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【1万字】会計士、稲浪翼について全部書きます【人生を振り返る・自己紹介】2026.6.30更新


私、稲浪(いななみ)というんですが、32歳の、おっさんになりかけの人間です。割と謎な人生を送っています。誰がおっさんの人生なんか見たいんだとも思いましたが、頑張って書いたので良かったら見ていってください。

有料記事にしていますが、一番下の部分に設定しています。実質的に無料で読めると思います。応援いただける方は、おひねり的にご購入いただければと。

ではどうぞ。

概要

稲浪(いななみ)について

・1994年埼玉県狭山市生まれ 30年ほど狭山市で過ごし、その後東京へ

・一人っ子
・自営業の家系
・公認会計士、税理士

今回以外の自己紹介記事はこちらから👇


趣味

・将棋
→中学~大学の10年間は将棋部でした。

・食事
→ラーメン、寿司など


・カメラ
・博物館めぐり
→外に出て歩かないと体力がなくなって困るという実用的な意味合いから。

幼少期

幼少期はぽつぽつと覚えていることがあります。幼稚園とかプールとかですね。いろいろな場所に連れて行ってもらったらしいです。
水族館とかよく行っていたのに、あまり連れて行ってもらってないと発言したことがあって親がショックに思っていたらしい。

幼稚園は武蔵野短期大学付属幼稚園(埼玉県狭山市)

昔から一人で遊んでいるのが多く、ブロックを積み上げて遊んでいたらしい。一人で動くことの片りんはここから。
割とあちこち歩き回っていたようです。

小学校

小学校低学年

ギリギリ都内の私立の小学校。

小学校だけ共学で中学or高校くらいから女子だけが行けるような学校だったはず。必然的に女子がやや多かった記憶あり。

いじめを受けました。よくある、持ち物をなくされたり悪口を言われたりとか。
私自身はつらいとはあまり言わなかったはずですが(というか、ぼーっとしたおっとりした子だった)、継続的ないじめがあって幼少ながら限界がきて転校することに。


小学校3年

小学校3年の時に公立の所沢小学校(埼玉県所沢市)に転校。

https://tokorozawa-e.edumap.jp/


通常であれば、地元の公立小学校に行くべきところ、教育委員会に掛け合って親の母校&親の仕事の都合&特殊事情でこっちがいいと、公立でありながら地域外から通うことを許可されました。母親がかなり頑張ってくれたらしい。


小学3年生の担任のI先生が、「いじめは絶対に許さない」と強く言ってくれたこともあり、あと校風が結構オープンな感じで割と肌に合っていたこともあり、転校後はいじめられることもなく、すくすくと成長。

公立でありながら狭山市→所沢への電車通学(母親同伴)でした。

給食がとてもおいしかった記憶あり。クロワッサンが好きでした。

小学校4年生~小学校6年生

サピックスの練馬校に通うように。少しでも勉強の時間を増やすべく、行き帰りの電車の中で親と小テスト対策をしていたらしい。かすかに記憶あり。



帰りは、乗り換え駅の立ち食いそばで、頻繁に食べていました。

狭山そば

その結果もあり算数を中心にメキメキと成長。小学校の授業は基本的に復習みたいになるため、テストはほぼ100点で当時は楽勝でした。

お茶を水筒に入れて毎日持って行ったことと、頭が(相対的に)良かったこと、眼鏡をかけていたことなどから「おちゃのみず博士(お茶の水博士・お茶飲み~)」と呼ばれていましたね。

女子の御三家に行った子と競り合っていた記憶。100マス計算とか。

そこまで上手ではないがピアノ経験あり、音楽委員会に所属、音楽祭の時は司会をした記憶あり。

部活はコンピュータ部で部長を経験。このあたりの責任者経験から、今後もなんとなく色々な責任者経験を積むことに。

小学校→塾→帰宅で結構忙しい日常を送っていました。

一方で、休みの日は、時々、昭和記念公園・森林公園など(詳細不明)に連れて行ってもらってサイクリングをした記憶あり。車の後部座席に自転車を積んで持って行ったはず。

小学6年生の受験の年に、祖父(母の父)がガンで死亡。父家系(父の父)とは疎遠ということもあり、私としては親戚づきあいがあまりないというのが気がかりでした。かっこいいおじいちゃんになりたい(あるいは老後は孫と触れ合いたい的な)、という願望はこのあたりからかも。

