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「人的資本経営」という宗教について考える(完結編)

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

こちらの記事で書きました通り、11月より、noteの毎日更新を再開しています。月曜は「組織と社会を考える日:ドラッカー研究、社会学関係」のテーマとなります。

今回は前回の続きです。

前回は、伊藤先生が最初は「企業と投資家の対話」の話をしていたのが、働き方改革以降、「人への投資」の話に変わり、日本企業がイノベーティブだという主張がイノベーションが足りないという話に変わっていることを指摘しました。

今回は、2022年5月に公開されました「人材版 伊藤レポート2.0」を見ていきます。

この「人材版 伊藤レポート」の問題点は、「人材版 伊藤レポート2.0」の冒頭の説明にうまく書かれています。

印象的だったのは、2022 年1月に開かれた ある政府の会議で、参加メンバーの一人が、同レポートに触れて、次のように発言したことだった。「企業経営者や人事部門の方たちと会っていると、人材版伊藤レポートの話がよく出てくる。その影響力はすさまじく、“破壊力”といってもいいくらいのインパクトを与えている。

https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf

みなさん、「破壊力」ですよ。「破壊」。
よくないですねー。

私はアナーキストではないと思っていますが、ドラッカーさんの下記の言葉が良いと思っています。文脈は下記の記事を御覧ください。

「政府は…ルールを定め、それを守らせる。企業は見返りを期待して財やサービスを提供する。」

『ドラッカーはなぜ、マネジメントを発明したのか』P.273

政府がルールを作るのは良いですが、企業を破壊してどうすんねん!と思うのです。

続きにこういう文章があり、これもちょっと「?」な文章です。

「企業は人なり」「人材は石垣」、わが国には人を大事にする言葉やことわざが 色々ある。とはいえ、人材の一人ひとりと向き合い、その価値を見出し伸ばす経営を実践してきたかが、いま真に問われている。日本企業は総じて社員を本当に大事にしてきただろうか。「人に優しい」との評判は「都市伝説」だったのか。 確かに不条理に社員を辞めさせることはなかったが、、、。

日本企業は社員を大事にし、長期雇用するスタイルが競争力の源泉だとして 世界から注目された時代も現にあった。それは、かつて「日本的経営」として称賛された。しかし、時代が変わり、経営環境が変わり、人々の価値観も変わる中 で、日本企業の是とされた人材施策は様々なほころびを露呈した。

https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf

「 確かに不条理に社員を辞めさせることはなかったが、、、。」は、前の記事でも書きました日本の不自由な労働基準法に関する皮肉と取れます。このレポートの管轄は経済産業省なので、厚生労働省管轄の労働法関係についてはこういう風にごにょごにょ言うしかないというロジックを考えると、役人的な発想でこういう文章になっているのかな、と邪推してしまいます。

「人的資本経営」が「人を大事にする経営」だという間違った先入観を持ってこの文章を読むと、いいこと書いているようにも見えるのですが、初回の記事にも書きましたが、もともと、「人的資本経営」というのは、「状況に応じて必要な人的資本を確保する」と主張していた話です。ですので、この文章も、「長期雇用するスタイル」には「競争力が無い」と言っているのは筋が通っていますが、はて、それは本当に「人材の一人ひとりと向き合い、その価値を見出し伸ばす経営」になるのでしょうか? ここで言っている「人材」はおそらく、マーケットの「人材」のことではないか?とこれまた邪推してしまいます。

日本の人的資源の競争力を奪った源泉は、非正規雇用、もっと言うと派遣社員というシステムではないか、と私は思っています。この問題はどこかで詳しく書くかもしれませんが、一応、参考記事を貼っておきます。

話を戻しまして、この「人材版 伊藤レポート2.0」は、どうも、派遣業法改正の時のように、人材系の企業に利益をもたらすようなそういう誘導が行われているのではないか、と疑ってかかるのが正しい見方であるような気がします。そう考えると、転職サービス系の会社がとても元気に広告をあちこちに出しているのがその結果なのかと思います。

「人材版 伊藤レポート2.0」では、具体的な提案をしているのが特徴です。いろいろてんこ盛りなのですが、目次的にリスト化してみます。

1.経営戦略と人材戦略を連動させるための取組
(1)CHROの設置
(2)全社的経営課題の抽出
(3)KPIの設定、背景・理由の説明
(4)人事と事業の両部門の役割分担の検証、人事部門のケイパビリティ向上
(5)サクセッションプランの具体的プログラム化
(6)指名委員会委員長への社外取締役の登用
(7)役員報酬への人材に関するKPIの反映

