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短編ドラマ「名もなき主役たち」第4話「傘が壊れた、それでもしっぽは揺れていた」

朝、やけに空気がやわらかかった。エアコンもつけてないのに、部屋がほんのりあたたかい。

カーテンの隙間から差し込む光が、やたらフレンドリーだった。「外、気持ちいいぞー! 来いよー!」って、半笑いで手招きしてくる感じ。

予定はなかった。っていうか、最近ずっと“予定のない日”ばかりだった。カレンダーの空白に、「俺って存在してる?」って聞きたくなるレベルで真っ白。

でも今日は、なんとなく散歩してみようかなって思った。歯もちゃんと磨いたし、靴下も左右そろってる。それだけで、少しだけ自分のことを“えらいな”って思った。

近所の川沿いの遊歩道を、ゆるゆると歩く。朝日がビルの隙間からゆっくり差し込んで、犬の散歩をしてる人たちが、誰ともあいさつせず、全員犬とだけ会話している。

「ダメよ〜、それは拾っちゃダメ〜」
「コラッ、そっちはうんちしたやつ〜」

……俺にも誰か話しかけてくれ。

歩いて、歩いて、気がつけば公園のベンチにたどり着いてた。“無意識モード”ってすごい。脳の自動運転。

風がちょうどいい温度だった。まぶたを閉じてみたら、太陽の赤が、まるで「安心して寝てええで〜」って言ってる。で、素直に寝た。

……次に目を開けたとき、空が灰色だった。

「え、うそでしょ」

降っていた。雨が。しかも、わりと本気のやつ。じわじわ来るやつじゃない。しょっぱなからクライマックス型の降り方。

傘、ない。スマホと財布はポケットに突っ込んで出てきただけ。

「これはもう、終わったわ…」

とりあえず走った。近くのコンビニまで。

……が、滑る。めちゃくちゃ滑る。

スニーカーの中、たぶん今、水族館の裏方レベルで濡れてる。

一歩ごとに「グチュ」、二歩目で「グチャ」。三歩目はもう、笑うしかない。

「グチュグチュ音頭」完成です。誰が望んだのかわからんけど。

傘売り場まで、あと20メートル。なんでこんなに遠いのか。いつの間に俺は人生のダッシュを、ローション床の上でやる羽目になったんだ。

ようやく着いたコンビニの軒先に、すでにひとり、制服姿の女子が立っていた。

雨の中、買ったばかりの傘が壊れても、犬のしっぽうを見たら幸せになった

ピンで留めた前髪が、雨に濡れてぺたんとしている。手には、ビニール袋に入ったメロンパン。……ちょっと高いやつ。

「……降ってきちゃいましたね」

ぽつりとつぶやかれたその声に、俺は「ですね」とだけ返した。会話って、2語で成立するんだなって思った。

彼女はメロンパンをひと口かじって、ふと空を見上げた。

その顔は、“雨を嫌がってる”って感じじゃなかった。むしろ、「まあ、これはこれでアリか」って顔。

雨すら受け入れるメンタル、強すぎない?

なんか、ちょっとだけ、うらやましかった。

店内で傘を買う。透明なビニール傘。レジ袋の中では、財布もスマホも仲良くずぶ濡れ。

「はい、いざ開幕――!」

と、勢いよく傘を開いた瞬間。

ポキッ。

…………ポキッ?傘の骨、いきなり一本折れた。開幕と同時に、引退。

「うわ……」

って言ったきり、笑う元気もなかった。傘はかろうじて形を保ってるけど、俺のメンタルの骨も、ちょっと折れた。

公園まで戻る途中、歩道の端で小さな犬を見かけた。毛は雨でぺたんとしてるのに、しっぽだけはブンブン元気に振ってる。びしょ濡れなのに、まるで「雨サイコー!俺、今、生きてるうう!!」ってテンション。

「なんでそんな元気なん?」

って、思わず心の中でツッコミを入れた。

でも、しっぽを見てたら、なぜか全部どうでもよくなった。傘が壊れたことも、靴がグショグショなことも、今日が何の予定もないってことも。

むしろ、しっぽが揺れてる、それだけで「あ、今日って別に悪くないな」って思えた。

なんでかはわからない。でも、そういう日って、たまにある。

何者でもない自分に、誰かが拍手してくれたような日。その“誰か”が、犬でも、風でも、壊れた傘でも、あるいはメロンパンかじってた女の子でもいい。

それくらいのことで、今日がちょっと好きになるなら、それでいい。

帰り道、駅の向こうの歩道橋で、さっきの女子をまた見かけた。

濡れた制服のまま、メロンパンをかじりながら笑っていた。

しっぽはないけど、その笑い方が、なんとなく犬に似ていた。

今日も生きてる。それで、いい。

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