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シンプルな話だ。BTSがグラミーにエントリーしないこと。

7月29日、BTSのメンバー達がinstagramのストーリーズで、「今年、グラミーにエントリーしない」、という声明を発表したので、わたしはそれを知って、陽が落ちてから近所の海沿いをウォーキングして、歩きながら、遠くの山のシルエットを見ながら、始終顔がにやにやしてしまうのを止められなかった。あー良かった、あー良かった。良かったなあ、良かったなあ、本当に…。すごいなあ。世界が、音を立てて、「がっちゃん!がっちゃん!」と言って、大きな歯車がいくつも入れ替わる音が、なんだか自分の耳に聞こえているような気がした。わあ…それが、今、起こるんだ…わあ、もう起こるんだ、すごいな…。

저희는 올해 그래미에 출품하지 않기로 했습니다.
음악이 지역이나 언어로 구분되기보다 음악 그 자체로 들리고 사랑 받을 수 있기를 바랍니다.
늘 함께해주시는 아미와 모든 분들께 감사드립니다.

ストーリーズの文面

私たちは今年のグラミー賞にエントリーしないことに決めました。
音楽が地域や言語によって区別されるのではなく、音楽そのものとして聴かれ、愛されることを願っています。
いつも共にしてくださるARMYと、すべての方々に感謝いたします。

日本語訳

わたしの頭の中には、彼らの作品から、あるいは言動から受け取って作っている、わたしだけのBTS像がある。今回の声明は、それと現実のBTSを近づけるものだったので、単純に、とっても嬉しかったのだ。ヴェールが剥がれて、もう一段クリアになった感じ。

さて。

とはいえ、グラミーに関して、わたしはまったく専門外、何の知識もありません。グラミーを毎年楽しみにしているような方には、わたしの見解はすごく失礼な見方だと思うので、どうか、スルーしていただきたい…!

そして、noteは個人の見解を書いて許される世界だと思っているので、わたしはわたしの思ってること書くね…!

BTSが【Dynamite】でノミネートしたのは、2021年、第63回グラミーの時でありました。もちろん「グラミー賞」は知ってたよ。だけどグラミーで賞を獲るようなアーティストに全く興味のない、チャートのトップアーティストに生来全く興味を持たないわたしは、その祭典について、音楽的に全く関心を持ってこなかった。だけど我らがBTSが出場するなら…それが一体何であるか、自分なりに理解しようと…初めて、アワードを始めから終わりまで、全部観た、全部門、観た、観ようとした…んだが、全部は観れなかった。気持ち悪くなっちゃった。そう、そういえばわたしは、ヒットチャートの上位にくるような楽曲が、ほぼほぼいつも終わりまで聴けない。MVも最初の数秒しか観れない。そしてこの気持ち悪さは数日残るんである。特にアワードにおけるパフォーマンスが、ぐ…ぐは…陰も陰、ド陰の極み…これは…アートじゃない、音楽という波動を使った、黒魔術だ…ぞ……?いいの……?なにこれ怖いよ……!これ罪悪じゃないの…??その渦中にあって、BTSの【Dynamite】は、最高に異質、最高の違和感を醸し出していた。そのきらきらの、純粋な、ごく単純で、ごくシンプルな、ポジティブさゆえに。どこも、何もかも、どんな微細な部分でさえグラミーに馴染んでいなかった。

わたしは、第63回グラミーをほぼ通して観て、グラミーのしたいことが大体分かった。長年問題だと言われている不透明さ、あれを透明にしちゃったらさ、そもそもグラミーを設立した意味が消滅しちゃうんだよね?

