考えています。
(2)民間、公共、非営利セクターの人々を対象とした経営教育。
(3)学生が在学中に、実際の組織における実際の業務課題において、計画的かつ体系的に取り組むこと。これは、医学博士課程の研修に相当するものです。
(4)政府、社会、歴史、政治プロセスに、より重点を置くこと。
(5)実際の経営経験と、実際の課題を理解するのに十分なコンサルティング実務経験を持つ教師
(6)真の課題である定量化できない領域、特にビジネス以外の定量化できない領域に重点を置く。つまり、利用可能な数値の限界と数値の使用方法の両方を理解することである。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳

「数年の管理経験のない人々のための経営コースは時間の無駄」というのが面白いです。マチャレロ先生が比較的長いコメントをつけていますので、これも要約してみます。

経営においては数値による定量化も重要ですが、人間の知覚でしか捉えられない「特異な出来事」こそが、しばしば大きな機会をもたらします。例えば、アメリカ人の医療に対する認識が「満たされている」から「不十分である(半分空いている)」へと変化したことで、法改正だけでなく、マインドフルネスや外来センター、健康関連出版物といった巨大なウェルネス市場が生まれました。こうした認識の変化は統計で捉えることが困難ですが、幅広い教養を通じて自らの知覚を訓練しておくことで、変化の兆しをいち早く見抜くことが可能になります。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳したものをGeminiにて要約

これは特に上のドラッカーの発言の(6)についてのコメントのように見えます。「人間の知覚でしか捉えられない」というあたり、現在のAIに関する言説にも参考になる視点かもしれません。

2. 「マネジメントとリベラルアーツ」は、『新しい現実』から「マネジメントはリベラルアーツである」ということを語った一節が紹介されています。こちらも要約を載せておきます。

マネジメントは、C・P・スノーが提唱した「科学」や「人文」のいずれか一方に分類されるものではなく、その両方の性質を兼ね備えた「リベラルアーツ」であると言えます。それは、人々の価値観、成長、精神性といった人間的な側面を扱う「人間学」であると同時に、得られた知識を具体的な成果や行動へと結びつける「実践的な技術(アート)」でもあります。優れた経営者は、心理学や歴史、経済学といった幅広い知識を動員しながら、それらを単なる教養に留めず、患者の治療や教育、製品開発といった実社会における具体的な効果と結果に結びつけなければなりません。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳したものをGeminiにて要約

その上でマチャレロ先生はコメントで、こう書いています。

以下の質問の前に、ザハールはドラッカーが『現代の経営』の中で経営における誠実さの必要性を繰り返し強調していることについてコメントしました。ドラッカーは、誠実さを備えたリーダーの例を挙げ、歴史を通してリーダーの間で繰り返される腐敗のパターンについて議論することで、間接的にこの質問に答えています。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳


3. 「誠実さを持つ者は生き残る」
も、「ピーター・ドラッカーへのインタビュー」からの引用です。シェイカー・ザハールの「企業の貪欲さと腐敗を明らかにする最近のスキャンダルの中で、誠実さはどのように回復できるでしょうか?」という質問に、ドラッカーが答えています。面白いのでこちらも全文訳してみます。

