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【明治文豪、令和を歩く】第34回:Switchに不一致

現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

夏目漱石                                                                                                                       

荷風君、先ほどから君が熱心に覗き込んでいるその平たい機械……。何やら、かつて野々宮君が実験室で弄んでいた精密機械のようでもあり、あるいは子供が縁日で買い求める玩具のようでもあるが。それが巷で噂の『ニンテンドー・スイッチ』の新しいやつ……『2』ですか。」

                                                                                                                      永井荷風

ええ、先生。これは現代の若者たちが、現実の憂き世を忘れて逃げ込む、電脳の隠れ里への通行手形のようなものでございます。かつて私たちが、浅草の観物小屋や、隅田川の屋形船で味わった刹那の夢を、今はこうして掌の中の光に凝縮して持ち歩いている。新しい型が出るというので、世間はまるで開帳の日の回向院のような騒ぎでございますよ。

ほう、新しい型かね。僕の『虞美人草(※)』に出てくる宗近君なら、『運命は神の考えるものだ、人間は新しい機械で遊べばそれで結構だ』などと嘯(うそぶ)いて、早速手に入れるんだろうな。しかし、そうやって次から次へと新しい装置を拵えては、さらに高く、さらに速く、視覚の限界を超えようとする。それはあたかも、止まれば倒れてしまう自転車に乗って、どこまでも坂道を駆け下りているような危うさを感じさせるね。美禰子たちが菊人形を見に行って、その精巧さに驚いていたのとは、また質の違う『虚構』の完成だ。

(※)初出1907[明治40年]朝日新聞

左様でございます。この小さな画面の中に、巴里の街並みよりも鮮やかな色彩が躍り、現実の柳の揺れよりも精緻な風が吹く。しかし先生、私は思うのです。これほどまでに『本物』に近づこうとすればするほど、かえって人間が本来持っていた、あの『見立て』の風流が死に絶えていくのではないかと。枯蓮の軸一本を見て、去年の霜に思いを馳せるような、あの静かな想像力……。それをこの『スイッチ2』とやらは、あまりに親切に、あまりに露骨に、映像として与えすぎてしまう。

全くだ。僕の『草枕(※)』で描いた画工なら、きっとこう言うだろうね。『松の皮の蓋がどうした、そんな説明的な美は俗だ』と。ゲームというのも、あまりに写実を極めすぎると、かえって人間の想像力を窒息させてしまう。むしろ、かつてのドット絵とやらの方が、不完全ゆえの『品』があったのかもしれん。だが、この新しい機械は、その『不完全さ』さえも、科学の力で完璧に模写しようとしている。これはもはや、遊びという名の『研究』だ。野々宮君が妹のよし子を研究すればするほど情愛が薄くなると言ったように、遊戯を研究しすぎると、純粋な楽しみはどこかへ逃げていってしまうのではないかね。

(※)初出1906[明治39年]新小説

(ふっと溜息をついて)現代の若者は、この光る板を枕にして、夢を見る暇もなく指を動かし続けております。私は、この機械が映し出す極彩色の世界よりも、泥に塗れた坑夫たちが地の底で語り合った、あの『達磨の神様』の出鱈目な話の方が、よほど人間的な温もりを感じますよ。先生、この『スイッチ2』が発売されたら、銀座の通りからまた人影が消え、皆が部屋に閉じこもって、偽物の月を眺めることになるのでしょうな。

ははは、それはそれで、一種の『文明の隠遁』かもしれない。だが、僕はやはり、この冷めた珈琲の湯気越しに、君の皮肉な顔を眺めている方がいい。どんなに高画質な画面でも、この珈琲の苦みや、君の着物の古びた匂いまでは再現できまい。……さて、荷風君。その『2』が出たら、君もこっそり買って、私邸の奥で『墨東綺譚』の世界でも再現してみるかね? 案外、それが現代における一番の『贅沢な孤独』かもしれんよ。

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