祖父は大工の棟梁でした。駅前の一帯の開発に関わったらしい。

やや年長の従姉妹と仲良くしていた経験あり。私のほうがいろいろ知っていたこともあって、中学行ってからも何かと相談に乗っていた経験あり。

会計士の萌芽

サピックスで新聞を読んだり授業を聞いたりしていろいろ勉強していると、幼少ながら、いろいろと知ってきます。その時に思っていたのは、社会の人口ピラミッドの勉強をしていた時の話で、将来的に日本の人口が減っていくことを知りました。その時に、普通のサラリーマンの人生では多分うまくいかないだろうというのを思い、自分の力で生きていく(≒手に職をつけるor専門職など)必要があると自覚しました。

具体的には、お茶の水博士の延長線上で、何か「先生」と呼ばれる仕事に就きたいというのは思っていました。
よく、新聞とかニュースで弁護士というのが話題に出ていたので、一時期は弁護士になるのもいいな(いつだったか国際弁護士とかもいいとか思っていたはず)とは考えていました。

しかし、弁護士のトラブルで刺されるだったか殺害されるだったか、そういったニュースがありまして、「弁護士って命が危ない仕事なんだ」と怖がりまして、ちょっと弁護士になるのはあきらめることに。

次点として大学の先生(≒大学教授)もいいなとかも思っていましたね。
当時は「士業」という言葉は知らなくても、なんとなく知識系の専門職に就きたいなというのは思っていたわけで、今と大きくは外れていないのかなと。


習い事について

名前を知った人から、(キャプテン翼の)サッカーはやらないのと、よく言われるのですが、適正が無いようです。幼少期はひとりで何かをやっているのが好きだったため、チームに混ざって活動するのいうのがダメだったらしい。
サッカーもやらせてみたが、初回で相性が悪い(というか独りぼっち的な)ことが判明し、以降やっていないです。

・習字
・そろばん
・くもん
・水泳

そのほか、スポットで行った抹茶教室(茶道?)がおいしかったのを覚えています。

中学校受験について

サピックスもランクが10個くらい(もっとあったかも)あって、一番うえがα1、次がα2みたいな感じです。

私の実力はα1↔α2を行ったり来たりで、ぎりぎり御三家が受かるかどうかというレベル感。ぱっと見は成績が良いようですが、私自身の頭の良しあしというよりも、親がどれだけ頑張って中学受験対策を一緒にやったか的なことにかかっているかと。
(実際、親の手が離れた中学以降は成績は下がっていきます)

中学受験直前になって、御三家からはひとつ偏差値グループを下げて、早慶を第一志望に。
慶応はお金持ちみたいなイメージがあって庶民目線ではどうなんでしょ、という親の考えから、慶応ではなく早稲田を受験することに。

①早稲田中学
②海城中学
③巣鴨中学
④立教新座中学
⑤西武文理中学

早稲田中学ではなく早稲田実業というプランもありましたが、たしか、私の謎のこだわりで外部の大学(=推薦ルートの早稲田大学以外に行ける)の道が残っているほうがいいんじゃないか、みたいなことを思った記憶あり。
なぜ当時そう思ったのかは不明。幼少期から謎のこだわりが発生するんですよね。謎に頑固でして親も困っていたらしいです。

結果としては、①~⑤で全部合格しまして、JR新大久保駅で、どこに行きたいか聞かれました。海城中学と迷ったのですが早稲田中学(@高田馬場/早稲田駅)に行きたいと。
たしか、中学受験がつらい≒もう勉強したくない≒推薦が楽そうという安直な考えから。こののち、この選択で苦労することに。
中学受験選びが最初の自我な気もしています。