「逆境こそがリーダーシップの試練だ」と、2500年前のクセノポンは『キュロパディア』の中で述べています。これは今でもリーダーシップに関する最高の書物(聖パウロの手紙に継ぐ)です。好景気では良い印象を与えるのは簡単です。しかし、あらゆる好景気は(そして私は4、5回も好景気を経験し、働いてきましたが)悪党をトップに押し上げます。私がビジネスの世界に入り、仕事に就いたのは、まだ19歳にもならない研修生だった頃、大恐慌初期の最初の大きな「スキャンダル」の清算を任された時でした。それは、ベルギーのレーヴェンシュタイン男爵がヨーロッパの合成繊維会社を組織的に略奪した事件で、彼自身がそのほとんどを創設したのです。1年後の1930年1月、若手ジャーナリストとしての私の最初の任務は、かつてヨーロッパ最大で最も誇り高き保険会社(フランクフルター・アルゲマイネ)の経営陣の裁判を取材することでした。彼らは会社を組織的に略奪し、好況のたびに同じことを繰り返していました。しかし、少しでも誠実さを持った者は生き残り、大恐慌時には繁栄します。これは今に始まったことではありません。唯一新しいことは、前回の好況で帳簿を偽造する誘惑が著しく高まったことです。四半期決算の重視、株価の過度な重視、経営陣が会社に大きな株式を保有すべきだという善意ではあるものの愚かな考え、ストックオプション(私は常に経営の失敗を招くものだと考えてきました)などです。それ以外は、何ら変わりません。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳

あらゆる好景気は悪党をトップに押し上げる」という発言が面白いです。ストックオプションに反対を表明しているのも興味深いですね。

ちなみに後からも出てきますが、『キュロパディア』は日本語ですと『キュロスの教育』という題名になっていて、古代ギリシア・アテナイのクセノポンが アケメネス朝ペルシアを建国した大キュロスの生涯を描いた小説です。さらにちなみに、ここで描かれているキュロス王は現実というより理想化された姿で、この姿に託してクセノポンの政治哲学を語っているものであるようで、キュロスという歴史上の人物を題材としながらも、その生涯全体を通じて「優れた人間はいかにして育つか、いかにあるべきか」という普遍的な「教育」のテーマを追求した作品であるために『キュロスの教育』という題名になっているそうです。

「聖パウロの手紙」は、新約聖書の一部ですね。

ドラッカーはユダヤ教からのキリスト教改宗者ですから、新約聖書については宗教書というよりは古典として読んだのかもしれません。このあたりについてはまた別記事で書こうと思います。

マチャレロ先生のコメントです。

ストックオプションの広範な利用、それに続く経営陣による株価の過度な重視、そして帳簿を「改ざん」しようとする誘惑は、近年の経済危機と過去の経済危機の間の大きな違いです。

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳

以上となりますが、今回もマチャレロ先生の編集能力というか構成能力と言うか、コラージュ力に感心してしまいます。ドラッカーの「マネジメントはリベラルアーツである」という話と、今回は「誠実さ」と訳していますが日本人が大好きな「Integrity」の話、そして企業不祥事の話までをつなぐことで、いかに古典から人間という存在について学ぶことがマネジメントで必要なのか、を醸し出す内容になっています。

ここまで読み解いていくと、「誠実さ」と訳していますが日本人が大好きな「Integrity」と書きましたが、上田先生が「真摯さ」と訳したせいで、この言葉がカッコいいということで一部でドラッカー用語みたいにもてはやされている感がありますが、このことによって却ってドラッカーの意図が伝わりにくくなっている気もしました。むしろ宗教概念と結びつけた方がわかりみが深いかもしれません。つまり、神の前で誠実であるか、というような意味として解釈した方が良さそうです。

この点について、Geminiに解説してもらったら、長文になってしまいましたが、参考までに転記しておきます。

ドラッカーがリーダーの絶対条件とした**「Integrity」と、上田惇生氏による「真摯さ」**という訳の間には、言葉の語源に由来する本質的な乖離があります。

まず、ドラッカーが意図したIntegrityは、ラテン語の**「integer(整った、欠けのない)」を語源とし、自己の内面と外面が完全に一致している「統合性」を指します。これはキリスト教的な「神の御前(Coram Deo)」という倫理観に根ざしており、他人の目や世俗的な利害に関わらず、絶対的な基準に対して自分を律する「高潔さ」や「一貫性」**を意味しています。

一方で、日本語の「真摯」は、偽りのない「真」と、手でしっかりと掴み差し出すことを意味する「摯」から成り、対象に対してひたむきに向き合う**「態度」に重きを置く言葉です。明治以降、知的な誠実さを表す言葉として定着しましたが、日本的文脈では「一生懸命に努力する姿勢」という主観的なプロセス**として受け取られがちです。

