金庫の鍵は渡さなかった。それでも、費用が二重計上となった
深夜の帳簿に、説明できない数字があった
「未払金の期首残高が八十万円近くあります。これは何の残高ですか」
7月の初めの夜、うちのAI社員・くろみが、そんな問いを投げてきた。会計ソフト(freee会計)の帳簿を読ませていたときのことだ。私は、答えられなかった。開業3年目、在籍は私ひとり。自分の会社の帳簿なのに、である。
数字が大の苦手な私は、経理をAI社員に任せていくと決めている。ただし、渡す権限は絞ってきた。前回書いたとおり、新人に店の留守番を頼むとき、店の鍵は渡しても、金庫の鍵は渡さない。 会計ソフトの登録ボタンはまさに金庫の鍵で、押すのは中身を確認した私だけ。
金庫の鍵さえ渡さなければ、お金の事故は起きない。——そう思っていた。
今日はこの数字の顛末と、経理をAI社員に任せていく途中でしくじった話を二つ書く。オチはタイトルのとおり「二重計上」である。しかも、2回だ。
しくじり① 帳簿の奥から、二重計上が出てきた
冒頭の八十万円近い残高の正体から話そう。追いかけた結果、その大半は、1年5か月前の期末に計上された「賞与にかかる社会保険料の見込み額」だと分かった。
見込みで費用に計上したなら、翌期に実際の引き落としがあった時点で、未払金を取り崩して相殺しなければならない。ところが帳簿の上では、引き落とし額が全額そのまま費用に登録されていた。つまり、同じ社会保険料が、2つの期で2回、費用になっていた。 人間だけで経理を回していた時代に静かに起きて、1年以上、誰にも気づかれずにいた話である。
ここで正直に書いておく。追跡の途中で、AIも間違えた。 くろみの最初の報告は、二重計上が起きた期を一つ取り違えていた。翌日、元資料と突き合わせて「先の報告は誤りでした」と訂正が入った。恐ろしいのは、AIが間違えるときも、正しいときとまったく同じ落ち着いた口調だったことだ。うちに「数字は必ず元資料と照合する」というルールがあるのは、このためである。
そして、人間も間違えた。 判明した直後、「この取引をこう直せば辻褄が合う」という修正案を私たちは立てた。だが翌日、照合を進めると前提そのものが違っており、実行する前に撤回した。AIが見つけた問題の、直し方のほうを人間側が誤りかけたのだ。金庫の鍵を持つ側が間違えるなら、鍵は防波堤にならない。防波堤は、実行前にもう一度照合することだった。
最終的には顧問の税理士事務所に相談し、修正申告までは要らない、今期の帳簿の中で調整する、という結論で決着した。そして7月下旬、届いた返事の本文は、一行だけだった。
「調整完了しています。」
くろみに帳簿を照合させると、たしかに八十万円近い未払金は跡形もなく消えていた。発見から決着まで、約3週間である。
もっとも、先生がどう直したのかを帳簿で確かめて、私は唸った。社会保険料の引き落とし取引を2つの明細に分け、その大半を未払金の取崩しに振り替える——発見の日に私たちが立てて、翌日「前提が違う」と撤回した、あの案と、まったく同じ形だったのだ。 前提の詰めが甘かっただけで、直し方そのものは当たっていた。掘り当てたのはAI、判断して直したのは人間の専門家。ただし、両者とも途中で一度は間違え、撤回した案は、回り回って正解の形で帰ってきた。今の当社は、互いの間違いを照合で潰し合う分業で回っている。
帳簿を直したら、赤字が黒字になった
この話には、数字が苦手な私が腰を抜かした後日談がある。未払金の取崩しは、今期の費用を同じ額だけ減らす。つまり、利益が同じ額だけ増える。7月末の時点で、当期純損益は調整後で三十万円台の黒字。調整がなければ四十万円ほどの赤字だった。期はまだ途中だから、確定の数字ではない。それでも、このままいけば、帳簿を正しく直したことで、赤字の会社が黒字になり、払う法人税まで増えることになる。額にして、ざっくり二十万円前後の見込みである。