中学校

たしか、トップ3だったか、かなりの上位で合格したこともあり、入学生代表をやった記憶あります。会計士受かるまでは、これが親の自慢だったらしい。

この後は、親が放任主義になったため、あまり勉強をしなくなった&英語が苦手なことから、ズルズルと成績は右肩下がりに。

当時、英語は中学校受験の科目に入っていなかったんです…。親も英語は得意ではなく、勉強法がわからないままずるずる学年だけ上がっていく感じでしたね。基礎からやり直すべきだったのに、定期テストの範囲だけ一生懸命やって、基礎ができていないからぼろ負けするみたいな感じです。多分、大学受験期でも中学校の範囲が完璧かというと微妙だったはず。

責任者について


誰もやる人がいない場合に、じゃあ仕方ないからやりますよ、みたいな感じで消極的に立候補するのが多かったです。

・学級委員長
・将棋部部長
・OB会幹事(学年代表) など経験しました。

趣味

・ポケモン 
→当時は厳選や乱数調整など、割と本格的にやっていました。
・将棋 
→アマチュアの初段になってからは、どちらかというと部活の運営の方に回ることが多かったですね。文化祭や合宿、部誌づくりなど。
対局するときはもちろん1対1でして、当時から複数人の中に混ざってというのがあまり得意ではなかった気がしています。

高校

早稲田は中高一貫校のため、高校受験はありません。また、男子校のため、割とのびのび6年間過ごした記憶あります。

東日本大震災について

高校2年で将棋部の部長をやっていた時だと思うのですが、地震がありました。確か、春休みの部活が終わった直後くらいの記憶あり。
当時は電車が止まっていたたため、学校に一泊しました。
大教室に皆が集まって、乾パンと水が配布されたような。大型スクリーンにニュースが流れていました。学校にいた生徒の人数が少なかったのは不幸中の幸いだったのかも。揺れは大きかったですが、埼玉・東京ということもあり家族、私ともに被害は僅少。その後の、電力制限(計画停電)や物資の買い占めのほうが影響が大きかったかも。

推薦について

当時の成績は、300人中150位くらいだったはず
英語がね…比重が他の倍あったんですよね。数学とかは相変わらずできて、微分の定期テストは満点だったんですが、英語がぎりぎり赤点を回避するくらいしかできず、苦戦することに。

イメージで言うと以下の通り(○は配点)
文系ながら
数学①…とてもよくできた
国語①…平均~ややできた程度
社会①…平均点
英語②…ぎりぎり赤点回避

割と見落としがちな早稲田高校の推薦事情としては、生徒の半分くらいしか早稲田大学に推薦で行けないんですよね。早実はほぼ100%だったはず。

で、平均的な成績をとっていた稲浪君はどうなったかというと、希望していた政治経済学部や商学部は行けず、先生に「社会学部」だったら枠があるよと言われました。
何やるかピンと来ていなかった私は、この推薦を蹴ってしまいました。このあたりが謎の頑固さというかポンコツポイントでして、社会学部に入って簿記・会計士の勉強すればよかったのにね、と今は思っています。


経済状況について

家のローンの支払いが15万くらいあって、当時の稲浪家としてはかなり大変な感じでした。バブルの時に買った、割高・高金利な家だったんです。

うちの建物の登記簿とってもらえばわかるかもですが、4000万くらいの家をローン借りて利息込みで5000万くらいだったはず。狭山市の駅から比較的遠い当時の一軒家としては割高でしたね。
今、不動産の値段も上がっていますが、バブルの時も結構高かったんです。

返済期間を延長してもらえばと親に言った記憶があるのですが、借り換えをするのにも頭金(?)的なものが必要らしくて、できないとのことらしかった。いまさらながら、もっとうまいやり方もあった気がしますが。

父が一般的なサラリーマンの旅客運送業に転職しまして、詳細不明なものの収入は額面で30万もなかったのでは。

とはいえ、大学生か税理士法人時代だったか、住宅ローンは何とか完済しまして、親はほっとした様子でした。

大学

実は1浪しています。行きたいところに合格できなくて。
(この辺も頑固というか高望みというか)

