意味は合っているのに、位置がずれる。翻訳という仕事の話
マーク・マンソン著 The Subtle Art of Not Giving a F*ck のレビューを書きながら、日本語訳も存在していることを知りました。

アメリカの白人中産階級ミレニアル男子という、世界的にいえば特殊な層に受けた自己啓発本を日本語に訳す意味とは?これは日本のおじさんたちが大好きな戦国武将に学ぶ自己啓発みたいなやつをアメリカ人に読んでもらおうとするようなものでは…?
いったいどういう人たちがこの本を「日本語で」読んだのでしょう?自己啓発大好きな日本人男性?それともニューヨークタイムスベストセラーの邦訳はとりあえず読む系?
まず、邦訳を見てお茶吹きました。
「その決断がすべてを解決する」
そして宣伝文句をみて二度お茶吹きました。
「衝撃のハードボイルド自己啓発」
ローカライズ業界のすみっこで暮らすおばさんとしては、「この本を訳せって言われた人、お察し致します」という思いしかないです。そしてしみじみと、英語を原文で読める喜びを噛み締めております。マウントっぽくてすみません。これはけして邦訳をディスる記事ではありません。文化翻訳の難しさについて、以下に語ります。
「FUCK = クソ」としか訳せない問題
マンソン節のFUCKという英語は、実に守備範囲が広い万能語。怒りと自嘲と脱力を同時に表す玉虫色の言葉なのに、日本語にすると「クソ」「どうでもいい」「くだらねえ」「くたばれ」あたりの荒っぽいだけの言葉に分散し、一言でまとめると「クソ」しか残らない悲劇。
「FUCK = クソ」では、マンソン的FUCKが持つ感情の多層性は伝わってこない。じゃあてめえはもっといい訳語を出せるのか?という話じゃないのよ?邦訳版の商品説明を見ると、本文中のFUCKは、「努力」「気にすべきこと」といった、インパクトのない日本語で意訳されている模様。この直訳でも意訳でも原文を捕まえられない無力感が「お察し致します」なのです。
同じ「クソ」でも、デビッド・グレーバー著「ブルシットジョブ・クソどうでもいい仕事」のクソと比べると面白いね。クソどうでもいい仕事のクソは社会構造の歪みを示す言葉で、日本語の「クソ」と相性がいい。一方、マンソンのFUCKは自己の内面に向けられた繊細な感情表現。ここを同じ「クソ」に押し込めてしまうと、マンソン本来のニュアンスが逃げていく。これは「まずい訳」なのではなく、日本語の感情語彙の構造の問題なのです。
邦題にFUCKが入れられない問題
キリスト教の「愛」、仏教の「煩悩」に相当する大切なキーワードがマンソン本ではFUCKなのです。それなのに日本語版のタイトルにはこのキーワードが入っていない。そりゃそうでしょう、「直訳:クソを気にしないための妙技」ではあんまりです。
そして採用されたタイトルが「その決断がすべてを解決する」。編集会議で考えに考えに考えに考えた結果です感が伝わってきます。
自己啓発書を読む人が求めているものは「解決」である、そこはわかります。しかし原文の subtle art、つまり「微妙な匙加減」が、邦題では「一発で決めろ」方向へ。これは自己啓発市場が即効性を求める人たちに支えられている以上、仕方ないのかもしれません。
本書のテーマは「どうでもいい煩悩を減らす話」なのに、FUCKを消した訳は「人生の正解を出す話」に。なんちゃって仏教byマンソンからはとてつもなく遠いところに着地した邦題で、subtle という言葉は、ついに迷子になったまま消えてしまいました。
副題(A Counterintuitive Approach to Living a Good Life) にある counterintuitive という言葉も、subtle と一緒に失踪。これは「直感の逆を行く」という意味のキーワードで、手放すことで得る的な逆張り哲学です。この本の肝となる概念なのに、邦題では「決断」「解決」といった王道ワードに回収され、没。
もともと、subtle art や counterintuitive という概念は、東洋哲学の得意分野だったはず。力を入れすぎない、コントロールしすぎない、手放し方のコツなどなど、日本語のほうが表現資源は多そうなのに、英語圏を経由してきた言葉には着地点がなかったという不思議。
ハードボイルド、どっから来た?問題
邦訳の宣伝文句「衝撃のハードボイルド自己啓発」ですが、内容からいうと「笑撃」のほうが正しい。原文を読んでいると、マンソンは別にハードボイルドでもなんでもありません。むしろウザったいほどのおしゃべりだし、情けない弱音も吐くし、うじうじもする。FUCKを連発してはいるものの、その実態はマッチョな強さというより、脱力系の自嘲です。
「男っぽい乱暴な語り口」が話題になった本なので、マッチョさを強調する言葉としての「ハードボイルド」なんでしょうけど、日本語でハードボイルドといえばレイモンド・チャンドラーの世界。ウィスキーと夜の雨が似合う無口な男が「ふつうがえらい」系の自己啓発を語る…そりゃ笑撃だわ。
「ほどほど」「手放す」系の自己啓発も、日本市場にちゃんと存在しているはず。それを「がさつな言葉で語る面白さ」を、ハードボイルドという言葉では捉えきれません。このへんは、「すべてを解決」路線に合うキャッチコピーとして目立つ販促用の言葉を探してきた結果なのでしょう。
まとめ:意味は合っているのに、位置はずれる。それが翻訳
最初に邦題と帯の文句に「お茶吹いた」と書きましたので、不快に思われた方もいらっしゃるかもしれません。私もよくお茶吹かれる側におりますので、これだけは言わせてください。
翻訳の「なんか変」は、失敗ではなく「文化が別の場所に着地した結果」である。
翻訳とは、文化の重さを引き受けたまま、言葉を別の場所に着地させる仕事です。その着地が、不格好になることもある。元の場所から、ずいぶん離れてしまうこともある。でもそれは、誰かがサボった結果ではなく、たいていは「ちゃんと考えた結果」なのです。
「FUCK」をどう訳すか。「subtle art」をどう売るか。この本を誰に届けるか。どれも、正解のない問いです。
日本語版のタイトルと帯を見て、「北米ミレニアル白人男子の思想が、日本の自己啓発市場にどう着地せざるを得なかったか」という痕跡として、とても面白く感じました。
翻訳者のみなさま、編集者のみなさま、宣伝を考えたみなさま。本当におつかれさまでした。
後記:この文章を読んで、私を編集チームに加えたいと思った方、ぜひご連絡ください↓
