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雑談*橋をかける人フランシスコ教皇と教皇選挙にまつわる話

2025年4月21日、ローマ教皇フランシスコ聖下が帰天されました。88歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

前日20日の復活祭の式典では大変短かかったですが言葉を発せられ、教皇車に乗って広場をめぐり、集まっている人々に手を振ったりされていたので、その翌朝に亡くなられたニュースにびっくりでした。

特別な年(聖年)である2025年の復活祭が山になるんだろうなと思ってもいたので「任務を終えられたんだなぁ」と納得もしています。


教皇の死をきっかけにXでは、次の教皇を決めるコンクラーベ(教皇選挙)で盛り上がっているようです。日本では映画の影響で関心を寄せている人が多いかもしれませんね。
誰が教皇になってもキリスト教徒以外には大きな影響はなさそうですが、問題は誰が教皇に選ばれるかということ(ニュアンスがややこしい言い回し)

私は映画館に行くまでの体力がないので『教皇選挙』は観れていないのですが、Youtubeの解説動画を観たりであらすじは掴みました。
鍵職人さんの記事も興味深かったです。



しかし、映画『教皇選挙』と現実の教皇選挙がタイミングを合わせたように重なるとは(まさか合わせた?)。
そして、教皇の自室を封蝋するシーンが現実でも行われているのを目にするとは。とは、とは祭りです(苦笑)


ただXでは外国の反カトリック勢がわらわら湧いていて(たぶん工作員もいる)、宗教プロパガンダに免疫がない日本人(と思われる)がキリスト教内部の対立を知ってか知らずか、「バチカンがー」「悪魔崇拝がー」となっているのは残念に思います。

便乗している人も工作員の可能性あるかも。宗教対立を煽りたい人たちかな。

私も詳しくは知らないので偉そうには言えませんが。私の場合、父親が「聖書を学ぶといい」と子どもの頃に呪い(笑)をかけたので、非キリスト教徒なのにキリスト教の知識が多くなっただけですので。

長年ヨーロッパのキリスト教圏では教皇庁に良いイメージがなく、とくにナチスとバチカンが結びついてからはますます悪の印象が定まっていました。SNSの発達に伴いバチカンについて知る機会が増え、とくにフランシスコ教皇の活発な外交スタイルによってバチカンの不透明さがだいぶ和らいでいたように思います。


フランシスコ教皇について

フランシスコは史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇である。
ヨーロッパ以外の地域の出身者がローマ教皇に就くのは、シリア出身の第90代のグレゴリウス3世の死去以来、1272年ぶりである。
また初めて「フランシスコ」を名乗るローマ教皇でもある。

このように「史上初」のもっとも注目された教皇でした。
それだけでなく、アッシジの聖フランチェスコにちなんで名付けた教皇名のように、聖職者の頂点である教皇になっても質素を好み、バチカン宮殿ではなくコンクラーベで枢機卿が宿泊に使用するサン・マルタ館の1室を住居にしました。

サン・マルタ館

サン・マルタ館は、各国の聖職者などがローマに滞在するときに使用されるほか、観光客用のホテルとしても利用されているそうです。

フランシスコ教皇は装飾のないシンプルな白いカソックをいつも着ておられましたが、あれは聖職者の普段着にあたるものです。
フランシスコ教皇は、権威の印でもある「教皇のモゼッタ」とよばれる緋色のケープの着用を拒んだだけでなく、教皇自身が着用すること禁止したそうです。(次の教皇の代で復活するかも)

頭の帽子はカロッタと呼ばれ、ローマ教皇は白、枢機卿が緋色、大司教、司教及び大修道院長が深紅色のものを被るそうです。

教皇として初めてバチカンのバルコニーでスピーチしたときも、上の写真と同じ格好で現れたそうですから関係者はみなびっくりしたでしょうね。

また、陰謀論者が大好きな「教皇の赤い靴」もやめていますね。
バチカンが言うには、教皇の赤い靴はキリストの血を表しているそうですが、陰謀論者によると悪魔崇拝で生贄にした人間の皮膚で出来ているとか。