結局は立教大学に行きました。ほとんど予備校に行かずに大学に合格しているのは、親とすると「意外にやるじゃん」と思っていたらしい。中学受験の残滓があった感じです。

住めば都と言いますか、立教大学の穏やかな感じというか、割と緑がある感じが性格に合いまして、のびのびと過ごせました。

相変わらず将棋部に入り、こちらでも部長をやることに。
1個上か2個上にプロ棋士の「高見泰地七段」がいらっしゃいます。

一方で、中学高校関係者とは疎遠になっていたこともあり、稲浪君は今は何をしているんだみたいなのは継続的に噂になっていたらしいです。気まずいので、会計士になるまではなかなか顔を出せず…。文化祭(興風祭)に顔を出したのは会計士登録後の2025年秋となりました(詳細は後ほど)。

ゼミナールについて

ゼミは統計学の櫻本ゼミナールに入りました。なんとなく将来に活きそうだなという浅い考えから。経済系の本格的なゼミはちょっと合わなそうだなと思いまして、比較的若い先生のゼミに入りました。

こちらも結構過ごしやすく、統計学のコンクールにも参加させていただきました。
Gセンサスという統計のツールを使ってパワーポイントして提出する形式のものです。

祖母の体調のこともあり、ちょっと健康に興味があったということで、健康関連がいいよね、とチームの皆と話し合い、👆のテーマにしました。

ありがたいことに2016年には優秀賞をいただきまして、今でも賞状は手元にあります。

プレゼンの記事はこちら👇

私(父もですが)の傾向として、進捗度0~7割くらいまでに適性があって、残りを詰めるのがやや苦手です。ですので、大枠及びざっくりした資料作りを私が担当して、他メンバーにはレビューやデザイン面で頑張ってもらいました。このやり方が割とうまくいってまして、今後もこの成功体験を活かしています。

塾講師について

国大セミナーという少人数制の塾で4年ほどアルバイトで働いていました。メインは算数・数学で、時々国語です。

教えるのは好きなのですが、話を聞いてくれなかったり、疲れで眠ってしまうような子がいて教えるのは大変でしたね。
とはいえ、成績が上がることが多く、給料分は仕事をしたと思っています。

成績・奨学金について

奨学金で大学からいただく奨学金(貸与ではなくてもらえるほう)や第1種奨学金を受けるために、成績は落とせないなと思っていました。
割とまじめに授業を受けていまして、成績は良かったです。
大学受験の英語は苦手だったのですが、大学の授業の英語は好きでしたね。創意工夫がOKというか、ペーパーでない部分でカバーできたというか。
結果的に英語はすべてS(最高評価)でしたので、不思議です。

その結果、卒業時には会計ファイナンス学科で、成績優秀賞(トップ3?)をいただきました。
会計士の勉強をしているのだから、そりゃそうだよねとも思います。ちょっとズルですよね。

会計士を目指した理由

高校3年~大学1年にかけて、会計士という職業を知って大学1年から簿記の勉強を始めました。

前述したとおり、自分の力で生きていきたいという思いがありまして、
数字を使ったり分析ができるような職業がいいなという思いから、会計士や税理士方面を模索します。その中で、一番活躍の幅が広いのは会計士と思い、目指すことになりました。

祖母の家の売却

祖父が亡くなった後、祖母が一人暮らししていた家がありまして、高齢に伴い施設に入るということで、家を売ることになりました。

最初、近隣であることから所沢の若い税理士にお世話になろうという話が合ったのですが、上から目線というかエリートみたいな感じがあって、親の心象が悪く、避けることに。お客さん目線では、こういう感じの税理士はうまくいかないんだろうなというのは思った次第。

次に、何かの紹介で、埼玉県飯能市の税理士にお世話になることに。直接的に税理士の仕事を見たのはこれが初めて。
自分の勉強の延長線上にこういった感じの仕事があるのね、というイメージがつきました。
とはいえ、おじいちゃん税理士であって、書類を間違えていたこともあり、大丈夫かな…と思ったのは内緒。

会計士浪人時代/税理士法人時代


日商簿記1級まで取れたら会計士の勉強を始めようと思っていたのですがなかなか合格できずにそのまま卒業…。将棋部に入り浸っていた&塾講師のアルバイトが面白かったこともあって、なかなか合格できずに卒業してしまいました。もちろん就活はしておらず。

