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日本の学会と国家試験のカリキュラムにまつわる謎について

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。木曜は「コーチング/大学講師絡みの話/教育論、アカデミックな話題」のテーマとなります。

大学講師はお休みの期間になりますので、日本のアカデミック界について、謎だなーと思っていることをつらつらと書いています。前回の記事はこちら。

曜日は違いますが、学会についても書きました。

この記事を書いて思ったのは、日本の学会って何か変だな、ということです。何が変かと言えば、「〇〇学」会ではなく、「〇〇」学会が多いんじゃないか?ということです。

この2つ、上の記事でさらっと書きましたが、解説していませんでした。まずは後者の「〇〇」学会ですが、これは「〇〇」についての学会、という意味になります。Conference about 〇〇、という意味合いでしょうか? 逆に「〇〇学」会は、Conference of 〇〇logy とでも記しましょうか。

この2つ、何が違うのかと言えば、学問としての体系があるのかないのか、もっと言えば、その学会の外と中を分かつ明確な基準がその体系にあるのか、ということです。

例えば単純な話、これは学会の理事にも言っているので良いと思うのですが、ドラッカー学会という学会があったとして、これが「ドラッカーについての学会」なのか、「ドラッカー学についての会」なのか、ということです。前者の場合、言い方は悪いですが、ファンクラブみたいなもので、あくまでも交流の場であって、あまりディスカッションや学術的発展は期待できない。後者の場合には、今、存在しているかしていないかはともかく、「ドラッカー学」というひとつの学問分野を確立しようとする会になるわけで、個人的にはこちらの方が知的好奇心が満たされるというか、学会を名乗る意味があるかな、と思います。

ちなみに余談ですが、ドラッカー学会に対する分析は下記で記事にしています。

そう考えると、前回の記事で書きました日本心理学会での私の不満も、その根源に何があるのか、ということが明確になってきました。

日本心理学会は、別に「日本心理学」という学術体系を生み出す場所ではなく、「日本」で「心理学」に関心がある方の「会」ということになります。そりゃ雑多な内容になるのも当然ですし、皆さんの研究内容が細かすぎて何も学ぶものはないなーと思ってしまったのも納得です。

逆に言えば、この「ある学問体系を体系づけるための学会」というのが果たして日本にはどのくらい存在しているのだろう?と思ってしまいます。

最近、ご無沙汰ですが、私も属している学会で日本コミュニケーション学会というのがあります。こちらはもともと異分野の研究者が集まることを前提に作られた学会で、学会で書籍を発行したりして、「ある学問体系を体系づけるための学会」という意味合いを持っていると思いました。

私が考えていることは極めてシンプルな話で、例えば心理学だったら、日本心理学会が発行する心理学のテキストがあって、これが今の日本の心理学だ、ばーん!というのがいちばんわかりやすいなぁ、と。社会学なら、社会学会が出す『社会学概論』みたいなテキストがあって、この内容が日本の社会学のスタンダードじゃい、というのなら、話はわかりますし、極めて単純な話です。

私が知らないだけかもしれませんが、そういう体系だったものを作らずに、なんとなくその分野に関心がある人が集まっている、という、そんな学会ばかりだとしたら、その存在は日本のアカデミック界にとって、どんな意味があるんだろうか?と思ってしまったのです。しかもそんな学会が「日本学術会議」に属していたとして、どういう基準で選んでいるの?と言いたくなる気持ちもわからんではありません。(もちろん、交流目的を否定するつもりはありませんが、学会じゃなくて産業別組合にしたら?とか思ってしまいます。)

さて、ここまで長々と前置きを書いてきましたが、実は、なんでそう思ったのか、ということには理由があります。

先日、授業の中でボランティア支援室で学生さんに学生さんに活動されている学生さんにお話いただいた際、彼の話の中に「ブルデュー」という名前が出てきてびっくりしました。