このようなキリスト教の伝統でもある祭服のルールを変更したことも、ある筋の人には面白くなく反発されたでしょう。
教皇は宗教界のトップだから権威的でなければいけない、見た目も煌びやかでなければいけないと考える人は多く、宿舎に住んだり質素な服装や、非キリスト教国を訪問したり、他宗教や異宗派のトップと話し合いの場を持とうとするフランシスコ教皇を目障りだと思っている筋もあったと思います。


科学者から教皇へ

1950年代のフランシスコ教皇(本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)

ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)は、1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区フローレス区で、イタリア系移民の子として生まれた。
幼少期に感染症により右肺の一部を摘出している
サレジオ会が経営するラモス・メジア・サレジオ学院(現ウィルフリド・バロン学院)を経て、ブエノスアイレス大学で化学を学び学士号を取得した。

若い頃は、ブエノスアイレスのナイトクラブの用心棒として働いていたそうです。1958年にイエズス会に入会し、神学校へ進み聖職者の道へ。
1969年にカトリック司祭に叙階され、1973年から1979年までアルゼンチンのイエズス会管区長を務めました。
1998年にブエノスアイレスの大司教になり、2001年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によってローマの聖ロベルト・ベラルミーノ教会の枢機卿に任命されました。

大司教時代は宮殿のような司教館ではなく小さなアパートに居住し、お抱えのリムジンの使用を拒否して公共交通を利用していたそうです。


アルゼンチンの司教時代、バスで通勤。そして「手を隠してる」


2013年のコンクラーベで教皇

2005年にヨハネ・パウロ2世が死去し、新教皇を選出するコンクラーベでは、最有力候補であったラッツィンガー枢機卿(教皇ベネディクト16世)の主要な挑戦者だったと言われています。

イタリアの有力紙『ラ・スタンパ』は、選挙の間、ラッツィンガー枢機卿に対してベルゴリオ枢機卿が譲歩の姿勢に終始していたとし、枢機卿団に対して自分に投票しないようにと感情的な請願を出すにまで至ったと報じている。

ベネディクト16世が2013年2月28日をもって辞任したことを受け、コンクラーベの5回目の投票で新教皇に選出されました。
ベルゴリオはすでに76歳だったため、マスコミは新教皇の有力候補とは見做していませんでした。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたそうです。


教皇フランシスコの紋章

教皇の紋章銘であるラテン語の“Miserando atque eligendo”は、「憐れみをかけ、そして選び出す」の意味。


教皇の指輪と胸十字架

フランシスコ教皇がいつも右手にはめていた指輪は、アルゼンチンのブエノスアイレスで司教だったときに受け取った指輪だったので、棺に納められたときも着けたままでした。

フィッシャーズ・リング

通常、これまでの教皇たちは就任式で贈呈される金の「フィッシャーマンズ・リング」をつけており、教皇が亡くなったときには指輪はハンマーで壊して破棄されるのですが、フランシスコ教皇は金の指輪は儀式のときしか着けませんでした。
フランシスコ教皇の「フィッシャーマンズ・リング」は、推定52万ドルと言われています。

フランシスコ教皇が普段つけていた指輪

もともとは教皇の印章として作られた「フィシャーマンズ・リング」は、イエスの弟子で初代ローマ教皇の聖ペテロ(ペトロ)が漁師だったことに由来しています。
教皇の指輪は、ペテロの後継者として託された義務を象徴しているんですね。なので、教皇職を終えるときには返還することになるわけです。


教皇の指輪にキスをする伝統は、敬意の表れとして中世に始まったと考えられます。20世紀になると、枢機卿や司教の指輪にキスをするで免罪符が与えられ罪が許されることも意味していたそうです。

(そういえばフランシスコ教皇の場合は、指輪にキスできる人と教皇に拒まれる人がいる動画がありますね)


