見出し画像

【明治文豪、令和を歩く】第2回:ブラックフライデーの狂騒

街はすっかりクリスマスの前哨戦といった趣。ショーウィンドウには「BLACK FRIDAY」の文字が踊り、人々がせわしなく行き交う。二人は少し離れたベンチに腰掛け、その喧騒を眺めている。

夏目漱石                                                                                                                       

しかし永井君、見てくれたまえ。あの赤と黒の毒々しい看板を。「ブラックフライデー」とはまた、随分と不吉な名前をつけたものじゃないか。僕がロンドンにいた頃、「ブラック」何某(なにがし)といえば、大抵は疫病だの、暴落だの、ろくな意味を持たなかったがね。現代の商人は、客を脅して物を買わせるつもりなのかね。

                                                                                                                     永井荷風

フフフ。先生、それは所謂(いわゆる)アメリカ流の「ユーモア」というやつですよ。元々は感謝祭の売れ残りを売り捌くための、彼の国特有の喧しいお祭り騒ぎです。わたくしが洋行していた時分も、メリケン人はとにかく「ビツグ(Big)」で「ラウド(Loud)」なものが好きでしたからな。しかし、この極東の島国で、感謝祭の七面鳥も食わぬ民が、こぞって黒い金曜日に踊らされている様は、なんとも喜劇だ。

喜劇ならまだいいが、あれじゃまるで暴動だよ。さっきの家電量販店の人だかりを見たかい? 我先にと群がって、他人を押しのけてまで商品を掴み取る。君がかつて嘆いていた、東京の電車の乗客のマナーと変わらんよ。文明の利器や制度だけ輸入しても、それを使う人間の精神が修養されていなければ、ただの野蛮な争奪戦になるだけだ。

全くでございます。わたくしが『新帰朝者日記(※)』に書いた頃から、日本人の本質は少しも変わっていないようですな。外形だけ立派に装っても、中身は欲望のままに動く。……あそこで安売りされている「スマート・フォン」とやらや、巨大な「テレヴィジョン」。あれを手に入れれば、彼らは幸福になれるのでしょうか。

(※)初出1909[明治42年]中央公論

そこなんだよ、問題は。現代人は皆、神経が衰弱している。何かに追われるように働き、そのストレスを、物を買うことで発散しようとしている。だが、買った瞬間にその興奮は冷め、また次の新しい刺激が欲しくなる。空虚な穴を埋めるために、次から次へとガラクタを放り込んでいるようなものだ。これを「自己欺瞞」と言わずして何と言う。

手厳しいですな、先生。しかし、その通りかもしれません。わたくしが好むのは、古本屋の棚の隅で埃を被っている江戸の戯作や、誰かが使い込んだ三味線のような、人の温もりと時間の経過を感じさせるものです。工場で大量に生産され、右から左へと消費されていくピカピカの新品には、どうも愛着が湧きません。……それに、あの「安売り」という言葉が、どうも浅ましい。

君は昔から、金銭の話を嫌うからね。僕のところへ遊びに来ていた若い連中など、原稿料がいくらだとか、誰がいくら稼いだとか、そんな話ばかりしていたものだが。

ええ。かつてわたくしを訪ねてきた木場や白井といった連中もそうでした。文士が銭勘定の話をするのは、どうも野暮です。欲しい本や絵があれば、値段など見ずに買う。金がなければ、借金取りに居留守を使えばいい。それが「粋」というものでしょう。……もっとも、現代の「クレジツト・カアド」とやらでは、居留守も使えないようですが。

ハハハ、君らしいね。まあ、僕も教師を辞めて新聞社に入った身だ、金の苦労は知っているが、この「ブラックフライデー」の黒色は、企業の帳簿が赤字から黒字になる「黒」だと言うじゃないか。客の懐(ふところ)は寂しくなるばかりなのに、店側だけが潤う。まさに「黒い」笑いが聞こえてきそうだ。

なるほど、客の財布を空にして、自分たちの腹を黒く肥やすわけですか。……桑原桑原。先生、わたくしたちはこんな騒ぎからは離れて、またあの喫茶店の隅へ戻りましょう。あそこには「セール」もなければ、行列もない。あるのは紫煙と、静かな時間だけです。

賛成だ。安いからといって、欲しくもないものを買うのは「下手の横好き」以下の愚行だからね。……おや、でも永井君。あそこの書店のワゴン、洋書の古本が半額になっているようだが?

……おや? ほう、あれはフランスの詩集……。……先生、少々お待ちを。あれだけは、救出してやらねばなりますまい。

やれやれ。君も結局、この黒い金曜日の魔力には勝てんようだな。

前へ|2|次へ



いいなと思ったら応援しよう!

ぶるうす恩田 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!