実は私は大学の頃、デュルケームから入って最後にブルデューに惹かれ、当時、『構造と実践』が高くて買えなかったので図書館で2冊借りて、大学近くの格安コピーで全ページコピーして読んでいた、という経験があるのですが、出会ったのが3年生の時で、それから就職活動に卒論にと追われて深められず、卒論にはブルデューは引用できなかったのですが、それだけ思い入れがあります。(ちなみにアカデミック「界」の「界」はブルデューに影響されて使っている言葉です。)

その学生さんは福祉系の学部で社会学でもなかったので、なんでブルデューを知っているのだろう? あれ? 自分が知らないだけで、ブルデューが福祉について語った本ってあったっけ? と思って焦ったのですが、たまたま本屋さんで時間を潰しているときに、ある本に出合って、謎が解けました。それがこちらの本。

これは、社会福祉士養成講座のテキストです。元は養成カリキュラムになりますが、その名も「社会学と社会システム」という科目があることを知ったのでした。

試しにこちらの本を買ってみましたが、確かに「文化的再生産」「文化資本」「ハビトゥス」の用語とともに、ブルデューが紹介されています。ブルデュー自身は教育分野の話として展開していたはずですが、この理論を福祉に持っていくのはなるほどな、と思ったのでした。(ブルデューについてはまたどこかで記事にしますから、わからん、という方は、今回の記事の内容に関係ないので、呼び飛ばしてください。)

ちなみに、現在のカリキュラムは、平成19年(2007年)度に改訂されたようなので、それ以前のことは現時点では調べていませんが、この時以降は少なくとも「社会学と社会システム」という科目が存在しているわけです。下記によると、介護福祉士も同じなんですね。

介護福祉士も社会福祉士ももちろん、国家資格です。それでは国家資格になるような「社会学」は、いったい誰の手によって体系づけられたものなのでしょうか?

こちらはGeminiに調べてもらいました。

結論から申し上げますと、この科目の構成に最も大きな影響を与え、日本の社会福祉における社会学の体系を決定づけた中心人物は、社会学者の**副田 義也(そえだ よしや)**氏であると言えます。
なぜ彼が「構成者」と言えるのか、その背景と理由を整理します。

1. 「社会福祉の社会学」を確立した人物:副田 義也
日本の大学で社会福祉士を養成する際、「単に一般的な社会学を教えるのではなく、**社会福祉の実践に役立つ独自の社会学(社会福祉の社会学)**が必要だ」と提唱し、その体系を作り上げたのが副田義也氏(筑波大学名誉教授)です。
彼が整理したこと: それまでバラバラだった社会学の知識を、「社会福祉というシステムが、社会の中でどう機能しているか」という視点で再構成しました。
科目の特徴への影響: ご質問にある「社会システム」という言葉が科目名に入っているのも、副田氏らが**タルコット・パーソンズの理論(構造機能主義)**を日本の社会福祉分析のメインフレームとして導入・整理した影響が色濃く残っています。

2. 「標準テキスト」の監修者たち
国家試験のための勉強で使用される「教科書(標準テキスト)」の構成メンバーを見ると、誰がこの科目の枠組みを作っているかがわかります。
長年にわたり、社会福祉士養成講座の『社会理論と社会システム』(中央法規出版など)の編集・執筆をリードしてきたのは、以下の社会学者たちです。
副田 義也(前述の通り、理論的支柱)
武川 正吾(明治学院大学教授。社会政策と福祉国家論の観点からこの科目を整理)
古川 孝順(日本の社会福祉史・理論の重鎮)
彼らが中心となって、「社会福祉士にはこの範囲の社会学知識が必要だ」というラインを引き、現在のカリキュラムの形に落とし込みました。

3. 一般社会学からの橋渡し役:富永 健一
また、社会福祉士専用ではありませんが、日本に「社会システム論(パーソンズ流の理論)」を定着させ、それを日本語で体系化したのは、社会学者の富永 健一(東京大学名誉教授)です。 副田氏などが社会福祉のカリキュラムを作る際、富永氏が整理した日本の社会学体系(社会変動論やシステム論)がベースになっています。

