デヴィッド・グレーバー『負債論』を読む その9「第9章 枢軸時代(前800年ー後600年)」
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
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現在は、こちらの書籍を読んでいます。
前回の記事はこちら。
前回からグレーバーは人類の歴史を語り始めました。前章では、「農業帝国時代」について語られました。人類の文明の初期の頃、確かに貨幣と負債が現われ、負債は必ず膨らみ続け、最終的には負債をチャラにする「革命」が起こってリセットされる、ということが繰り返されてきた、という話でした。ちなみに各時代と語られている章の関係は下記の通りです。
農業帝国時代(前3500年-前800年):第8章
枢軸時代(前800年ー後600年):第9章
中世(600-1450年):第10章
資本主義帝国の時代(1450-1971年):第11章
本章では、「枢軸時代(前800年ー後600年)」が語られています。章とびらにこの語を採用したヤスパースの言葉が掲載されていますので引用しておきます。
わたしたちはこの時代をかんたんに「枢軸時代」と呼ぶことができるでしょう。 この時代には重大な事柄が一度に押し寄せてきました。中国には孔子と老子が生まれ、中国哲学のあらゆる方向があらわれ、インドではウパニシャッドがあらわれ、釈迦が生まれ、中国におけるのと同様に、懐疑主義と唯物論、詭弁派と虛無主義にいたるまでのあらゆる哲学の可能性が展開されました。
――カール・ヤスパース『哲学入門』一四九,一五〇頁
ヤスパースのこの用語を使いつつ、グレーバーはこう修正して使うよ、と宣言しています。
ヤスパースによれば、この時代は、前八〇〇年頃にペルシアの予言者ゾロアスターとともにはじまり、前二〇〇年頃に終焉を迎えるが、それにつづいたのが、イエスやムハンマドらが中心的に活動する「霊魂の時代(Spiritual Age)」となる。わたしのもくろみにとっては、これら二つを組み合わせた方が有益であるようにおもう。そこで 「枢軸時代」を前八〇〇年から後六〇〇年と定義してみよう。すると枢軸時代は、世界の主要な哲学的潮流すべて のみならず、ゾロアスター教、預言者的ユダヤ教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教、儒教、道教、キリスト教、 そしてイスラーム教という、今日の主要な宗教すべての誕生を目の当たりにした時代となる。
そしてこう続けます。
注意深い読者ならば、ヤスパースのいう枢軸時代の中核、つまりピタゴラスや孔子、ブッダが生きた時代が、鋳貨の発明された時期にほぼ対応していることにお気づきだろう。さらに、硬貨がはじめて発明された世界の三カ所 は、まさにこれら賢者たちが活動したその地でもあった。事実(中国の黄河周辺の諸王国や都市国家、インド北部のガンジス川流域、エーゲ海沿岸部といった)それらの地域は、枢軸時代の宗教的・哲学的創造性の震源地であったのだ。
その関連性を探るために、グレーバーはまず「硬貨とは何か?」という問いから話を始めます。まず、古代ギリシア世界もインドでも中国でも、民間人が鋳貨を発明し、国家がすぐさまそれを独占するようになった、と彼は言います。そして彼は問います。そもそも、硬貨の素材である金、銀、青銅は富者のみしか保有していなかったのが、小さな断片へと分けられ、日常の取引で使用されるようになったのはなぜか?