この二つの間にある決定的なズレは、Integrityが「その人の存在そのものが嘘のない一つの塊であるか」という**「Being(あり方)」を問うのに対し、真摯さは「いかに誠実に振る舞うか」という「Doing(行為)」に焦点が当たっている点にあります。ドラッカーがこの資質を「後天的に習得不能」としたのは、それが単なるマナーや努力の問題ではなく、魂の根源的な統合性を指していたからです。したがって、「真摯さ」という訳はリーダーの熱意を伝えますが、ドラッカーが真に求めた「神をも欺かない峻烈な一貫性」**というニュアンスを、日本的な「真面目さ」へと和らげてしまっている側面があると言えます。

Geminiによる解説

III Practicum-Prompts 実践のきっかけ

今回は問いかけというよりも提案が多いです。こちらは全訳してみます。(見やすいように改行を増やしています。)

あなたの職位、組織、業界が直面している問題に応用できるよう、人文科学、社会科学、テクノロジーの知識を広げるための計画を立ててください。

キュロス大王からリーダーシップの教訓を学ぶために、クセノポンの『キュロペディア』 を読むことを検討してください

パウロ書簡の研究は、ドラッカーが経営の主要概念を開発、世俗化し、適用する上で、パウロの著作からいかに影響を受けたかを示しています。これらの概念には、経営実践における自由と責任の同時必要性、選抜と配置において 人々の強みに焦点を当てることの重要性、組織内の人々の多様性の中で統一を達成する方法などが含まれます。自由と責任の概念は、ドラッカーの思想において特に中心的なものであり、目標管理の哲学の中核を成しています。これはあなたにとって驚くべきことでしょうか? ドラッカーが経営分野以外でも広く読書をした理由、そしておそらくあなたが同じ方向で自分自身を成長させ続けるべき理由を説明しているのでしょうか?

不正行為者に厳しい罰則を課すことで不正行為への誘惑を減らすことは有益ですが、特に好景気においては、そのような誘惑を根絶することはできません。リーダーシップの誠実さと強力な管理も役立ちます。しかしながら、歴史は私たちに詐欺や不正行為に対して警戒することを教えています。

あなたとあなたの組織はどのような予防措置を講じていますか?
最近の記録はどうでしたか?
もし悪い場合、どのように改善できますか?

A Year with Peter Drucker WEEK5 より翻訳

5週目の内容はこちらで終わりです。ドラッカーの「マネジメントはリベラルアーツ」という話から「リベラルアーツを学ぶことで不正なマネジメントが起こらない」というような話になっていて、冒頭の「最高レベルのリーダーシップは、歴史、宗教、共感、そして人間の現実に根ざしている」という話に納得してしまう話となっています。

最後に「クセノポンの『キュロペディア』 を読むことを検討してください」とあるのに「パウロ書簡」については読むように言って来ないのは、おそらく読者の誰もが知っているものである、という前提がありそうです。自分も中学で最初にカトリックの学校に入ったこともあり、聖書はその時代から読んだりはしていましたが、基本的に黙示録ばかり読んでいたので(笑)、まさかリーダーシップ論として読めるとは、と驚きなのですが、このあたりは別記事で書きたいと思います。

さて、いつものように、せっかくのドラッカー先生によるコーチングですので、自分も考えてみました。今回は問いかけがあまりないのですが、

キュロス大王からリーダーシップの教訓を学ぶために、クセノポンの『キュロペディア』 を読むことを検討してください

に反応してみました。

早速、図書館で借りてきました。貸出期限が1月30日までなので、それまでに読破したいと思います。

あなたにとっては、何か響く問いかけ/提案はありましたか?

今回の章は以上です。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎ですし、もちろん記事の引用・紹介も嬉しいです。

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