実家暮らしだったものの、生活費と予備校代は稼がないといけないため、都内の税理士法人で働くことになりました。卒業の年だったかその翌年からですね。
仕事をしながら会計士の勉強をしていました。
働きながら合格したことを皆さんに褒めてもらえるのですが、そんなに偉いわけではなく、勉強時間で単純にゴリ押して合格しただけの人間です。
もっと効率よく勉強して大学の時に合格している人がいるわけで、彼らのほうが立派だと思います。
また、直前期は稼働を調整してもらえましたし、思ったよりは楽でした。むしろ、仕事の後に授業は眠くてつらかったですね。対面の講義というよりも倍速で録画の授業を聞くのが私にはあっていたようです。


ちょうど、コロナの時(2020年頃)でして、どっちでもよかったはず。

コロナについて

一時期はやっているときには稲浪家は無事でした。ちょっと落ち着いてきた2024年とか2025年とかにかかりました。
思ったのは、リモートができる仕事というのはそれだけで強いというのを実感しましたね。何か起きても現場に行かないと成り立たない職業がある一方、会計業界のようにリモートで仕事ができるというのは隠れたメリットと思いました。

監査法人時代

監査法人選び

大手法人を選んでもよかったのですが、あえて中堅の監査法人アヴァンティアに行きました。

私なりに考えがありまして
・合格するのが遅かったため、早く一人前になりたかった。
→ちょうどいい規模感のクライアントのため、早く全体像を把握できた

・副業がOK、働き方が柔軟であること

・中堅監査法人の中では先進的であったこと

詳細はこちらの記事にまとめていますので、良かったらご覧ください。


新人の立ち振る舞い

・上司は忙しいという前提のもと、チャットのリアクションだけで完結できるようにした 
例:●●しますがよろしいでしょうか?→「いいね」マークなど
・自分の意見(+理由)を考えてから相談する
・一つ上の階層になったつもりで仕事をする
・勉強をする

税理士法人時代の経験は活きたのか?

資料の読み方や、1年間の流れ、事務作業のやり方、会計ソフトの使い方など、細かいところでメリットがありました。自分だけ数年早く経験しているというのは、下駄をはかせてもらっているようで、相対的に優秀と思ってもらっていたようです。
精神的には楽でした。

現場責任者について

守秘義務的に詳細は書けないのですが、前任者の都合でいきなり現場責任者(チームリーダー)を任されることとなりました。

大変でしたね…
板挟みがね。

いろいろと孤軍奮闘していたのですが、結局は適応障害になりまして、ちょっと外してくれと。不眠とか食欲不振とか結構ありまして、メンタルクリニックに行って、「デエビゴ」という不眠症治療薬を処方されました。今も頻度は落ちましたが時々飲んでいます。

まあ、チーム運営や監査の全体像は学べましたし、いい経験になりました。

引越しについて

実家≒会計事務所が埼玉県狭山市にありまして、駅から徒歩20分くらいの距離のため、現場までは1.5時間以上かかることも多かったです。
現場責任者になるにあってさすがに厳しいよねとして、中野に引っ越すことにしました。
さらに引っ越すので言ってしまうと、西武新宿線の新井薬師前駅が最寄りとなります。狭山市と都内方面(新宿or池袋)への両方のアクセスを考えた結果です。

初めての一人暮らしのため、奮発して高いところに行きました。

気にしたのは
・とにかく【防音】→RC希望
・駅近く
・できれば西武新宿線沿線
・できれば各駅停車の駅


その結果、管理費込みで家賃が12万くらいとなり、生活費を圧迫していきます。

後悔はしていませんが、高かったなという意味で失敗でしたね。
(交通アクセスを考えるとこの立地で正解ではありました)

名乗りについて

割とよくある誤解なのですが、会計士試験に合格しても会計士とは名乗れないんです。「公認会計士試験合格者」というのが正式名称らしいです。登録までは良い肩書がなくて歯がゆい思いをしていました。

会計士のメリット

・遠隔地でも(リモートできること)OKなこと
→体調がやや芳しくない場合でも仕事ができるときには、リモート勤務が可能というのは大きいと思っています。あるいはコロナの時のように、ああいった場合でもリモートはできますし。