2.「As is - To be ギャップ」の定量把握のための取組
(1)人事情報基盤の整備
(2)動的な人材ポートフォリオ計画を踏まえた目標や達成までの期間の設定
(3)定量把握する項目の一覧化

3.企業文化への定着のための取組
(1)企業理念、企業の存在意義、企業文化の定義
(2)社員の具体的な行動や姿勢への紐付け
(3)CEO・CHROと社員の対話の場の設定

4.動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用
(1)将来の事業構想を踏まえた中期的な人材ポートフォリオのギャップ分析
(2)ギャップを踏まえた、平時からの人材の再配置、外部からの獲得
(3)学生の採用・選考戦略の開示
(4)博士人材等の専門人材の積極的な採用

5.知・経験のダイバーシティ&インクルージョンのための取組
(1)キャリア採用や外国人の比率・定着・能力発揮のモニタリング
(2)課長やマネージャーによるマネジメント方針の共有

6.リスキル・学び直しのための取組
(1)組織として不足しているスキル・専門性の特定
(2)社内外からのキーパーソンの登用、当該キーパーソンによる社内でのスキル伝播
(3)リスキルと処遇や報酬の連動
(4)社外での学習機会の戦略的提供(サバティカル休暇、留学等)
(5)社内起業・出向起業等の支援

7.社員エンゲージメントを高めるための取組
(1)社員のエンゲージメントレベルの把握
(2)エンゲージメントレベルに応じたストレッチアサインメント
(3)社内のできるだけ広いポジションの公募制化
(4)副業・兼業等の多様な働き方の推進
(5)健康経営への投資と Well-being の視点の取り込み

8.時間や場所にとらわれない働き方を進めるための取組
(1)リモートワークを円滑化するための、業務のデジタル化の推進
(2)リアルワークの意義の再定義と、リモートワークとの組み合わせ

「指名委員会委員長への社外取締役の登用」とか「博士人材等の専門人材の積極的な採用」とか「社内起業・出向起業等の支援」「副業・兼業等の多様な働き方の推進」とか、なんか偏ったことを言っているな、というものもありますが、ほとんどは普通の「良い経営」の当たり前なことを書いている気もします。

私は長らく経営品質関係を学んできていることもあり、こういう綺麗事を並べられた際に思うのは、「組織の成熟度モデル」を無視しているなーということです。この考え、元々は米国国防総省(DoD)の出資のもとに、カーネギーメロン大学のソフトウェアエンジニアリング研究所(SEI)が開発した能力成熟度モデル(CMM: Capability Maturity Model)から来ているようです。

下記の記事にも書きましたので、こちらもご参考に。

つまり、良い経営にはレベルがあり、それは組織の大小に関わらない。なので、経営を良くしていくには次のレベルに達するには何が必要か、という観点が必要である、というのが私の考えです。

ところが、「人材版 伊藤レポート2.0」はそれを無視している。言い換えると、順番の概念が無いのです。

その視点が無いことについて、最も欠けているなーと思ったのが、「As is - To be ギャップ」のところで、そもそもの「理想的な姿」と経営品質では言いますが、一般的な言葉で言うと、目的・目標の設定がなされていないところです。ドラッカーで言うところの「ミッション」であり、「成果」であり、もっとドラッカーらしく言うと「何をもって憶えられたいか」というところ。

ミッションこそ重要である。組織として人として、何をもって憶えられたいか。(中略)ミッションを失った瞬間、われわれは迷い、資源を浪費する。ミッションが明らかでありさえすれば、目標を設定して進むこともできる。

『非営利組織の経営』P.157

この文章が出てくる文脈についてはこちらの記事をご参考ください。

経営品質では、この「理想的な姿」がきちんと描かれてないとCレベルと考えます。なんとなく「理想的な姿」が描かれてBレベル。いわゆる人材がいきいきと自主的に働いている組織になるとだいたいA~AAレベルです。「人材版 伊藤レポート2.0」はだいたい、そのレベルの組織がやってそうなことをつらつらと羅列しているように見えます。