しかし、グラミーの全てがネガティブだとは思わない。逆にそんなことをして成立するわけがない。わたしは、ものすごい責任、ものすごいプレッシャー、ものすごい開示に伴う恐怖に取り巻かれながら、自分の魂を表現に変える、全ての表現者の魂が、いつも、どの瞬間も守られてほしいと思っている。心の底から祈っている。そしてまた、運営に関わる大多数の人々が、音楽業界のポジティブな発展のために奔走しておられるし、その仕事に自負をお持ちなのだろうと思う。それは、損なわれてはならない、尊重されるべきことだ、わたしはそこについて何かを言いたいと、決して思わない。

わたし達は皆、本当は自分が何が欲しいのか知っている。
だけど、それは、いつでも、自分が自分の内側から見つけなくてはならない。
それが、自分の外側にあるどんな煌びやかなものよりも、どんな荘厳なものよりも、どんな繊細なものよりも、どんな重厚なものよりも、価値があるということを、証明してくれる存在は何もない。
半分くらいの人はまだ、自分の内側に見つけるものが、自分の愛の側面であることに気がつかない。
半分くらいの人はまだ、愛を信頼することができない。
自分の本質を働かせて生きるたったひとつの方法、
自分の愛を信頼する、
けれどそちらに踏み出す勇気が持てない。

BTSのメンバー達の選択は、
そっぽを向いたんじゃなくて、
臍をまげたんじゃなくて、
エモーショナルにやけっぱちに投げ捨てたんじゃなくて、

冷静に、自分の内側にあるものの価値をはかって、
外側にあるロジックに評価されようとすることも、
そのために大切なエネルギーを消耗することも、
不必要だ、と、判断したのだ。
それは、自分の内側に見つけた愛を信頼するということだ。
自分の愛を信頼したまま社会に足を踏み出す勇気があるのだ。

意識の切り替えの音。すでに彼らから聞こえてきていた。

彼らがかつて、海外のアワードの会場で、どういう体験をしたかは知らない。しかし、海外のアワードに出席するたび、後からほんの少し漏らしてきた心情、楽曲の中から聴こえてくる心情、踏みつけられた憧れと敬意、は、怒りとして彼らに残っていたとしても、あまりある。

だけど…そういうことじゃない…んだよな…。怒りはあったかもしれない。だけど、彼らを判断させたのは怒りじゃない。冷静に判断して、彼らの方が、卒業してしまったんだ…その既存の価値観から…。あるいは、本当は、本来そもそも彼らの持ち物に含まれていなかったか。権威を信じる価値観の中で育ったから、それに価値があるんじゃないかと思いこんできただけで。

…と、昨今のBTSを見て、わたしはそのように感じるんですが。

彼らがしたことは、グラミーにアンチズムを唱えることとは違うと、わたしは思う。

今この地上で、権威の冠に魅力を感じなくなっている新しい層が、自分の内側に持っている愛を信頼する方向へ切り替えただけ。
意識を変えた人々が、優先順位を変えただけ。
権威が権威として成立するには、一定以上の信奉者が要る。
権威を権威として保ちたい人には既得権益が脅かされる不安な現象に感じられるかもしれないけど、
これは批判じゃない。
これは攻撃じゃない。
これは対立じゃない。
これは戦争じゃない。
自然と、古臭い、血の匂いのする権威の冠を有り難がる人の人数が減っていって、
もしかしたら、自然な流れで、かさぶたのように社会から剥がれ落ちる。


今回の件と合わせて話題になりがちな「アジアン・ポップ賞」について、noterの音色さんの記事が興味深くて。

わたしは彼女のように、リサーチしたりという客観的な裏付けが基本的に全く!ゼロの!主観100%の!noteを書いているんですが!運営側が持ってる背景にある心情が、独断と主観で分かったような気になりました。アメリカにいる、アジア系アメリカ人が、どれだけアメリカ人として、アメリカ人らしく認められたいと思っているか。アジアは広いので、アジア系アメリカ人も実際にはそのルーツはさまざまなんですけど、2世、3世となってくると、アメリカしか知らないし、英語しかしゃべれないし、ルーツの国のことは何も知らないし、でもなんとなくグルーピングでアジア系アメリカ人同士の親近感はある。