まとめ
「誰の理論構成か(誰がこの科目をデザインしたか)」という問いへの答えとしては、以下のように捉えるのが最も正確です。

「副田 義也(そえだ よしや)」

彼が、パーソンズなどの欧米の理論を日本の社会福祉教育用に『翻訳』し、体系化した第一人者であり、現在の「社会理論と社会システム」という科目の骨格を作った人物です。

もしお手元に教科書があれば、巻頭の執筆者一覧や参考文献を見てみてください。副田氏の名前や、彼の著書『社会福祉の社会学』などが挙げられている可能性が高いです。

Geminiによる回答

はい。ということで、副田義也先生という個人によるものだった、というのがGeminiの答えでした。Wikipediaを貼っておきます。

父が牧師とか、マンガ評論をしていたとか、とても気になる人物ですが、残念ながら2021年にお亡くなりになられていました。なぜか上のWikipediaに記載がないのですが、副田先生は2004年に「福祉社会学会」という学会の会長になられており、下記のような追悼文が出ています。

https://www.jws-assoc.jp/wp-content/uploads/2025/04/nl69.pdf

会長としては、福祉社会学会創設時点で70 歳直前であられたせいもあってか、若い人たちに任せるという運営 スタイルであったかと思う。『福祉社会学研究』第1号に、立教大学でおこなわれた初回学会大会の記念講演の再 2 録「福祉社会学の課題と方法」が掲載されてあり、末尾は次のようにまとめられている。「この理事メンバーの平均年齢は関連学会のそれのなかではきわめて若く、新生の福祉社会学会にまことにふさわしい。ただし、私のみ はすでに老境に入り、研究者生命の持続期間はあと数年を残すのみである。そのあいだ、皆さまとの伴走を許さ れることを乞うて、この名誉の記念講演を結ぶことにする。」その後、10数年以上にわたり、福祉社会学会を見守っていただいてきたことになる。

「福祉社会学会ニューズレター第69号」より

既存の大きな「社会学会」ではなく「福祉社会学会」が厚生労働省の国家試験による資格制度のカリキュラムのベースになっている、ということは、とても面白いし、副田先生のお仕事は素晴らしいな、と思います。そして、まさにこの学会は「福祉社会」に関心がある人の交流の場ではなく、「福祉社会学」という学問を体系立てるために作られた学会である、と思いました。

例えば、経済産業省管轄の国家試験である中小企業診断士には、「企業経営理論」という科目があります。この科目、経営についての理論がよくまとまっていて、学びやすいと思っているのですが、一次試験科目であり、養成課程もないので、ただ過去問だけが存在していて、どういうカリキュラムを前提にしているのかよくわかりません。試験委員という方はいらっしゃるのですが、誰がどのように作った体系かは明らかにはされていません。

こちらも一応、Geminiに尋ねてみました。

結論から申し上げますと、現在の診断士試験(企業経営理論)の体系と用語の定義を決定づけた「事実上の編纂者」と言える日本人は、以下の2名の大家(およびその師匠)です。

1. 試験の「背骨」を作った2人の日本人
診断士試験の「企業経営理論(特に戦略論と組織論)」の体系は、実質的に以下の2名の共著による体系がベースになっています。
加護野 忠男(かごの ただお / 神戸大学名誉教授)
伊丹 敬之(いたみ ひろゆき / 一橋大学名誉教授)

このお二人が書かれた**『ゼミナール 経営学入門』(日本経済新聞出版社)という書籍が、診断士試験の「種本(たねぼん:出題のネタ元)」**としてあまりにも有名です。
試験に出てくる「用語の定義」や「理論の並び順(体系)」は、この書籍の記述が正解の基準になっていることが非常に多いです。彼らは欧米の膨大な理論を、「環境への適応(戦略)」と「人への適応(組織)」という2軸で整理し、日本の実務に合うように体系化しました。

