【映画】「スクラップ・ヘブン」感想・レビュー・解説
これは面白かったなぁ。随所に「どうして???」と感じるような展開があって、ストーリー的には正直言って破綻していると思うのだが、それでも全然面白かった。「なんで???」以上に、パッションとか躍動とか狂気とか、そういう部分に目が向いて、「ま、ストーリーの破綻とか別にいっか」みたいに思えるのだ。基本的にストーリーにしか興味がない僕にはこの感覚は結構珍しい。
そんなわけで、ストーリー的にはかなり「なんのこっちゃ?」という感じではある。ただそれでも全然観れちゃうのは、主演の3人の存在感が絶妙だからだろうなぁ。加瀬亮とオダギリジョーの危うい狂気的な関係性にはずっと惹きつけられていたし、栗山千明のなんとも言えない佇まいもいい(しかし、栗山千明がこれほど物語に絡まないとは思わなかったけど)。20年前の映画で、まだまだ若手だっただろうこの3人の演技が上手いのかどうかは僕にはよく分からないけど、とにかく存在感は抜群だった。
あと、別に監督の名前で観る映画を決めたりはあまりしないのだけど、本作は、最近も『国宝』で日本映画の話題をかっさらっている李相日の作品であり、メジャー2作目、メジャーでのオリジナル脚本は初という作品のようだ。やっぱり最初から凄い人だったんだなぁ、と感じるような作品である(まあ、『国宝』とは全然違うけど)。
さて、本作には印象的なキーワードとして「想像力が足りない」という言葉が出てくる。リバイバル上映に当たって作られたポスターには、「あれから20年後の今、”想像力”でマシになったのか!?」というキャッチコピーがつけられている。まあ、作中の登場人物の行動こそ「想像力が欠如したもの」と言えなくもないのだが、まあでも、彼らが言いたいことも理解できる。
僕は、まあちゃんと想像力はある方だと思う。少なくとも、日本人の平均よりは上にいるだろう。そしてだから僕も、「想像力が足りねぇなぁ」みたいな状況に出くわすことはよくある。
僕は今もなんやかんや若い世代の人と関わる機会が結構あるのだけど、若い世代は本当にこの辺りの感覚に関しては凄いものがあるなと思う。「平等」とか「配慮」みたいな部分への意識はかなり強いなと感じるし、逆に「もうちょい緩めないと生きづらいよね」と感じるほどだ。若い世代同士はもう、「お互いに想像力が高いよね」みたいなことがある程度前提の状態で関わっている感じもするし、だからその上で「相手の想像を超える」みたいなところにまで行こうとしている感じもする。
で、これは偏見モリモリの話だが、年齢が上がれば上がるほど「想像力」は欠如していく。もちろん想像力のある人もいるが、世代全体としては「想像力がない状態が普通」(というか、「みんなそうだから『想像力がない』という認識すら出来ない」)みたいな感じが強いなと思っている。僕は、「何でもハラスメントって呼べばいいってもんじゃない」と思ってはいるのだが、それでも、パワハラやセクハラはやはり、「想像力が欠如したクソジジイ・クソババア」がいるからこそ起こるわけで、その辺りは本当に上の世代の人間としては恥ずかしいなと思う。
僕の中では「頭が良い=想像力」みたいな図式があって、だから、想像力がない人間は、たとえ頭の回転が速くても、メチャクチャ仕事や勉強が出来ても「頭が悪いな」と感じる。結局のところ、「想像力」というのは「多様な選択肢を思い浮かべる力」であり、「多様な選択肢が頭に思い浮かんでしまう」からこそ「躊躇する」のだ。だから僕は「躊躇するする人」は頭が良いなと思うし、そういう人の方が好きだなと思う。
さて、今の話を踏まえるとやはり、作中の登場人物(特にオダギリジョーの役)は、全然躊躇しないから、そういう意味では僕が思う「想像力がある人」にはならない。実際、彼らが最終的に行き着く地点は「それはさすがに受け入れがたいぜ」と思うようなものであり、だから彼らの決断・行動も許容できない。
なんだけど、オダギリジョーの役が言っていた、「◯◯が△△を持ってるって可能性が頭に浮かべば、誰だって殴るのを思い留まるだろ」みたいなセリフは、1つ真理ではあるよなぁ、と感じたりはした。
正直、彼が言っているような世界が実現してほしくはない。アメリカなんかはまさにそういう国になっていると思うが、それが本当に幸せで平穏なのかは見方次第だろう。でも、「もう他に手段がない」という状況であれば、こういう手段も仕方ないだろうなとも思う。「もしかしたら……」というある種の呪いをみんなの脳に植え付けることで状況の悪化を食い止められるなら、それは最後の手段としては認められるかもしれないなと思う。
ただやはり、あくまでも「最後の手段」である。作中の登場人物たちは別に、「あらゆる可能性」を試したわけではない。だから彼らには、この「最後の手段」を使って状況に対処する大義名分があるとは言えないだろう。
ただまあそれは「物語上の都合」というか、彼らが「ヒーロー」みたいに終わっていく物語はたぶんつまらないので、それは仕方ない。彼らは物語の制約的に「悪い振る舞い」をせざるを得ないのだ。でそう考えた時、やはり、彼らが「この世の中には想像力がねぇんだよ!」と声を大にしてぶちまけて(ムチャクチャな)行動をするというのは、観ている人に何か気づかせる力がある気がするし、そういう物語としても良いよなと思ったりする。
