作品群 対と偶 編集後記
ご覧いただきありがとうございます。
かむりりです。
唐突な編集後記の投稿ですが、投稿ミスではありません。
今回は始めに“編集後記”を出してみようという新たな試みです。終わりが分かるように最終話の日付も予めお知らせしておきますね。詳しくは本記事末尾をご覧ください。
最終話まで投稿したらこの記事を更新しに参りますね。
(2024.11.2.土)
前作収録の“間”と今作収録の“対と偶”は同時にできました。
最初は同じ作品群に収録する予定でしたが、同じことを異なる視点で述べた二つは、それぞれ別々に他のいくつかの作品と呼応し、やがて別れました。
以前多様性を語った時、最後はあなたと私の話になりました。あなたに理解され、あなたを理解したいと。
そのまた以前恋を語った時、最後は結局一人の話になりました。恋が恋であるために、一人あなたを想うと。
何かの間に生まれるものがあるのならば、その間を間足らしめる向こう側とこちら側がある。
多様性が多様性ならざる時。恋が恋ならざる時。
壁を隔てた向こう側とこちら側が対立する時、壁を挟んで離れ離れになった大切な人達がいるかもしれない。
ミサイルが頭上を飛び交っても尚、相手を想い合う二人が向こう側とこちら側にいるかもしれない。
理解無くして多様性は無かったように。
孤独無くして恋は無かったように。
戦争無くして平和は無いのだろうか。
暴力無くして愛は無いのだろうか。
戦争と平和、愛と暴力。
戦争と暴力、愛と平和。
壁の向こう側とこちら側に、間を分かつ対と偶がある。
誰かの死を以て暴力と戦争を終えるのならば、
誰かの生を以て愛と平和を始められるはず。
だから未熟でも微力でも語らずにはいられないのです。
今日もどこかで人を想い、愛し合う人がいるのだから。
今日もどこかで人を想い、殺し合う人がいるのだから。
(2024.11.2.土)
最近の私には悩みがあります。
何かの正しさを説明しようとする時、あるいは聴こうとする時、それに慣れていないということです。
一度目は結果的に衝動的に終わってしまい、二度目は嫌々、三度目にはもう目は合わず、四度目は無いのです。
分断が叫ばれて久しい昨今に、言葉による議論はいつだって夢物語に終わってしまう。
誰も隣人と言い合いなんてしたくないのです。
言い合ったところで私達の関係が壊れるんじゃないかと。
隣にいる愛する人と意見が違ったら、私は私じゃなくなるんじゃないかと。
一緒にいられない理由になるんじゃないかと。
でもまあお茶でも飲んでゆっくり話そうよって。
いくら話しても、ずっと平行線でも、だからなんだって、違うから、だから何って、本当は言いたいのです。
それで私達の関係が壊れるのって。
あなたはあなたじゃないって。
一緒にいられない理由になるもんかって。
また明日、今度はケーキでも買って来るから、お茶でも淹れてくれるって。
親と子と。兄弟姉妹と。家族と。愛する人と。隣人と。
そんな風に意見を交わすことに慣れていられたら。
気に食わないから殺す、なんて発想にはならないかもしれない。
言葉が考えであるならば、議論が意見交換であるならば、それは生き方の選択肢を増やすことになる。
言葉が減り、議論が減り、生き方の選択肢が極限まで狭まった時、人が究極の判断を下すことになる。
多様性の時代の先に。無関心と分断の時代の到来に。
今、言葉を減らすわけにはいかない。
だから、
信頼する為に、何度でも繰り返して。
ここが私達の関係の底じゃない。
この時間は過程。
足下を照らして、常に撓やかであるためにある。
もう元には戻れない、なんてことはなくて。
全てが仮定で問いかけてくる。
こんなにも世界と愛のかたちは色とりどりだと。
その線を飛び越えて混じり合おう。
また一緒に夕日を見よう。
昨日に別れて、今日に会おう。
私達は明日の青空で繋がっているのだから。
(2024.12.26.木)
了
⇒以下 投稿順
作品群 対と偶 編集後記(2024.11.2.土)
→本記事
不可逆性(2024.11.6.水)
仮定(2024.11.10.日)
問(2024.11.16.土)
モノクローム(2024.11.20.水)
淡く甘美な薄橙(2024.11.24.日)
雌黄色に愁眉を開く(2024.11.30.土)
碧色は悲哀の温もり(2024.12.4.水)
モザイク(2024.12.7.月)
夕凪(2024.12.13.金)
対と偶(2024.12.17.火)
青空(2024.12.21.土)
編集後記 更新 (2024.12.26.木)
体験・原案・構成・編集
かむりり(の中の人)
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた次回。
かむりり。
