【ドラクエ3】アリアハンの朝日は、地を這う者に輝く。(ズルはダメ!&ちょっとだけドラクエ7)
1. 「勇者」の面影
「あたしは常に勇者でいたいわけよ」
これは、かつて一人の大女優が遺した言葉です。
ドラクエをこよなく愛し、生涯「一人の勇者」として戦い続けた
故・淡路恵子さんの哲学です。
「ゲームなんてものは、ひとりで自分のHPやMPを高めていって、レベル99まで行くものなの。なんで赤の他人と一緒にやらなきゃならないの?」
そして、こう仰っていた。
「あたしは常に勇者でいたいわけよ」と。
この言葉を思い返すたびに背筋が伸びる思いがします。
彼女が守りぬいたのは、単なるデータではありません。
何物にも代えがたい冒険者の矜持だったんだと思います。
2. いいねの危機感とチートという名の毒
最近SNSで見かけたある投稿に、わたしは言葉を失いました。
それはチートツールで一瞬にしてレベル99にしたプレイヤーの投稿でした。
「いや〜面白いね。35年以上前のゲームでしょこれ。それでこのクオリティはやばいね」
というもの。
そのポストには1,000近くもの「いいね」がついていました。
わたしは驚き、怒り、それを通り越し、あぜんとしてしまいました。
そして、訪れる嫌悪感。
35年以上のゲームだからなんだっつうんだよ。
チート使って手に入れた冒険に何の意味があるのか。
うわべだけなぞった浅い賞賛の言葉…。
チートは、冒険への冒涜です。
わたしも幼いころ触れた事があります。
「プロアクションリプレイ」と呼ばれるツールに。
伝説の武器を無限に増やし、ボタン一つでレベルを最大化させることができてしまう。
しかし、ツールを使った瞬間悟ったのです。
「何も面白くない」
障害を消し去ることは、その先にある喜びまで全て消しさる事だと思うのです。
メタルスライムを「かいしんのいちげき」で撃破した達成感...そんな体験までもただの数字に貶めてしまう行為です。
誤解のないように言っておくと、そんな楽しみ方だってあって良いとは思います。
「強くてニューゲーム」的な「俺ツエエ」系の快楽です。
わたしは好きではありませんが否定はしません。
だが。
その文脈で、ドラクエ3を語るのはやめろよ。
レベル99の数字を書き換えて得られる万能感と、あの広大な世界を這いずり回って手に入れる一歩は、全く別の次元にあるものです。
3. 情緒とは何ですか。削ぎ落とされた「なにか」

リメイクされたドラクエ7で、序盤の神殿の謎解きが大幅に簡略化されたという話です。
確かに、あそこは長かったですからね…。
戦いすら始まらない中で、石版を探し、パズルを解く。
「タイパ」を重視する層からすれば、真っ先に削られるべき「無駄」なパートだったのかもしれません。
メーカー側が、そこを削らなければ現代のプレイヤーに見限られてしまうと危惧したのも、商業的には正解なのかもしれないですね。
なぜ、あの長すぎる謎解きが必要だったと思うのか。
それは、ようやく神殿の扉を開き、異世界に降り立ち、最初に出会う「スライム」に、世界の運命を賭けた重みを持たせるためだと思うんです。
何の変哲もない、シリーズ恒例の最弱モンスター「スライム」。
ですが、平和な島で育ち、武器すら握ったことのなかった少年たちが神殿の謎を解いた果てに遭遇するその一匹は、単なるザコ敵ではないと思うんですよね。

それは、平和な日常の終焉です。
「この世界は、もうかつての平穏な場所ではない」という宣戦布告なのだと感じたのです。
あの長い謎解きという儀式をくぐり抜けたプレイヤーだけが、最初の戦闘に、緊張感と「世界の危機」の始まりを実感するんです。
スライムは「ここから物語が始まる」という合図なのだと思います。
削られてしまった神殿の謎解き。
しかしわたしはあの場面には、キーファとの絆や、世界が広がる予感という「情緒」が詰まっていたんだと思っています。
4. アリアハンの朝日は、なぜ美しいのか
つい今話題のドラクエ7を引き合いに出してしまいましたが、
それとこれ(チート)は話を分ける必要があります。
公式が遊びやすさを追求して施した調整と、プレイヤーが自らチートツールを使い、過程を根こそぎ消し飛ばして面白いとうそぶくのは、似て非なる行為です。
公式が削ったのは「ハードル」ですが、チートが削っているのは「勇者の魂」そのもの。
チートで夜を消し飛ばした者に、朝の光の美しさは分かりません。
単なる古参の時代遅れなグチだと思われても構いません。
だが、これだけは譲れない。
一晩中「死の恐怖」と戦い、やくそうやMPを使い果たし仲間の亡骸を引く。
平原をさまよってようやくたどり着いた街。
その「安堵の涙」越しに見るからこそ、朝日は神々しく輝くんです。
朝日の美しさとは、すなわち生き延びたことへのお祝いなんです。
昨今、効率化やタイパの名の下に、あらゆる無駄が削ぎ落とされていくと感じる事が少なくありません。
制作側が断腸の思いで削った時間。
わたしたちが、人生の一部として大切に抱えてきたその情緒。
チートツールという名の冒涜で踏みにじり、分かったような口を利く人が大嫌いです。やはり許せません。
彼らにアリアハンの朝日は見えてません。
彼らが見ているのは、ただの液晶の光なんだと思います。
5. 整理はついた。さあ、夜明けだ。
noteを始めてからこの記事で4本の記事を書いてきました。
自分なりに言葉を尽くして、自分の中のドラクエ3と向き合ってきたと思います。
最新作の「HD-2D」をプレイするための儀式でした。
ハタから見たら大げさでしょう。
それは最新作という商品を評価するためではなく、
自分の中の「勇者の尊厳」をもう一度正しい位置に置きなおすための時間でした。

画面の向こうには、HD-2Dで描き直されたアリアハンの街並みが広がっていることでしょう。
けれど、そこに息づく風の匂いや、魔物の気配、そして夜明けの冷たさを決めるのは、最新のグラフィックではありません。
他でもない、わたし自身です。
ようやく「16歳の勇者」に戻ることができた気がします。