だが、アジア系アメリカ人が持ってる「アジア」に対する解像度が、アジアに住む我々ネイティブアジア人と、実際のところ、全然違うんだろうな。「アメリカ人として敬意を払われたい」と思ってるアジア系アメリカ人と、「アメリカ人になりたい」と微塵も思ってない、アジア人。「ほら!この飴、美味しそうでしょ!ね!」って言われても、「いや、別に…」、と、ドライブしている価値観に差がある。だけど多分、あんまりそのことに気づいていないんだ…。

前回のnoteで、RMくんが受けた長いインタビューについて書いたのだけど、インタビュアーのベラ・フロイドさんは、BTSの「音楽に込められた魔法」について言及した。

わたしは、音楽が、魔法を込めるために作られていると知っている。その魔法には、白魔法も黒魔法もあるのを知っている。優れた音楽家は、自分たちの音楽が持っている力に自覚的で、その力が意図した方に働くように、細心の注意を払っている。BTSのメンバー達もそうだ、音楽だけじゃなく、彼らの語ること、音声も。魔法の力が宿ってしまう。

音は波だから。

あははは。

そうだよ。

「地域や言語」のボーダーを超えてしまうから。

もっと
よく
見て
私たちの力は…
自分が何を見て
何を信じ…
何を信じず
どう行動するか
です
きみは…物事から目を逸らさずにいようという意志がある
だから
きみは
たぶんもっと見えるはず
物事の本質が

ヤマシタトモコ「さんかく窓の外側は夜 第6巻」

魔法を使う力のある人は、信じないものを捨て、信じるものを発動させるよう力を込める。その方が効力があるからね。そして、自分を苦しみの中へ追い込もうとも、物事から目を逸らさずにいようという意思のある、例えばRMくんのような人は、グラミーアワードの場で、彼らのようなアーティストがどういう存在か、そこで感じたさまざまなものを、全部、端から、分解して、分類して、ラベルをつけて、整理した、圧倒的な精神力と集中力で。そうせざるを得ないのが彼の気質で、そうする以外に選択肢がないとして、だから彼の脳は弾き出したのだ、そして理解した。グラミーの本質がどこにあるか。

そして、BTSの本質と見比べて、彼らが選んだのは、すでにその手に持っているものの価値を損なわないことの方だった。

うーむむ。彼らが天秤にかけて手放したものを想像して、すごいな…すごいな…とわたしは思う。彼らがグラミーを狙わないことで、色々言ってくる人たちがいるんだろうなあ。韓国のお偉いさんとか、権威が好きな上の方々とか、BTSにもっと箔を付けて活用することを狙っていた層が、「辛抱が足りない」とか「国のために努力が足りない」とか「もっと韓国の実力を知らしめる努力をしろ」とか言いそうだけどなあ。それも了解してるんだなあ。そして、今後もエントリーし続けないとしたら、近い将来、自分たちより年下の別のグループが、グラミーで何らかの賞を取ることになりそうな気がするけど、会社は他グループをエントリーさせ続けると思うから、それでも、拍手でお祝いするんだなあ。そうかあ…。ごくり…。すごいな…。

ソロの作品になったら、エントリーするとかあるんですかね。

それとか、今回のことは、ドキュメンタリーとかで、メンバー達がこの決意をする過程なんか、撮り納められてたりして…。ごくり…。

というわけで。

世界が切り替わったのが嬉しくて、思いが強すぎて分かりにくい文章になってしまいましたが。あと、丁度再読し終わったパウロ・コエーリョの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」のせいですね。でも本当に丁度、この本のテーマがそのものだったよ。

あなたが、自分の内側に愛のエネルギーが動くのを見つけて、それを身体に表した結果をあなたが受け取ってたら、それは自分の本質と一致している状態だから、周りの人が何を言おうと、違うことを、違うように表現する人がいようと、貶されようと、共感されなかったとしても、気にならない。周りが言っていることに対して自分が揺れるのは、今持っている答えが、外から持ってきたものだからだよ。でも、自分の内側に動く愛を自分の中心に置いて、心から信頼して行動するのは、勇気がいることなんだよね。

つまり、それがBTSが選択したことなんだけど。


それでは、また!




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パクチー お読み下さってありがとうございます!