【明治文豪、令和を歩く】第28回:しいたけ占いに言いたいだけ
二人はスマートフォンの画面を覗き込みながら、不思議そうな顔をしている

先生、これは一体どういうことですか。『しいたけ占い』とは。私の知る限り、椎茸というのは秋の味覚、吸い物の具や煮しめにするものであって、人の運勢を占うような霊的な植物ではありませんぞ。
現代人はついに、野菜にまで神託を求めるようになったのですか。

僕も最初は目を疑ったよ。だが荷風君、読んでみるとこれがなかなかどうして、馬鹿にできんのだ。
かつて正岡子規が、頼みもしないのに僕の将来を占って、巻紙に長々と書き送ってきたことがあったが、あれは一方的な押し付けだった。しかし、この『しいたけ』君の文章は違う。実にこう、読む者の弱った心に寄り添うような、柔らかい言葉を選んでおる。

ふうん、柔らかい言葉、ですか。
私が『つゆのあとさき(※)』で描いたような、カフェーの女給たちがすがる占い師といえば、アパートの一室で、医者か弁護士のような顔をして『当るも八卦』などと勿体ぶるものでした。あるいは筮竹(ぜいちく)をジャラジャラと鳴らして、不安を煽るような手合いだ。
それに引き換え、このキノコの絵は……なんとまあ、力の抜けた、拍子抜けするような顔をしておりますな。

そこだよ、荷風君。現代人は疲れているんだ。威圧的な易者に『凶』だの『大殺界』だのと脅される余力はもう残っていない。
『彼岸過迄(※)』の中で、敬太郎という男が路地裏の婆さんに『文銭占い』を見てもらう場面があるだろう? あの婆さんは、赤と紺の絹糸を縒(よ)り合わせながら、『あなたは今迷っていらっしゃる』と静かに諭した。現代のこの『しいたけ』も、それと同じだ。
『今週は少し休んでもいいんですよ』とか『不思議なオーラが出ています』とか、肯定してくれる。これは占いというより、一種の精神安定剤、読む処方箋のようなものかもしれん。

なるほど、読む処方箋とは先生らしい解釈だ。
確かに、吉原の遊女たちも、明日をも知れぬ身の上を案じては、お稲荷様の御籤(おみくじ)に一喜一憂しておりました。いつの世も、迷える子羊は『大丈夫だ』と言ってくれる声を求めて彷徨うものです。
……して、先生は何座なのです? やはり、理屈っぽい水瓶座あたりで?

僕は二月の九日生まれだから水瓶座だそうだ。読んでみると……『分析好きだが、時々爆発したくなる』とある。……ふん、当たっているような、いないような。
君は十二月だったね。

三日生まれの射手座でございます。どれどれ……『自由を愛し、束縛を嫌う旅人』。おや、これは驚いた。まるで私の『日和下駄』を履いて歩き回る習性を見透かされているようだ。
しかし先生、この占いは『カラー』、つまり色で運勢を説くのですな。先生の小説に出てくる、あの婆さんの『赤と紺の糸』のように、色彩というのは人の心理に不思議な暗示を与えるものらしい。

ああ。論理で説明できない不安には、色彩のような感覚的なものが効くのだろう。
正岡のように『大将にならなけりゃ承知しない』などと焚きつけるのではなく、『あなたの今の色はシルバーです、静かにしていなさい』と言われる方が、今の僕の胃には優しいよ。
……どうだ、荷風君。今夜は鍋に椎茸でも入れて、我々の運勢を肴に一杯やるか。

それは結構ですな。ただし先生、食べる方の椎茸は、あまり喋りすぎないものを選びましょう。説教臭いキノコは、どうも食あたりしそうでいけませんから。
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