・独立してしまえば、定年がないこと(高齢になってもできる)
・私個人としてはこれも大きいと思うのですが、最悪足が不自由になってベットの上の住人になっても、脳みそが動けばほぼ変わらずに仕事ができるというのは大きいと思っています。
・残業の単価が高いこと

会計士のデメリット


・監査法人は福利厚生がほとんどない
・激務
・激務でない期間でも、精神的に削られる時間が多い
・一生勉強


会計士登録

そうこうしているうちに、2025年夏に会計士登録が完了しました。

やっと会計士として名乗ることができ、ほっとしたのを覚えています。

【文化祭(興風祭)】2025.秋
会計士登録が終わって、正式に会計士と名乗れるようになったため、母校に行くことにしました。大学からはなかなか気まずくてね。

将棋部の同期と再会しまして、将棋部を中心に学校を回りました。彼は彼で大学卒業後に苦労していたようで、転職するとのこと。(詳細は伏せますが私の同業とだけ)
そうこうしているうちに恩師と再会。

恩師はぎりぎり在籍 地学のI先生、国語のM先生(いずれもクラス担任経験あり)とは会えました。ひそかに、稲浪君が行方不明(音信不通)みたいになっていたらしくて、何しているんだろうねと何回か噂になっていたらしい。
I先生は校門のところでお会いしまして、びっくりされていた様子。とはいえ、元気そうでよかったとも。名刺はお渡しました。

なお、高校3年クラス担任のT先生(日本史)とはOB会で再開できました。元気そうで何より。

独立に向けての準備 (試験合格~登録前)

J1(会計士試験合格直後)~数年間について書いていきます。

①副業
副業ができることを活かして、ココナラで簿記を教えていました。社長さんが時々いらっしゃっていて、人生相談のようなことも提供していました。
コンサルをするときの土台になりました。
また、開業直後から何かしらの実績があるのはメリットだと思いましてやっていました。

②準会員会
大手の同期とのつながりが欲しかったため、若手会計士=試験合格者の集まり(準会員会)に参加していました。

ここで、財務担当や財務委員長を歴任し、簡易的な内部統制を経験したのが良かったです。
今でも、彼らとはつながりがあり、お仕事をもらったりしています。

独立に向けての準備(登録前後~)


会計士登録前後は、「会計事務所開業日記」にまとめていますので、そちらをご覧ください。


HPも作りました


稲浪つばさ会計事務所開業~

今は、監査法人と会計事務所の両方で働いています。かなりタイムスケジュールがタイトになるのが大変ですね。

また、会計事務所開業には初期投資100~200万円と、維持費として年間100万円ほど(会計ソフト、税務ソフト、税賠保険、税理士会諸会費など)かかりますので、初期は大変です。
固定費的にかかりますので、ここの回収をどう突破するかで収支が楽になるかが決まると思います。
私は会計事務所の稼働が低かったこともあるのですが、資金繰りを考えてから独立することを強くお勧めします。
家賃が安いところに引っ越すのもありですね。

未来に向けて

種まきについて

売上を上げるための営業がとにかく大変なので、ゼロイチを早く突破できるよう、あらかじめ種まきしておくのがおすすめです。

私は割とコミュ障・人見知りなところがあるので、荒療治ですが、3か月で40回ほど交流会に参加しました。話せないと仕事にならないと思いまして。
その結果、人並みには話せるようになりましたので効果はあったかと。
関連する記事はこちらです。よかったらどうぞ👇

https://note.com/boston_boki_uni/n/n0c7869561438


また、いっしょにやっていこうよ(税理士法人化)と言ってくれている先輩もいて、ちょっと悩んでいます。
いろいろと模索しているところです。私の理想に合う方策は何か、毎日考えています。土日の休みはなくなりましたね。



さいごに

ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございました。1万文字の記事になりました。
今後とも精進してまいりますので、応援のほどよろしくお願いいたします。

自己紹介記事は別途まとめていますので、よかったらこちらからどうぞ。

また、今後も開業を目指す人や社長様のお役に立てるよう、情報発信していきますので、ご興味のある方は右下の「フォロー」をお願いします。

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