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麻雀の神は優勝のシャーレをフェニックスへ戴冠した。オーラスも醍醐はやはり醍醐だった!

今回は麻雀の神について話をしてみたいと思いますが、前段として、数学関係ばかりをフォローしている方が、先日、なぜか当noteをフォローしてくれたので、なんとなく導入を数学の話から始めてみます。

これはドラマ・やまとなでしこの第二話で数学者 欧介が桜子に夢中になってワンドリュー・ワイルズが解いた「フェルマーの最終定理」の話をボートの上でするシーンに出てくるセリフです。

ワイルズが格闘していたテーマ、それは無限との闘い

――人が素朴に考えたり、実際にやってみたりしたことはどれもみな、要するに楕円方程式とモジュラー形式が、どちらも同じ数だけあると示すことだと、ワイルズは言っています。しかし問題は楕円方程式もモジュラー形式もどちらも無限に存在するということで・・・

無限のケースを証明しようと、量子コンピューターを使って無限を追いかけてもそれを証明することは永遠にできません。しかし人間には「紙と鉛筆」のみで、この無限をも包括する知性を発揮することがある

ワンドリュー・ワイルズはこの無限を数学的に包括するためにやったこととは、数学的なドミノを用意し、そのドミノを無限個並べる作業をし、もし最初の一つ目のドミノを倒すことができれば、無限個のドミノをすべて倒すこともできる。

ただし問題は最初のドミノを倒す力が絶妙なバランスの上に成り立っていたために、なかなか最初のドミノを倒すことはできなかった。しかし、苦心の末に、ワイルズは己の心の内に開かれた直観によって、岩沢理論とコリバハン・フラッハ法を絶妙なバランスで組み合わせることによって最初のドミノを倒す力を創出することに成功し、フェルマーの最終定理を証明することになります。

無限との対峙する数学者にとって大事だったのは、絶妙なギリギリのバランスの上に成立している力の所在をインスピレーションとして直観し、それを突き止めることだった。

無限。それはある意味、神の属性といい得るものかもしれない。その無限と人間が向き合うには 知性に裏打ちされた<直観>と芸術性を思わせる類まれな<深いバランス感覚>が必要とされることがこのエピソードからもわかります。

もし麻雀の神というものが存在するとして、そこへアプローチを試みるならばその全体性を網羅している必要があります。だとすれば、それはデジタルな期待値の世界とアナログな風の実在を包括するものでなければならない。

科学的なアプローチから日吉の風noteは「風は実在している」 ことについて言及はしているが、最も重要なのは、「風は実在している」という部分だけを取り出してそれを単に論じているわけでもないという点にあります。実際に何を言わんとしているかを知りたい方是非、ご覧ください。

デジタルなアプローチからだけでも、アナログなアプローチからだけでもどちらに偏っても それだけでは麻雀の全体性に届くことはない

より本質的に麻雀の全体性へアプローチするには、定量的なデジタルな期待値だけでは到底たり得ず、定性的なアナログな風の実在を包括する深いバランス感覚が要求される。

日吉の風noteで言っているのは、デジタルとアナログの戦略的な相補性についてであり、麻雀の全体性へのアプローチそのものなのだと言えます。

これまで太については極めてポジティブなnoteを投下し続けてきたにも関わらず、例えばなぜ当noteではファイナル初日からドリブンズ太が逆シリーズ男になり得る可能性についてピンポイントで警鐘を鳴らし続けてきたのでしょうか?

他に誰一人 逆シリーズ男に指定した選手はいません。セミファイナルでは滝沢だけでした。滝沢については私だけではなく 極めて多くの人が、言っていたはずですね。

なぜ太の危険性について警鐘を鳴らしてきたのかと言えば、このnoteが絶えず麻雀の全体性に対して戦略的なアプローチしてゆく際に、ファイナル初日 太の負け方の中に、理屈を超えた逆風を直観する何らかの<負けが繰り返されるパターン>を見出していたのかもしれません。

つまり何をしようが絶対に勝てない今年の松本の負けパターンに近い何かを太の負けの中に見出していた可能性がある。

理屈ではないので言語化することはなかなか難しいのですが、逆風が太ならば最大のフォローの風をもらっていたのは言うまでもなく、フェニックスの醍醐です。例えば オーラス醍醐が東で降りたにもかかわらず7Mをあっさり重ねて 再度聴牌を取ったシーンの瑞原の反応を見てほしいのです。



「なんでだよ、おかしいよ」

思わずその率直な反応に笑ってしまうのですが、降りている傍からすぐに聴牌を取り直す醍醐。もはや理屈では説明がつかない。瑞原のような言葉が思わず漏れてしまう、これこそが風の実在を示しており、期待値、確率論では麻雀は語りきれないものがそこには存在しているということなのです。

少なくとも瑞原の常識に照らした時、確率的にはありえない異常事態だったわけです。

園田の待ちは純カラでした。

醍醐の年間800ポイント超の勝利を積み重ねてきた一連の事象に対して 風の実在を無視してデジタルだけで語る方こそ、無理がある。Mリーグもそろそろ本格的にこの風を実在として認め、むしろ風を戦略の中に取り込み それを戦いに生かす段階へ入っているように思うのですが、いかがだろうか。

あとがき

なぜか数学関係のnoteばかりをフォローしている方が、先日、当noteをフォローしてくれた。よってなんとなく導入を数学の話から始めてみました。直観も重視していますが、お馴染みのフェルマーの最終定理に始まり、ゲーデルの不完全性定理、カントールの集合論、リーマン予想やポワンカレ予想、宇宙際タイヒミュラー理論など、理性を必要とする数学にも関心を寄せている方ではあり、その方は当noteの行間から数学の論理性に通じる何かを感じ取ったのでしょうか。そこそこ不思議です。

 ピタゴラスは「万物は数である」と言いました。

古代ギリシャ人は数字や数学的比率が宇宙の秩序や調和を表すと信じていました。数字や数学的構造の中に神聖な秩序や宇宙の真理を見出していたのです。

麻雀の神への知的アプローチ。そのためには全体性を把握する直観が一つの鍵を握っており。もう一つは全体性を包摂するだけの深いバランス感覚がなければなりません。

こうした途方もない裏テーマ 麻雀の神へのアプローチ を設定し、当noteは麻雀というゲームを眺めていこうと思ってはいます。

下記のnoteなどはある意味、とんでもないチャレンジをしています。日吉の風noteを読んでくれた人は是非 こちらもご覧ください。テーマの設定自体がそもそもかなりぶっ飛んでいます。(;^_^A

尚、これまで話をしてきた直観はシステム思考を介して戦略的思考力とも密接に関わっています

このnoteで書いてあることの重要性が読者へ十分に伝わっていなかったら、ほんとうにすまないとは思っているので補足記事も後でアップします。(せっかくじゃがさんも購入してくれたので)システム思考と直観、そして戦略的思考のつばがりをメインテーマにしたnoteでもあり、わずかな言動やかすかな動きの違いから、その全体像を描き出す直観は極めて大事なものであることを訴求したかったnoteでもあります。

まさにこの戦略的思考力へと結びつく直観こそが、太に対するアラームにも機能していた気がしてなりません。

例えば直観によってその問題の全体性を掴むという意味では このnoteなどはその典型です。


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