フィッシャーマンズ・リング

教皇が亡くなったときに指輪を破壊するのは、指輪が悪用されないようにするためだそうです。指輪の破壊は教皇の死が正式に確認された後、教皇選挙会議が招集される前に行われます。

ちなみに「フィッシャーマンズ・リング」を特別なハンマーで壊す様子は、映画『天使と悪魔』(ダン・ブラウン原作)の冒頭に出てきます。
『天使と悪魔』も教皇が亡くなったところから始まります。


羊飼いの胸十字架

フランシスコ教皇がつけていた鉄の十字架にも今さらながら注目が集まっていますが、同じ十字架をつけている枢機卿もいます。

これは、胸の前でXのポーズを取っているわけではなくて、下の写真のように羊を背負っているんです。その後ろにもたくさんの羊がいます。

これは、マタイ福音18章、ルカ福音15章に書かれたイエスの「迷いでた一匹の羊」のたとえ話がモチーフになっています。

「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

つまり羊飼いの十字架に表されているのは、「残りの99匹の羊のために、迷った1匹を決して見捨てない」ということなんです。

ここで言われている羊とはキリスト教徒のことであり、非キリスト教徒のことでもあります。
人間は、大勢のために個(1人)が犠牲になるのはやむなしと考える傾向があると思います。1人を見捨て99人を救うのが人間。ですが神は、99人も1人も助けるということなんですね。
(「誰ひとり取り残さない」というのと似てますが(苦笑)


バイデンお爺ちゃんが2021年にバチカンを訪問した時、お爺ちゃんが話している間、教皇は何度も十字架を握っていたのを覚えています。
教皇は心を落ち着かせようとされているのかな?と思いましたが、「この人(バイデン)を救わなきゃいけない」と思っていたのかな。



フランシスコ教皇の墓

現在、フランシスコ教皇の胸十字架のレプリカが、彼が埋葬されるローマのサンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂(聖マリア大聖堂)内の「Franciscus」の銘のみが刻まれた簡素な墓に掲げられています。

棺もフランシスコ教皇の希望で木製の簡素なものになっています。見た目もコンパクト(狭そう)です。

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サンタ・マリア ・ マッジョーレに埋葬されるのは、以前からフランシスコ教皇本人の希望でした。教皇がバチカン以外に埋葬されるのは、100年以上なかったそうです。

サンタ・マリア ・ マッジョーレは、偉大なる聖母マリアという意味で、古代ローマの大地母神キュベレの神殿があった場所に築かれたそうです。


サンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂

サンタ・マリア ・ マッジョーレには「雪の聖母」という伝説があります。

(4世紀半ば)相続人がいなかったローマの貴族ヨハネと彼の妻は、彼らの財産を聖母マリアに寄付することを誓いました。彼らは、彼女が彼女に敬意を表して自分たちの財産をどのように処分すべきかを彼らに知らせることができるように祈りました。
ローマの夏の真っ只中、8月5日、エスクイリーノの丘の頂上で夜の間に雪が降りました。彼らが同じ夜に見た聖母マリアのビジョンに従って、夫婦は雪に覆われたまさにその場所にマリアを称える大聖堂を建てました。

雪の聖母(1517年頃-1519年)、マティアス・グリューネヴァルト作


毎年8月5日には、奇跡的な降雪の物語を記念するミサの終わりに(雪の代わりに)白いバラの花びらが天井から降り注ぐそうです。同じ日の日没時には、大聖堂に面した広場で人工的な「降雪」が見られるとか。

フランシスコ教皇は、サンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂が枢機卿時代からのお気に入りで、今月4月12日の午後もサンタ・マリア・マジョーレを訪れ、祈りを捧げられていたそうです。(亡くなる9日前!)

