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デヴィッド・グレーバー『負債論』を読む その4「第4章 残酷さと贖い(あがない)」

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

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noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。水曜は「文化と遊びの日:『負債論』(連載)/麻雀の話、書籍の紹介」のテーマとなります。

現在は、こちらの書籍を読んでいます。

前回の記事はこちら。

前回の記事では、グレーバーは貨幣について、アダム・スミスからの「実体論」、信用論者からの「原初的負債」のどちらの考え方も批判してみせ、これはあやまった二分法だ、と指摘して終わりました。

二元論を超えるのを期待しつつ、今回は、第4章「残酷さと贖い(あがない)」を読んでいきます。

冒頭でいきなり、こんな記述があります。

読者はお気づきだろうか。貨幣を商品としてみる者たちと借用証書としてみる者たちのあいだには論争があり、決着がついていない。どちらが正しいのか? いまや答えは明白なはずだ。双方である。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.110

なんじゃそれ、とツッコミ入れたくなりますが、これを読んで思ったのが量子力学です。光を含むすべてのものは粒子の性質と波の性質を持っている、というお話。詳しく説明しているリンク先を置いておきます。シュレディンガーの猫のイラストが可愛いです。

ここでグレーバーは、人類学者のキース・ハート(ラブリーなお名前ですね)の指摘を紹介しています。引用します。

ポケットのなかの硬貨をみてみたまえ。一方は「表」、つまりその硬貨を醸造した政治的権威の象徴であり、他の面は「裏」、つまり交換におけるその硬貨の支払いの価格の明細である。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.110

これを読んで、確かに硬貨にも紙幣にも表と裏があるなーと思いました。うまいこと言います。このレトリックが、どのような話に展開していくのでしょうか? グレーバーが表現するとこうなります。

かくして貨幣は、商品と借用証書(bept-token)のあいだをほとんど常にさまよっているのである。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.113

続いて、グレーバーはニーチェの『道徳の系譜学』を紹介します。ニーチェによれば、人間的思考が本質的に商業的計算にあり、売り買いが人間社会の基本である、とされます。引用します。

買うことと売ること、およびそれに付随する心理的な要素は、ありとあらゆる社会的な組織形式や結びつきの端緒よりもさらに古いものである。交換、契約、負債、権利、義務、補償などの感情の萌芽は、まず個人の権利のきわめて原初的な形式として生まれたものであり、それがやがて(他の複合体と比較すると)ごく粗野で初歩的な複合体な共同体へと移行していったのである。同時に力と力を比較し、測定し、計算する習慣もまた、この共同体のうちに移行したのだった。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.115

つまり、まず共同体ができて、それから貨幣概念や負債が生まれたのではなく、先に貨幣概念や負債が生まれ、それが共同体を形成した、という話です。個人的に、これはかなり納得感があります。前回、デュルケームの社会=神の話も引用されていましたが、このロジックはキリスト教の教義の謎も解明してくれます。

たとえば、なぜ「救世主(redeenner)」とみなされるのか? 「救う(redeem)」のそもそもの意味は、なにかを買い戻すこと、あるいは借金のかたにとられたものを取り戻すこと、つまり負債を完済することでなにかを獲得することである。キリスト教の教えの神髄である救済、人間を劫罰から救うための神自身の子の生け贄、こういったことが金融取引の言語で形成されねばならなかったということは考えてみれば印象的である。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.120

いわゆるプロテスタント側から見れば批判対象だった「免罪符」も、単に教会の金儲けという話ではなく、こういう思想的な背景があった、と考える方が納得感はありそうです。仏教でも「浄財」という言葉がありますが、同じような思考パターンによるものなのかもしれません。

ただ、この話は「原初的負債」に近しい話のように見えます。続きを読んでいきます。メソポタミアの例、ヘブライ人の例が出てきますが、それがゾロアスター教であってもイスラーム教であっても同じ、とグレーバーは言います。この章のタイトルにもなっている聖書の話を引用します。

どちらも「贖い/救済(リデンプション)」と訳されているヘブライ語のpadahとgoalは、他人に売ったものを買い戻すという意味で、とくに先祖伝来の土地の回復、あるいは担保としている債権者の手元にあった物品(オブジェクト)という意味で使われていた。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.121