正直なところ、特に資本主義では、「想像力のない人」あるいは「想像力はあるけど発揮しようとしない人」の方が、他人を蹴落としたり、他人から何かを奪ったりみたいなことが容易に出来るし、それが法律の範囲内の行為であれば、社会の中でのし上がっていきやすい。だから資本主義社会というのは本質的に「想像力を発揮させない」というインセンティブが働きやすいように感じている。僕らはそういう世の中に生きているんだという自覚を持ちながら、どうにかして「想像力を発揮する」という方向に進んでいかなければならないと思う。
そういう意味で僕は、これからの日本には期待している。若い世代は、明らかに僕の世代よりも想像力が高いし、世代全体として「想像力を有してない奴はヤバい」みたいな雰囲気もありそうな気がするからだ。経済的にはあまり発展しないかもしれないが、全体としては今より良い社会になるんじゃないかなと思っている。
内容に入ろうと思います。
3人の男女が、ある日狂気的なバスの中で出会う。
シンゴは、所轄でデスクワークをする警察官だ。1課への異動希望を出すなど「正義の味方」を目指して警察官になったのだが、反りの合わない上司との関係性も相まって、警察官としての使命みたいなものは薄れている。テツは、トイレ掃除を仕事にしている男だ。父親が精神病院(かな?)に入院しており、時々見舞いに行っている。サキは調剤薬局で働く薬剤師で、日毎に分類して袋詰めしている薬の中にマーブルチョコを混ぜるなどまともじゃない雰囲気を漂わせる。
3人が乗ったバスは、ある時点からいつもと違う道を走り始める。運転席の近くには銃を持った男。バスジャックのようだ。男は銃を持ったまま自身の境遇を語り始める。勉強して苦労して政治家の秘書になったが、自殺しなければならない状況に追い込まれているのだという。そんな狂気が支配するバスに、3人はしばらく乗っていた。
その後、このバスジャックの件で干されていた(恐らく、乗っていたのに何もしなかったからだろう)シンゴは、しばらくしてテツと再開した。テツはシンゴの鬱屈を見て取り、ある計画を思いつく。「復讐代行」だ。あちこちの公衆トイレに「復讐代行」のメッセージを書き、復讐を希望する者たちの代わりに相手にダメージを与えるのだ。
テツは、「振り上げた拳が自分のところに返ってくるって経験をくれてやるんだ」と言っていた。シンゴはイマイチ状況が飲み込めないものの、警察官という立場でありながら相当危ない橋を渡る決意をする。
彼らはトイレ内で依頼人と会い、話を聞き、復讐を代行していくのだが……。
というような話です。
僕が書いた内容紹介も、「ん??? どうしてそんなことになるんだ?」みたいに感じられるんじゃないかと思うが、それは観ていても同じである。「何で復讐代行が始まった?」とか「サキはメインの物語に絡まなすぎじゃない?」とか、まあ色々思うところはある。のだけど、冒頭でも書いた通り、そういう物語上の繋がらなさとかよく分からなさみたいなものは、本作に充満する「熱量」みたいなものに覆い隠されている感じがあって、メチャクチャ気になるという感じではない。かなり面白かった。
オダギリジョーも加瀬亮とも、「狂気的な役を演じる」みたいなイメージがあるだろうから、そういう意味でも本作の雰囲気は合ってるなと思うのだけど、ただ、本作に出演していた時点ではそういうパブリックイメージって存在してたんだろうか? とも思う。当時観ていた人と、今観ている人では、「役者に対する印象」という意味でも捉え方が結構違ったんじゃないかなという気がする。
あと、これも既に書いたけど、ホントにサキが全然物語に絡んでこなくてビックリする。もちろんまったく絡まないわけではないけど、主演の1人として名を連ねている割には、という感じがする。正直、栗山千明演じるサキより、柄本明演じる薮田の方が出演時間多いんじゃないかとさえ思う。
ただ、栗山千明も良い存在感なんだよなぁ。何が良いのかよく分からないけど、「こういうマッドな人、いてもおかしくないよなぁ」みたいなギリギリの雰囲気を醸し出しているところが良かった。
シンゴもテツもサキも「何をするかよく分からない」みたいな絶妙な存在感があるから、だから、物語がとても不安定になる。「この後どうなるのか分からない」みたいにずっと感じさせられるのだ。それも良かったなぁ。結局、3人の行動原理は概ね理解できなかったし、だから突発的な行動も起こるし、でも行動原理を掴めてないから、そういう行動に対しても「そうか、そういうことをしちゃうような人なんだね」と「情報が更新される」みたいな感覚になる。何をしても「違和感」として表出しない感じがあったからこそ、物語の綻びみたいなものもあまり気にならずに済んだのかもしれない。
そんなわけで、僕としてはかなり面白い作品だった。テアトル新宿で『炎上』を観た時にたまたまポスターが視界に入ったからこのリバイバル上映の存在を知ったのだけど、それがなかったらたぶん観てなかっただろうから、こういうのも出会いだなと思う。
ちなみに、メチャクチャどうでもいい話だが、エンドロールを観ていたら「大蔵 省」というふざけた名前の人がいて笑った。あと、出演者として「柄本時生」の名前があって、たぶんかなりちょい役なんだろうけど、どこに出てたんだろうなぁと思う。
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