公開された「Franciscus」の銘のみが刻まれた簡素な墓


【フランシスコ教皇の遺言】
主が、私を愛し、私のために祈り続けるすべての人々に、ふさわしい報酬を与えてくださいますように。私の人生の最後の部分を特徴づけた苦しみを、世界の平和と人々の間の友愛のために、主に捧げます。


逆さ十字=聖ペテロ十字

そういえば、現在は一般弔問のためにサン・ピエトロ大聖堂に移されているフランシスコ教皇の棺が逆さ十字の扉の前に置かれているので「悪魔崇拝だ」というデマが流れています。

聖ペテロ十字

逆さ十字=聖ペテロ十字は、ペテロが迫害に遭い十字架にかけられた際に「自分はイエスと同じように(頭が上で)処刑されるに値しない」として、十字架を逆さまにしてほしいと要求したことにちなんでいると言われています。

古代の歴史家ヨセフスは、ローマの兵士が犯罪者をさまざまな姿勢で磔にして楽しんでいたことを記述しています。

ペトロの弟アンデレは、サルタイア(斜め十字架、アンドレ十字)に架けられました。
シンボリスム的解釈では、十字(架)が太陽の象徴であるのに対し、斜め十字(架)は月の象徴です。

サン・ピエトロ大聖堂は、もともとペテロの墓所と言われる場所に建てられたピエトロ=ペテロに捧げられた教会なので、逆さ十字がないほうがおかしいんです。
ちなみに上の写真に写っている階段を下りると、ペテロの墓所があります。

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ペテロの墓所については以下の記事に書きました。
後半は有料ですがよかったらご覧ください。


イエスのように

復活祭前の聖週間では、イエスの最後の晩餐に当たる聖木曜日にイエスが弟子たちの足を洗った話が好きです。
聖木曜日はイエスに倣って聖職者たちが12人の信者の足を洗うのですが、フランシスコ教皇は毎年受刑者の足を洗っていました。


2013年にフランシスコ教皇は、ローマのカサル・デル・マルモ少年院で「洗足式」を行ないました。ローマ教皇が少年院で行ったのは史上初めてであり、洗足の対象に女性や異教徒が選ばれたのも史上初だったそうです。

この「足を洗う」という行為は、ヨハネによる福音書(13:1-20)におけるイエスに倣う所作である。
「古代ユダヤ社会では、主人の足を洗うのは奴隷の仕事」であり、「イエスは奴隷の仕事を引き受け、弟子たちの足を洗う。足を洗うことは、この世の罪のために十字架で死ぬという、これから行う偉大な犠牲的行為の象徴」と考えられている。

イエズス会出身ということで、関りがない人たちに敵視されることも多かったでしょうが、教皇に相応しい星配置で生まれた方だったと思います。

私は全部賛成はできないけれど、取り組まれた改革は評価に値すると思いますし、アッシジのフランチェスコのように、さらにはイエス・キリストの代理人として立派に務められたと思います。



イスラエルをテロリストと批判

バチカンは、2013年2月にパレスチナを正式に国家として承認していました。

フランシスコ教皇は、2014年5月にイスラエルとパレスチナ自治区を訪問し、イスラエルとパレスチナ人の間の和平を繰り返し呼びかけていましたが、その願いは叶えられませんでした。

ご存知のように2023年10月7日にハマス主導のイスラエル攻撃が起きて、現在はイスラエルによるガザ住民に対する民族浄化に発展しています。



ガザのキリスト教徒たちに2023年10月からほぼ毎日テレビ電話していた教皇


フランシスコ教皇は、ガザ戦争におけるイスラエルの行動も批判しました。
イスラエルの空爆を「残酷さ、これは戦争ではない」と言われたのはニュースにもなりましたね。
2024年11月には、イスラエルの軍事作戦がパレスチナ人のジェノサイドであるかどうかを国際社会が調査すべきだと提案していました。

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私はこれらが教皇の死期を早めたのだろうと思います。
今年2月14日に入院され、バチカンが最初の「危篤」を発表したのは2月23日でした。次に容態が悪化したのが2月28日頃(新月)だったんですが、この時の星配置は教皇にとって大変厳しいものでした。