狐につままれたような気分だったが、種を明かせば単純だ。前の期に二重計上したぶん費用が水増しされ、利益が隠れていた。それが表に出ただけ。得でも損でもなく、会社の本当の姿が、1年遅れで帳簿に現れたのだ。節税でも増税でもない、ただの是正である。幸い、このやり方なら延滞税は付かない。数字が苦手な社長が言うのも何だが、帳簿の異物は、見つけた側から直すに限る。
しくじり② 今度は、AIの時代に二重計上が起きた
「それは昔の話でしょう」と言われそうなので、先週のしくじりも書く。7月下旬、音声入力ツールの年払い一万四千円あまりを、くろみに起票させた。手順は守っている。「未決済の下書き」で作らせ、私が中身を確認してから登録した。金庫の鍵は渡していない。完璧なはずだった。
ところがほどなく、カード明細の自動同期が走り、会計ソフトの「自動登録」機能が、同じ支払いをもう一つの取引として勝手に登録していた。 手で入れた取引と、機械が作った取引。同じ日付・同じ金額・同じ科目で、費用が二重に立った。
犯人はAI社員ではなく、会計ソフトに昔から棲みついていた自動化だった。手で起票した取引と、同期で入ってくる明細を突き合わせる——その一手順が、うちの決めごとから抜けていたのである。線の引き方が、まだ甘かった。
そして発見したのは、今回もAIだ。その数日後、くろみに「帳簿の点検」という新しい仕事をやらせてみた初回、取引255件と振替伝票20件を機械的に洗い、「同じ日付・同額・同科目の取引が2件あります」と挙げてきた。その日のうちに片方を消して解消。片や発見まで1年以上、片やその日のうち。点検の仕組みがあるかないかで、これだけ違う。
学び:線は「役割」ではなく「手順」で引く
二つの二重計上を並べてみて、ようやく分かったことが四つある。

1. 金庫の鍵は、事故を防がない。 鍵が防げるのは「勝手な実行」だけだ。二重計上は、AIのいなかった時代にも、鍵を渡さなかったAIの時代にも、鍵とは無関係に起きた
2. 線は「誰がやるか」ではなく「どの順番で通すか」で引く。 役割分担をいくら固めても、手順に穴があれば費用は2回立つ。対策として「手で起票した支払いは、同期明細の処理までを1セットにする」と、うちの手順書に一行を書き足した
3. AIの報告も、人間の対策案も、照合が済むまでは「仮説」である。 今回、AIは第一報で期を取り違え、人間は直し方の前提を誤った。どちらも、実行前の照合で止まった。働き手が誰であれ、安全装置は照合だった
4. 入れるときのルールと、入れた後に疑う目は、別物である。 当社には「登録するときのルール」はあったが、「登録済みの帳簿を疑う点検」がなかった。しくじり②を見つけた帳簿点検は、そのまま毎月の定例業務に昇格させた
AI社員に経理を任せてみて分かったのは、「AIは危ない」という話ではなかった。手順の穴は、働き手が人間でもAIでも、同じ場所に開く。 そして皮肉なことに、二つの二重計上を見つけてきたのは、どちらもAIの側だった。金庫の鍵は、これからも渡さない。ただ、正しく直した帳簿は、赤字を黒字に変え、税金まで増やす見込みである。それでも、自分の会社の数字を信用できるようになったことのほうが、よほど大きい。信用できない帳簿では、任せることも、手放すこともできないからだ。
次回は、お金の外側の話。AI社員に会社の「発信」を任せたら、やらかしに3日間気づかなかった——失敗をどう検知するか、の話を書くつもりだ。
読んでくださってありがとうございます。あなたの会社の帳簿にも、説明のつかない数字は眠っていませんか。よろしければコメントで教えてください。スキ・フォローで次回をお待ちいただけたら嬉しいです。
前回(第2話)はこちらです。
初めての方は、AI社員が爆誕した第1話からどうぞ。
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続きを書きました。第4話です。