このCレベル、Bレベル、Aレベルというのは組織の成熟度モデルではありますが、よく考えるとそれはマネジメントのレベルでもあります。下記の記事の結論に書きました、理想的な成果をイメージできなければ、マネジメントは目的を失い、機能不全に陥る、ということを誘発しやすいのが、この「人材版 伊藤レポート2.0」である、と言えそうです。

経営品質に挑戦した日本の名だたる大企業がどんどん挫折していったように、だいたいの会社のマネジメントレベルはBレベル以下です。それはたいていの日本の大企業がその組織の延命のために事業を切り売りしてきたからで、組織としての一貫性がないことにも原因があると思っています。だからむしろ、中小企業の方が良い経営は実行しやすかったりします。

レベルの低いマネジメントをしている、あるいはせざるを得ない大企業がこの「人材版 伊藤レポート2.0」を取り入れようとするとどういうことになるのか。当然のように、「できそうなところだけつまみ食い的に入れる」という運用になってしまいます。

やりやすそうなのは、確かに「CHROの設置」。「CEO・CHROと社員の対話の場の設定」もやりやすいかもしれません。何を話すかは、まあ、なんでもいいとして、社内報に載せる写真は撮れそうです。「企業理念、企業の存在意義、企業文化の定義」「社員のエンゲージメントレベルの把握」あたりも、コンサルに依頼すればすぐに実現しそうです。

個人的にある会社の実例の話を聞いて、それはすごい、と思ったのが、「(4)人事と事業の両部門の役割分担の検証、人事部門のケイパビリ ティ向上」の中の、こちらの項目です。

③ 本取組を進める上で有効な工夫 工夫1:事業担当人事社員(HRBP)の設置
⚫ 各事業の人事制度運用を支援する人事部門の社員に、事業への理解を促す 観点から、人事部門内に各事業担当のポジション(HRBP)を設ける。

https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf

きちんと書かれていませんが、この取り組みの前提は、その会社が事業部別組織になっている、ということがあるかと思います。

その会社は社長の肝いりで「人的資本経営」を言い出し、このHRBPを外部から採用したそうなのですが、問題なのは、その会社の組織が事業部別組織ではなく、機能別組織だった、ということです。

もともとHRBPというのは事業部別組織で、事業部ごとに人材のニーズが違ったりするので、その部専門のHR人材を置いて意思決定させましょう、という人事機能を分散させる仕組みです。

ということで、その会社では、各機能の部にHRBPなる人材が配置されたようなのです。例えば、営業担当のHRBPとか、そういう形ですが、そうなると、人事部担当のHRBPというおかしなポジションの人ができあがって、この人、何の仕事するの?となっているそうです。

そんなバカなことが?とお役人の方は思うかもしれませんが、これが日本の組織の実態なのです。

だいたいにおいて、日本の組織というのは現場が強いところが多く、現場の皆さんの頑張りで支えられているところが多いと思います。その現場を支えるのが社員であり、その社員をサポートしているのが人事部です。現場を見ている人事部を無視して、そもそもマネジメントをしていない経営層が個別人材の採用にまで口を出し始めると、当然のように現場に混乱を引き起こします。(ここで言う「マネジメントをしていない」というのは、先の理論に基づき、「理想の姿を描き、示せていない」ということを言っています。)

現場が強い組織で、現場が混乱する。これこそが「破壊」なのだとしたら、経済産業省はいったい、何がやりたいのかな?と思ってしまうのでした。

ドラッカーはこう書いています。

一般に官僚主義と呼ばれているものは、自分たちが目的であり、組織は手段であると錯覚したマネジメントのことである。これは、マネジメント、特に市場の試練にさらされていないマネジメントがかかりやすい病いである。この病いを予防し、悪化を防ぎ、できれば治すことが、マネジメントの第一の仕事であり、マネジメントに関する文献の第一の仕事である。

ドラッカー『マネジメント 上』P.42

経済産業省が官僚主義的であるのはまあ、官僚なので良いのかとは思いますが、マネジメントの観点が無いことの自覚が無いままに、こういうレポートを人材界隈の人の思惑に乗っかってしまって出してしまうというのは、ちょっと困ったことだなぁ、と思います。まあ、もちろん、影響されてしまって形だけ整えてしまう側の方がマネジメントレベルを上げていただければ問題のない話ではあるのですが。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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