3月17日に危機を脱したとして23日に退院されたのには驚きましたが、一大イベントである復活祭に備えるためでした。

金色のネクタイが気になる

【教皇死後のイスラエルの反応】
イスラエルは、フランシスコ教皇の訃報に対し以下の短い哀悼メッセージをポストしましたが、すぐに削除されました。おそらく内部から反対があったのでしょう。

実はこの時、教皇は「嘆きの壁」に自筆の祈りのメッセージを書いた紙を当てて祈っていたそうです。
イスラエルとしては、教皇に直接手を当てさせたかったんじゃないでしょうかね。壁に手を当てるとイスラエルに取り込まれるとか。知らんけど(笑)

教皇の葬儀は4月26日に行われます。
イスラエルのアイザック・ヘルツォーク大統領、ネタニヤフ首相は、フランシスコ教皇の葬儀には出席せず、イスラエル大使だけが式典に出席すると発表されています。


なぜか古代亀

鍵職人さんの考察記事にも出てきた亀。
上の画像は数日前にXで拾ったものですが、古代亀の頭にミトラ(教皇冠)が乗っています。よくわからないですが、ゲームに出て来る亀なのかな。


マラキ予言

全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言

実際には1590年に作成された偽書と見なすのがほぼ定説となっており、その立場からは「偽マラキの予言」と呼ばれることもある。

マラキ予言の「最後の教皇」についての二文
「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう」
「ローマびとペトロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」

*****


ローマびとペトロに当てはまるのが、現在バチカンの国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿です。


しかし、私がダークホースじゃないかと思っている、ピエールバッティスタ・ピザバラPierbattista Pizzaballa枢機卿は、2020年11月6日からエルサレムのラテン総主教を務めているイタリア人です。
誕生日は1965年4月21日(ローマ建国記念日)で、父親の名はピエトロ。

2023年9月30日にフランシスコ教皇にによって枢機卿に任命されたばかりですが、フランシスコ教皇の同調者として知られています。
(親パレスチナの枢機卿なので、イスラエルを正当化したい組織から敬遠されそう・・・・)

ピエールバッティスタ・ピザバラ
ビザハラの紋章

2023年10月16日、ピザバラはハマスの行動を野蛮と非難し、ガザ戦争中にガザに捕らえられたイスラエルの子供たちと引き換えに、自分を人質として差し出した。
彼は、ガザ戦争とイスラエルによるパレスチナ占領の終結を提唱してきた。ピザバラは、民間人への攻撃を非難し、緊張緩和を求め、ガザに入るための人道支援を呼びかけた「ガザにおける人道危機のエスカレーションに関する声明」の署名者だった。彼の発言は、イスラエルのエリ・コーエン外務大臣によって批判された。

wikipedia


ノストラダムス予言

有名なノストラダムスによれば最後のローマ教皇は、「黒い教皇」になるということでした。
これは比喩的な表現で、黒い祭服を着ていたイエズス会を指しているという見方と、非ヨーロッパ人(白人ではない)の教皇を指しているとも言われています。

非白人の有力候補と言われているのは、WEFに参加しているお二人。
左の方はガーナ出身のピーター・タークソン枢機卿。(ピーターもペテロと同じです)
右はフィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿。

若い人に結構人気があるのがギニアのロバート・サラ枢機卿です。


さあてどうなりますかね。
コンクラーベは、2025年5月6日から11日の間にシスティーナ礼拝堂で開催されます。総選挙人数は 135人だそうです。

2025年教皇コンクラーベ - Wikipedia(英語版)

システィーナ礼拝堂での投票が終わるたびに、投票用紙は特別なかまどで燃やされて結果が外部に示されます。
教皇が選ばれなかった場合、投票用紙は過塩素酸カリウム、アントラセン(コールタールの成分)、硫黄を含むカートリッジと混合され、黒煙が発生します。
勝者がいる場合、燃えている投票用紙は塩素酸カリウム、乳糖、クロロホルム樹脂と混合されて白い煙が発生します。
鐘も鳴らされ、新しい教皇がいることをさらに知らせます。

今日はこのへんで。
最後までお読みくださりありがとうございました。

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