見出し画像

【明治文豪、令和を歩く】第33回:LINE大嫌い

現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

夏目漱石                                                                                                                       

荷風君、先ほどから君の指先が、まるで電信機を叩くように忙しなく動いているが……。その『LINE』というやつかね。見れば、小さな緑色の噴き出しが画面を埋め尽くして、文字が生き物のように飛び交っている。僕が朝日新聞の連載で、一回一回、心血を注いで言葉を繋いでいた頃からすれば、この速度はどうにも落ち着かないね。

                                                                                                                    永井荷風

ええ、先生。これはもはや『手紙』と呼ぶべきものではございません。かつて私たちが、上田敏君や森先生から届く一通の封書を心待ちにし、その筆跡や紙の香りにまで送り主の面影を探した、あの奥ゆかしい情趣などは微塵もございません。今の若者たちは、この『LINE』というもので、呼吸をするように、あるいは唾を吐き出すように、断片的な言葉を投げ合っております。返事が数分遅れただけで、まるで絶縁でもされたかのように騒ぎ立てる……。実に、この時代の神経症的な焦燥が凝縮されたような道具でございますよ。

速度、か。確かに今の世の中は、僕が『文壇の趨勢(※)』で話した頃よりも、さらに潮流が急になっているようだ。返事が遅れることを『既読スルー』と言うそうだが、それはまるで、相手の脳髄に直接繋がれた鎖を引き合っているようなものだね。僕などは、病気で『土』の連載を中断していた間、長塚君の作をすっかり忘れていたくらいだが(苦笑)、今の世なら、読者から即座に督促の『スタンプ』とやらが飛んできて、神経衰弱に拍車がかかったに違いない。

(※)初出1908[明治41年]趣味

スタンプ、というのもまた滑稽なものでございます。言葉で尽くせぬニュアンスを、妙な絵柄に託して済ませてしまう。私が巴里で覚えた、あの繊細な感情の機微も、今や黄色い顔の記号一つで片付けられてしまうのです。先生、私はこの『LINE』の通知が鳴るたびに、私邸の静寂が土足で踏み荒らされるような不快感を覚えます。かつて秘密の計画を筆紙に認めた、あの密やかな喜びは、この透明すぎる通信網の中では、もはや存在し得ないのでしょうか。

透明すぎる、というのは鋭いね。しかし、人間というのは皮肉なものだ。これほどまでに繋がりを強めながら、その実、中身は空疎なことが多い。僕が『三四郎(※)』や『それから(※※)』で描いたような、言葉にできない、あるいは言葉にしてはならない『内面』の葛藤。それが、この便利すぎる道具によって、安価な記号に置き換えられていく。……だがね、荷風君。そんな喧騒の中でも、たまに君から届く『今夜、銀座で』という短い一文には、かつての招待状のような、不思議な期待感が宿ることもある。道具がどうあれ、そこに潜む孤独な魂だけは、僕らの頃とさほど変わっていないのかもしれんよ。

(※)初出1908[明治41年]朝日新聞
(※※)初出1909[明治42年]東京朝日新聞

先生にそう仰っていただければ、この騒々しい機械も、少しは愛嬌があるように思えてきます。……ですが、やはり私は、この『既読』という文字の重圧に耐えかねて、つい電源を切って路地裏へ逃げ出したくなる。現代の文士は、書くことよりも、この『返信』という義務に追われて、大切な創作の根気を削られているように見えてなりません。

全くだ。僕なら、わざと返事をせずに放っておいて、後で『頭ががらん胴になったから品切れだ』とでも言い訳をするだろうね。……さて、荷風君。その『LINE』とやらで、次の珈琲をどこで飲むか、誰かに相談してみるかね? いや、止めておこう。僕らはやはり、こうして面と向かって、冷めた珈琲を啜りながら、とりとめもない悪口を言い合っている方が、よほど性に合っている。

前へ29303132|33 ▶次へ



いいなと思ったら応援しよう!

ぶるうす恩田 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!