2. その源流にいる「日本の経営学の父」
さらに歴史を遡り、「日本における経営学の体系」そのものを最初に作った人物を挙げるとすれば、上記2名の師匠筋にあたる以下の人物になります。
占部 都美(うらべ くによし / 元神戸大学教授)
占部教授は、戦後の日本にバーナードやサイモンなどの「近代組織論」をいち早く導入し、体系化した人物です。「経営学と言えば神戸大学(神戸学派)」と言われる基礎を築き、現在も診断士試験の試験委員(作問者)には、この神戸学派や一橋学派の教授が多く名を連ねています。

3. マーケティング分野の整理者
マーケティング分野に関しては、コトラーの理論を日本に最適化して整理した以下の人物たちの体系が試験のベースになっています。
和田 充夫(わだ みつお / 元慶應義塾大学教授)
恩藏 直人(おんぞう なおと / 早稲田大学教授)
彼らが書いた『マーケティング戦略』(有斐閣)などのテキストが、診断士試験におけるマーケティング用語の定義(例えば「ブランド戦略」や「消費者行動」の分類など)の基準になっています。

まとめ
診断士試験の体系を整理した「日本のキーパーソン」は、以下の通りです。
戦略・組織論の体系化: 加護野忠男・伊丹敬之(および源流の占部都美
欧米の理論を「日本企業の文脈」で噛み砕き、試験で問われる「思考の枠組み」を作った。
マーケティングの体系化: 和田充夫・恩藏直人
コトラー理論をベースに、日本における標準的な定義を定めた。

もし試験勉強において「解説を読んでも用語の定義がしっくりこない」「体系がつながらない」と感じた場合は、彼らの著書(特に『ゼミナール経営学入門』)に立ち返ると、試験委員が想定している「正解のロジック」が見えてくるはずです。

Geminiによる回答

こちらは様々な名前が出てきており、これらの編集者と言いますか、総合プロデューサー的な存在の人は明らかにされませんでした。

さて、いずれにしましても、日本における学会というものと国家資格のカリキュラムというのがなんだかすっきりしない関係になっている、ということがなんとなくわかってきました。これは公務員試験まで範囲を広げるとさらにすっきりしなくなります。例えば、公務員試験の「思想」って科目はいったい誰が体系立てたものなのでしょうか?(ちなみにこちらもGeminiに訊いたのですが、「予備校業界が『合格のための最適解』として再編集したもの」というのが実情です。」という答えでした。)

まあ、正直、そんなことを気にする人は居ないと思いますが、この「学会」と「国家試験のカリキュラム」とが分断しているところは、日本のアカデミズム界がどうも虚の世界にあって、実の世界とは地続きではないような印象を持ってしまいます。

さらに言えば、おそらく成功例であるところの福祉社会学を以てしても、海外の理論のパッチワークで理論構築されており、切り離して独自の学術的成果を出しているのかは謎なところに、日本のアカデミズム界の深い闇があるな、と思いました。

その闇とは、海外の理論を日本語に訳して、それで仕事をした気になっている学者さんがたくさん居て、日本語で書いた論文が世界に伝わらないし価値を認められない現状で学会も活動しており、さらにそれぞれの研究範囲も毛細血管ほど細くなっていっている、という、なんでしょうね。これはもう、いろいろな歴史的な背景によって日本のアカデミズム界に課せられた「呪い」のようなものの気がします。ドラクエの毒ではないですが、キアリーかどくけし草でどくを消さないと永遠にダメージ受け続けるので、ここいらへんで立ち止まってあるべき姿を考える時期に来ているのかもしれませんね。という意味でのこちらの記事で紹介しました「日本学術会議の法人化」だったのかもしれません。

というところで、長くなりましたので今回はこの辺で。続きます。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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