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デヴィッド・グレーバー『負債論』を読む その10「第10章 中世(600-1450年)」

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

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noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。水曜は「文化と遊びの日:『負債論』(連載)/麻雀の話、書籍の紹介」のテーマとなります。

現在は、こちらの書籍を読んでいます。

前回の記事はこちら。

前章では、「枢軸時代」について語られました。「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」が定着したところで「合理的な計算のような慣習」と「大衆教育運動」によって、枢軸時代の思想の拡がりを可能にした、とグレーバーは指摘しています。そして先取りして、負債がもたらしてしまった社会の崩壊に対して新しい宗教的権威たちが社会の秩序を回復せんと動き始めた、というところまでが語られました。

本章では、「中世(600-1450年)」が語られています。冒頭に前章の枢軸時代からの流れが書かれています。

枢軸時代において商品市場と普遍的世界宗教という相補的な理念の出現がみられたとすれば、中世とは、それら二つの制度が合流しはじめる時代であった。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.376

続く文章で、帝国が崩壊し、宗教の隆盛とともに奴隷制も解体され、仮想信用通貨への回帰が起こった、とグレーバーは説明しています。

グレーバーは「枢軸時代」の定義をヤスパースの定義から拡大したように、「中世」という言葉の定義も拡大しています。すなわち、「中世」と言えば西ヨーロッパのイメージですが、これを世界に拡大します。つまり、ここでは西欧だけではなく、インド、中国、イスラムも語られます。

インドでは寺院が寄進を集め、それを原資として貸し付けを行い、金利を得ていた様子が描かれます。中国では、鋳貨の元となる銅が不足し、政府が仏像を潰す話や、民間での約束手形から始まって国が紙幣を発行するまでが描かれます。

中世を特徴づけるのは、抽象化への全般的運動である。真金や真銀の大部分が教会や僧院、寺院に集中し、貨幣はふたたび仮想的になった。それらとともに、そうした過程を規制すべく、とりわけ債務者たちになんらかの保護を与えるべく、広範なモラルにかかわる諸制度を設立する。そのような傾向がどこにおいてもみらえたのである。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.400

イスラム世界では、政府と宗教が切り離された時代が続き、「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」が継続していた様子が描かれます。このとき、民衆にイスラム教を広めたのは法学者であったようです。以下、様々なことが書かれているので、

・イスラムでは奴隷が兵士として使われた、つまりは奴隷が武器を持っていた。このことは、信心深い民が軍隊に使役しないという宗教家から見たメリットがあった。
・そしてイスラム法では、誘拐、司法懲罰、負債、子どもの遺棄や売却に起因する奴隷は禁止されていた。
・徴利は禁止されていたが、もともと商業で栄えたイスラムでは、商業に対して肯定的であり、業務報酬は認められていた。ただ、銀行ができるほどではなかったため、商人が銀行業も手掛け、そこで約束手形が使われるようになった。融資については有利子投資よりも一方が資本を出す共同経営が好まれ、後に、有利子負債は違法でなければならない、という考えも生まれてくる。
・イスラム社会において商人は尊敬の対象であり模範的存在とされていた。商人は戦士のように遠方への冒険をしながら誰にも危害を加えない。この商人崇拝が世界初の自由市場イデオロギーを生み出していた。

負債と奴隷制という古来の軛から解き放たれるや、地域のバザールは、ほとんどの人にとってモラルの危機にさらされるどころかその正反対の場所になった。すなわち、人間の自由と共同体の連帯の最高の表現であり、したがって国家の介入から根気づよく防衛されるべき場となったのである。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.414

ということで、特殊な条件下でアダム・スミスの唱える自由主義経済が実現している話が語られています。

ヨーロッパ、キリスト教世界では、中世は遅れて始まったと言います。鋳貨が消失して貨幣は仮想的領域に撤退し、ほとんどの日常的取引は割符や商品券、簿記や現物取引など、まったく現金に依拠しないで行われていました。徴利はイスラム同様、キリスト教的慈愛の教義と矛盾すると思われ、忌諱されており、商人という存在はキリスト教的ではないと考えられていたようです。実際には商人はほとんどが外国人であっため、このことは矛盾がなかったようです。ただ、この考えが金貸しをしていたユダヤ人の弾圧の理由とされたりもしたようです。この時代の西ヨーロッパは政治的情勢が不安定で、常に戦争によって支配領土が書き換わっていました。商人資本主義は都市国家で確立され、彼らは独自の軍隊も持っていました。イスラム世界と違って、ここでは金融と貿易と暴力がつながっていた、とグレーバーは言っています。

ここまで見てきてグレーバーが主張するのは、「中世」という言葉は長らく西ヨーロッパのものとして、世界で先んじたものとして使われてきましたが、金融的抽象化は実際にはアジアやイスラムで先に起こり、遅れて最後に西ヨーロッパで進んだ現象でした。まとめの部分から引用します。

枢軸時代が唯物論的な時代だったなら、中世とはなによりも超越性の時代であった。古代帝国の崩壊のあとに新しい帝国の勃興をみるといったことはほとんど起きなかった。そのかわり、かつて反体制的であった大衆宗教運動が支配的な制度へと一躍成り上がる。奴隷制は、全般的な暴力の水準の低落とともに、衰弱するかあるいは消滅した。交易がさかんになる情報の技術革新の歩調も速度をあげた。 平和の拡大が、絹や香料の動きのみならず、人びとと観念にも、より大きな可能性をひらいた。中世中国の僧侶たちがサンスクリット語 で書かれた古代の論文を翻訳することに専念できたこと、中世インドネシアのマドラサ[バングラデシュとパキスタンのイスラーム 教の学校]の学生たちがアラビア語で法にかんする議論を闘わせることができること、これらはその時代のものとして世界性を証言するものである。

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.414

ちなみに「法人」という概念もこの中世期に生れた観念のようです。ちなみにこの概念が最初に適用されたのは修道院で、その後、大学、教会、ギルドにも拡大したようです。この頃の学者はこの「法人」という概念を「天使のようなもの」と称していたそうです。面白いので引用しておきます。

「不死であるが、訴えかつ訴えられ、土地を所有し、自身の紋章をもち、自身を構成する自発的人格のために諸規則をつくる」

デビッド・グレーバー『貨幣論』P.452

なるほど、という感じです。この法人概念と「冒険する商人」達とが結合した時、新しい時代の扉が開く音がし始めます。商人たちが合法的あるいは実質的な独占を支配し、貿易に伴うリスクを回避するために永続体へと組織し始め、こうした会社が海外で武装した冒険を開始するのでした。

と、いうところでこの章は終わります。次章、「資本主義帝国の時代(1450-1971年):第11章」では、遅れて中世化した西ヨーロッパ人達が世界を暴力と資本によって制圧していく姿が描かれます。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローもコメントも記事の引用・紹介も大歓迎です。

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