どのようにして? イスラエルの古典学者デヴィッド・シャップスによる提案が最も妥当なものである。すなわち、そのほとんどは盗まれたのだ、と。この時代は戦争が一般化した時代である。そして、戦争の性質上、貴重品は略奪されるものである。
つまり、戦争の勝者による略奪の対象として、女性・酒・食物に加え、持ち運びが容易な貴金属と宝石が加わった、という話です。そして同時に、この時代の特徴として、訓練を受けた職業軍人による編成された軍隊が現われたことをグレーバーは指摘します。
これはグレーバーが下記の章で指摘していた話です。
この際に書いた図を再掲します。

そしてグレーバーは再度、問いを発します。「鋳貨と軍事力、そしてこの前例なき思想の噴出のあいだにひそむ関係とはいかなるものだったのか?」
軍隊を賄うための市場の成立は、国家にとっては戦争のたびに市場からの負債を貯めこむことを意味しています。基本的にはそれは戦争の勝利による戦利品で支払うことになるのだけれども、それとは別に、鉱山を拓き、奴隷を働かせ、金や銀や銅を算出して硬貨とし、それを支払う、という状態になった。これをグレーバーは「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」と呼んでいます。
この「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」が定着したところではどこでも「最大の自己中心的(利己的)動機こそが必ずや真の動機であるという感覚」が生まれている、とグレーバーは指摘しています。そして「投入と産出あるいは手段と目的を予測する合理的な計算のような慣習」が広がり数学的計算が「市場でだまされたくなければだれもが学ぶべき心得となった」。その背景には「大衆教育運動」によって、大衆の読み書き能力が向上し、これが大衆的知識人運動の出現や枢軸時代の思想の拡がりを可能にした、とグレーバーは指摘しています。グレーバーはこう結論付けます。
利己主義対利他主義、利潤対慈愛、唯物論対唯心論、計算対自発性―いずれも、純粋な、計算づくの、利己的な市場取引から出発した者以外には、そもそも想像しうるはずもないものだった。
ここから哲学や宗教のタネとなるような思想が生まれ、それが拡大していくうち、「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」の拡大によって負債を貯めこんだ大帝国が生まれ、現実逃避の手段あるいはこの世界における別世界の創造としての宗教を国家的に採用するようになってくる。そしてその結果、戦争は残忍さを低減させ、頻度も減少させ、奴隷制は制度としては衰退していった、とグレーバーは言います。
この章の最後の部分には、市場の誕生からここに至るまでの段階が8段階で要約されて示されている部分があります。それでも長いので、chatGPTにまとめてもらいました。(余談ですが、勝手な解釈ばかりをしてくるので修正にかなり手間取りました。)
(1)市場の行政起源と軍事化
少なくとも近東において、市場は当初は政府の行政機構の副次的効果として生まれたが、やがて軍事活動に巻き込まれ、傭兵の論理と区別がつかなくなり、最終的にはその論理が政府そのものを征服して国家目的を規定するに至った。
(2)唯物論的世界観の出現
この過程の中で、世界の諸地域では、物質的世界のみを実在とみなす唯物論的な思考が現れ、人間や社会を利害と力の計算によって説明しようとする傾向が広がった。
(3)人間性と徳の再定義を試みる哲学
どこにおいても、こうした事態と格闘しながら、人間性や魂についての理解を探究し、倫理と徳性の新たな基盤を見いだそうとする哲学者たちが現れた。
(4)権力に対抗する知識人運動の誕生
同時に、並外れて暴力的で冷笑的な新しい支配者たちと対決するなかで、社会運動と結びついた知識人が登場し、現実の性質についての特定の理論の名のもとに権力へ対抗するという、人類史上新しい「知識人の運動」が生まれた。
(5)暴力政治への応答としての平和運動
これらの運動は、政治の基礎が暴力であるという認識から生じ、とりわけ平和運動として、理論的立場を通じて既存の権力装置に対抗する人々を各地に生み出した。
(6)負債否定と新しい社会的利益の構想
そうした運動は、負債の否定や新しい道徳的・知的道具を通じて社会的利益を構想しようとしたが、既存の制度を全面的に置き換えるには至らなかった。
(7)統治者による宗教の国家的採用
統治者たちは当初、冷笑的な現実政治を保ちながら新しい宗教や哲学に寛容であったが、帝国が拡張の限界に達して危機に陥ると、国家再建のための公式イデオロギーとして宗教を採用するようになり、その成否は制度としての持続性によって分かれた。
(8)市場と宗教の相補的秩序
最終的に、物質的利益と利己的計算を担う市場と、究極的価値と意味を担う宗教とが互いに扱わない領域を引き受け合う相補的関係を形成し、その枠組みを国家が暴力と法によって支えるという、構図が確立した。
次の章につながる文章でこの章は終わります。
負債がもたらしてしまった社会の崩壊に、すべての場所で等しく新しい宗教的権威たちは真剣な取り組みを開始したのである。
次章では、「中世(600-1450年)」を見ていきます。
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