こちらも金融用語と宗教用語の奇妙な一致ですね。

ヘブライ人の諸王国の経済は、預言者たちの時代までに、メソポタミアで長年生起していた事態にも似た、累積的な債務危機の深刻化する端緒にあった。貧乏人は、凶作の年にはとくに、裕福な隣人あるいは金持ちの高利貸に借金を重ねていくうち、農地の権利を失い、それまで所有していた土地の借地人となりはじめる。息子や娘を債権者に召使いとしてさしだしたり、外国に奴隷として売り払うこともあったようだ。初期の預言者の言葉は、こうした危機への暗示をふくんでいる。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.122

ここまで読んできて、ピケティの『21世紀の資本』を思い出しました。「長期的にみると、資本収益率(r)は経済成長率(g)よりも大きい。」という話でしたが、ただし、彼の主張は「21世紀」と言っているように「格差が拡大している」という主張でした。それはどうかな、という意見もあるようで、そちらは、橘玲さんの解説記事がありましたのでリンクしておきます。

とはいえ、今回のグレーバーの本を読んでいるうちに、もっと長い社会とか文明レベルの視点で見ると、これはあてはまるのではないかな、という気がしてきます。つまり、債務は必ず膨らむし、借金は返済できない。そしてその究極はどうなるか?

メソポタミアにおいてと同時に、聖書においても、「自由(Freedom)」とは、なによりもまず負債の影響からの解放を意味するようになった。(中略)贖い/救済とは、個人の罪業(sin)と罪責性(guilt)の重責からの解放であり、歴史の終焉とは、天使のラッパの大音響が最終的な大赦(Jubilee)を告知するとともに、すべてが白紙に戻され、あらゆる負債が免除される瞬間のこととなる。だとすると、「贖い/救済」とはもはやなにかを買い戻すことではない。それよりも、計算[会計](accounting)システム総体を破壊するという問題である。

デビッド・グレーバー『貨幣論』PP.123-124

ピケティの「資本収益率(r)>経済成長率(g)」を当てはめると、個人レベルで見たら、債務は必ず膨らむし、借金は返済できない、ということになるけれども、それが社会レベル、文明レベルで言うと、最終的には「借金をチャラにする」ということが起こる。これはつまりは革命であり、現行計算システムの破壊、ということになる。

ここで、「徳政令」という言葉が浮かんで調べてみました。

江戸時代のイメージが強かったのですが、それは誤解だったようです。江戸時代のものは「棄捐令」と呼ばれているようです。下記に解説記事がありました。

「徳政令」は、鎌倉時代から室町時代にかけての民衆の救済。「棄捐令」は江戸時代の武士の救済。後者はうまくいかなかった、という論調が多いようですが、どちらも「現行計算システムの破壊」を防ぐための救済措置、と考えられそうです。そう考えると、いわゆるソーシャルセクターの存在意義もまた、革命を防ぐための装置「資本収益率(r)>経済成長率(g)」の格差拡大を縮小して社会を安定させる仕組みとも考えられて、なかなかに深い話のように思えます。

この章の結論部分を引用します。

人類史を通して、階級間の公然たる政治的抗争が出現したとき、それは負債解消の申し立てというかたちをとっていた─拘束された者の解放、そしてたいてい、土地のより公正な再配分というような。聖書やそれ以外の宗教的伝統のうちに、わたしたちは、これらの主張を正当化するためのモラル上の議論の痕跡を認める。それらは通常、あらんかぎりの想像による歪曲を加えられているが、不可逆的に、一定の度合いで、市場そのものの言語を取り込んでいるのである。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.131

この章はここで終わるのですが、あれ、二元論を超える話はどう決着ついたの? と思いますね。はっきり書いてくれていないのでグレーバーの意図を読み取るのが難しいですが、最後の宗教の話はモラルの話なので「原初的負債」に近しい話です。「買い戻す」とか「計算システムの破壊」というのは「実体論」の話です。

なぜ娘が奴隷とされるのか、ということの裏には、非人道的なことに、人が貨幣価値に変換される、ということを意味しています。これは「実体論」の話です。そして、負債は返済しなければならない、という前提が無ければ、奴隷にされることはありません。こちらは「原初的負債」に近しい話です。このように、貨幣が商品と借用証書の間を行ったり来たりする存在であるからこそ、古来から現在まで、このような残酷なことが行われてしまっている、ということをグレーバーは指摘したかったのではないかと思います。

これはこの本の冒頭、ロンドンの反貧困団体のために法的支援を行っている女性弁護士が発した「借りたお金は返さないと」という言葉の中に、まさに人々が貧困に陥ってしまうシステムが存在していますよ、ということの、ひとつの答えになっているのではないかな、と思いました。が、グレーバーはまだその結論は出してくれません。次回の「第五章 経済的諸関係のモラル的基盤についての小論」に続きます。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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